源太郎のブログ

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男体山

2008年09月28日 | エッセイ

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 久し振りに「青空」を見た。樹林帯を抜け、稜線を見上げると久々の、本物の「青空」が白い秋雲の先に広がっていた。山の上は、もう初秋の雰囲気が漂い、紅葉も薄っすらと始まっていた。空気も澄み、風が吹くと寒さが身にしみた。ザレた急登の後、九合目からは、なだらかな道が頂上まで続く。古びた鉄剣のそそり立つ頂上の北側の木々は、この時期珍しい「霧氷」に覆われ、白く輝いていた。この日は、子供の頃、地元の実家で長い間この山を見ながら暮らしていたと言うTさんが、念願だった初登頂を果たした日でもあった。

 男体山は標高2484mの信仰の山。日光二荒山神社の奥宮がその頂上にある。男体山を父親に例えれば、さしずめ女峰山は奥さん、太郎山が長男で愛子(まなご)の大真名子・小真名子が控え、一家をなしている。

 この山の初登頂は日光開山の祖、勝道上人だと伝えられている。天応2年(782年)、釈迦が雪山で修業したとの故事に習い、あえて残雪期に登り、3度目にして初めて頂に立つことが出来たと言う。勿論、道はなく、木々をかき分け、残雪を踏み、途中2泊の野営を重ね、その過程は、困難を極めた末の登頂だったと言う。

 その山に、首都圏から日帰りで行けないか、と勝道上人が聞いたら怒られそうな事を考えた。中禅寺湖のある南側から登ると標高差は1200m、コースタイムだけで約6時間、実際は8時間以上は掛る。電車のスケジュールや駅から登山口を往復する時間を考えたら、日帰りはとても無理、と判る。色々と思案して、新幹線の利用できる宇都宮からレンタカーで北側の登山口、標高差700mの志津乗越に直行すれば可能との結論になった。

 そして、前日の蒸し暑さから、打って変って肌寒いその日、10人乗りの車は8時過ぎには宇都宮駅を出た。10時ちょっと前、志津乗越で現地集合の3人の「紳士」が合流。10時20分には、何時もの登山口での「儀式」を済ませて、出発。

 歩き始めて10分、避難小屋を過ぎて間もなく「一合目」と書いた木柱が立っている。それからしばらく続いた、ややなだらかな傾斜も、三合目を過ぎると急登に変わる。所々、山道がえぐれ、大きな段差も。背後には太郎山や女峰山の雄姿も見え隠れしている。そして、六合目を過ぎると赤茶け、ガレた地肌を剥き出した大きく浸食された所に出た。ここからは初めて東側の広々とした景色が見え歓声があがる。そこから上は火山灰のざらざらとした道が続き、所々にトラロープも。そして、歩き始めて3時間20分、頂上に立つことが出来た。そして、下山。そろそろ日も暮れかかる頃、峠に戻ると、満員だった車は、数台の車を残し、ひっそりとしていた。


現れなかった殿下

2008年09月26日 | エッセイ

 皇太子殿下の登山が時々報じられる。先日も富士山に登頂を果たした、との報道があった。日本百名山にも、既に60数座登ったそうだから相当お好きなのだろう。山を習慣的に登る事を趣味にしている皇室の一員としては世界的にも稀有の例ではないだろうか。今や「皇室」の制度を持っている国が少なくなっている事に加え、登山に相応しい山の質と量を考えると、国の数は限られる。考えられるとすれば北欧の国に「山歩き」を趣味にする皇室の一員は居るかも知れない。いずれにしても、その程度だから「貴重」な存在と言えるだろう。日本山岳会の会員番号は5000番だそうだ。限の良い欠番の所に後から無理やり入れたのだろう。

 それにしても、聞く所によれば、殿下が山に登る時、周りの対応が大変らしい。山小屋を初め山道の整備や報道陣の規制などだが如何な物だろうか。尾瀬の近くの日本百名山「平ヶ岳」もそうだ。元々、この山は距離的に言って日帰りはぎりぎりの山で、日帰りをしなければテントを担いで山中に一泊と言うのが普通なのだが、殿下が登った折、「近道」が作られたと言う。爾来、その道が恒常化し多くの人がそのルートを辿っているようだ。その事を、良しとするかどうかは議論の分かれる所だろうが私はなるべく自然に保ち、その山を登る為に「思案」が必要な山がある方が良いと思うのだが。

 イギリスの皇室では、伝統的に「陸軍士官学校」に入学する事が多い。チャールス皇太子の子供、ウイリアム王子やヘンリー王子も入校した。卒業すれば、国民に範を垂れる為、士官として前線に送られる。同じ皇室でも日本では考えられない事だ。その代りと言っては何だが、エネルギーの発露として皇太子殿下が日本百名山を目指す、と言う事は悪い話ではない。

 百名山の鹿島槍ヶ岳と五竜岳。難路の為縦走する人は少ない。共に、一座ずつ往復するのが主流となっている。想像を言えば、この両山を目指した時、殿下も縦走を希望したに違いない。が、庶民とは違い、はいそれではすぐに、とは行かない。しかるべく様々な準備が必要となる。殿下もこのルートに挑戦する事に、密かに熱いもの感じていた事は、想像に難くない。担当者は事前にコースを歩いて下見をするかもしれないし、宿泊予定の小屋も、それなりに小奇麗にしなくてはいけない。準備を進める過程で、「お役人」の担当者は「不安」を感じたに違いない。万が一の事があったら責任が及ぶのは私だと。殿下は、楽しみにしている、が不安は募る。そして、とうとう話を切り出す時が来たに違いない。どう切り出して、どう「諦める様」説得したのかは判らない。コース上で宿泊予定だった「キレット小屋」は新築されたが、殿下はとうとう来なかった、と言う。殿下の無念は如何ばかりだったのだろうか。戦地に赴く王子様を持つ国の国民は幸せだ! 今でも質実剛健な国と質実剛健だった国の違いなのかも知れない。