源太郎のブログ

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「善知鳥」

2010年10月10日 | 山行記

   奥多摩・日原鍾乳洞の北西に「タワ尾根」と呼ばれる尾根が伸びている。地図では幾つかのピークに山名と標高が記されているが山道を示す実線は引かれていない。奥多摩の山域でもこれだけ山名が連なり実線の引かれていない所はない。先日その「タワ尾根」を登った。目的の山は「ウトウの頭」1587m。

 日原鍾乳洞に近い目的の場所までは車で約2時間半、朝5時前に家を出たから、7時半にはもう歩き始めていた。予め調べて目星をつけておいた取付きの場所はすぐに見つかった。が、暫く続いた踏み跡もじきに消えてしまった。歩いて登る斜面としては限界に近い急登が続く。人の歩いていない場所は地面がふかふかして柔らかく歩き難い。久し振りの独り歩き、どうしてもペースが上がってしまう。着ているTシャツもすぐに汗でびっしょりだ。暫くすると不思議な事にジグザグに登る道が現れ、所々には古びた石段もある。麓には歴史のある神社があるから最初のピーク「一石山」辺りまでは昔から行き来があったのだろう。40分程で石のベンチのある尾根に出た。古びた指導標もある。一休みした後、やや方向を変えて「一石山」へ向かう。ほんの少しなだらかになった道もすぐ急登に変り杉の植林の間を踏み跡を頼りに登る事20分、ようやくタワ尾根から延びる支尾根に乗った。最初のピーク、「一石山」はそこから数分の場所にある。殆ど平らなピークは藪等も無く明るく気持ちが良い。ピークを後にして約10分、「ミズナラの巨木」に向かう分岐が現れた。「巨樹周回コース」とある。それにしてもこんな所に「巨樹」を見に来る人はいるのだろうか?「巨樹」は帰りに時間があったら見る事にして次のピーク「人形山」へかすかな踏み跡を辿る事にした。一登りで尾根に乗る。「タワ尾根」だ。北西に方角を変えて暫く、木々の間に「人形山」の表示を見つけた。注意していなかったら見逃してしまっただろう。ピークもはっきりとしない。道は「ウトウの頭」まで尾根通しだから尾根線を外さなければ迷う事は無いが踏み跡は殆ど無い。道はなだらかで、無線のルートに付き物の「藪」も無く、木漏れ日の気持ちの良い歩きが続く。尾根から方向を変える要所には「手製」の標識もあって注意していれば道に迷う事は無い。「金袋山・1325m」を過ぎて暫く行った所に鹿や猪の「お風呂」、「沼田場(ぬたば)」があった。「沼田場」は動物達が体表に付いた寄生虫を落とし体を洗う文字通りの「お風呂」だ。山を歩いているとしばしば目撃するから人間同様、動物たちにとっても必需品に違いない。そして、「篶坂ノ丸(すずさかのまる)・1456m」を通り「ウトウの頭・1587m」のピークに着いたのは登り始めてから約3時間。ここまでの行程では唯一ピークらしいピークだった。

 「ウトウの頭」の頂上には楽しみにしていたものが一つあった。知る人ぞ知る「ウトウ」の描かれた他の山では見た事のない素晴らしい陶製の「山銘板」だ。やや赤みがかった大きな嘴、白い羽根毛に挟まれた可愛い目、そして黒の体。実はこの「山銘板」、2代目なのだ。木版に彩色された初代は今から15年ほど前に山頂に掲げられたらしい。が、とても残念な事に1~2年前の間に不埒者に持ち去られてしまったのだ。そして、今年になって新しい「陶製」の銘板が再び掲げられたのだ。

 「ウトウ」は「善知鳥」と書く。体長30センチ程に海鳥、集団で潜水し小魚を捕食すると言う。崖の岩棚に営巣し地面に穴を掘って生活している。私もかつて訪れた事のある北海道の「手売島」には60万羽とも言われる世界最大の営巣地がある。東北の青森。津軽藩2代目藩主の命により「善知鳥村」に港を開き漁師が目印にしていた小高い丘の森から由来して「青森村」と呼ばれたのが「青森」の地名だと言われている。

「ウトウ」は親と子の情愛が殊更強い鳥と言われている。西行法師の歌にも「子を思う涙の雨の笠の上にかかるもわびしやすかたの鳥」(ウトウを捕る猟師は、親鳥をまねて「うとう」と声を掛け、それに安心して巣穴から出てくる雛を捕まえる。それを見て悲しむ親鳥は血の涙を流すので、猟師は蓑と笠を付けるのだ)。今は無い、初代の銘板の裏には「藤原定家」の歌、「陸奥の卒士の浜なる呼子鳥鳴くなる声はうとう安方」が彫られていた。

 私は「ウトウ」の山頂で銘板に一人見入り、それを再び掲げた「主」の思いは何であったのかに思いを馳せ、静かな一時を過ごし、山頂を辞した。

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