セーヌ河の南、パリの14区に「パリ国際大学都市」がある。その中に、各国の個性的な建物に混じって、1929年に薩摩治郎八の寄付で建てられた7階建ての「パリ日本館」がある。かつて、その日本館一階のサロンにある、印象深い藤田嗣治の大きな壁画を見たことがある。藤田は1913年渡仏、スーチンやモジリアーニ等との交流があり天才ピカソが藤田の「乳白色」の絵の前で1時間も動かなかったと言われる程の才能を発揮した画家であった。渡仏する10年も前、17歳の時にフランス語を習い始めたと言うから、その時、既に将来フランスに行く事を希望していたのだろう。結果的に1955年にはフランス国籍を取得し1959年にはカトリックの洗礼を受け、レオナルド・ダビンチにあやかりレオナール・フジタと改名し、晴れてフランス人になった。
前から行きたかった、その藤田の展覧会を見に上野に行った。素晴らしかった事は勿論だが、ただ単に「油彩」に止まらず陶器、ワイングラス、木の箱等にも描き、墨を使う等、日本人としての技も駆使しているのに驚かされた。私がフジタの絵について論評するのは僭越だが、私が興味を持ったのは彼の署名「Foujita」である。普通なら「Fujita」と書く所、「Foujita」とFとUの間にOが入っている事だ。この名前の綴りは彼が「フランス人」になってから書き始めたのではなく、渡仏直後には既にそうなっている。因みに、絵の署名にはローマ字で「Foujita」と書き、併せて漢字の縦書きで「嗣治」と署名している。このスペルではフランス人は「フジタ」ではなく「フージタ」と読んだはずである。では、「Fujita」と書かず、「Foujita」と署名したのはなぜなのだろうか?そこには、藤田の諧謔の気持ちが表れていると、私は見る。「フジタ」ではなく「フージタ」と呼ばせる事に意味があったのだろう。フランス語で、「フー(Fou)」とはバカとか狂人の意味になる。17歳からフランス語の学校に通い、フランス語を勉強していたフジタが「Fou」の意味を知らないはずはなく、意図的だったはずである。パリ時代、彼のニックネームは「FouFou」(フーフー)だったそうだ。フランス人はフジタへの親しみと共にフジタの望んだ諧謔の気持ちを込めて、そう彼を呼んだに違いない。
「ペーテーテー(P.T.T.)」と私が言うと、決まってパリジェンヌの友達、ローゼレーヌが私の発音を直す。違うわよ!「ペーテーテー」。そう言われて、すぐおうむ返しに「ペーテーテー」。でも、まだ違う。そんな事を何度繰り返しただろうか。「ペーテーテー(P.T.T.)」は「Post,Telephone et Telecominication」の略、これは日本の「NTT」に相当する、郵便局と電話局を合わせたような組織。それが、何回直されてもどうしても正しく発音できないのだ。そして、彼女は諦めたのか、しまいには直してくれなくなってしまった。
随分後になって、彼女が私の発音を、どうしても直したかった訳が判った。私の「ペー」の発音はフランス語では「おなら」の意味に聞こえていたのだ。トホホ。