アメリカ人の上司と千葉の成田から東京まで歩こう、と言う事になった。仕事が終わった金曜日の夕方、事務所を出て歩き始めた。今から考えれば随分と無謀な試みだった。成田から東京駅まででも約70㌔。案の定、真夜中に私の足が水ぶくれになって敢無く途中で諦めた。仕方なく、自宅に帰るべくタクシーに乗って東京駅に向かった。駅に着いたのが夜中の3時半過ぎ、まだ駅のシャッターが降りていて入れない。朝まで待とうと、シャッターの前の何人かのホームレスに交じって横になった。駅で一晩を過ごす、という経験はあったが、ホームレスと一緒と言うのは、その時が初めてだった。
先日、イギリスのウィリアム王子がロンドンの中心部の路上で一夜を明かした、と言う記事を読んだ。まさか、私のひそみに習った訳ではないと思うが、流石、と感じた。記事は「英王子がホームレス体験!氷点下のロンドンで一夜」と題し、「チャールズ英皇太子の長男で王位継承順位2位のウィリアム王子(27)は先週、ホームレス問題への社会的関心を集めるため、ロンドン中心部の路上で一夜を過ごした。ホームレスの人々を支援する非政府組織(NGO)「センターポイント」(本部ロンドン)が22日、明らかにした。王子が路上で寝たのは15日夜。氷点下4度まで冷え込む中、大きなごみ箱の陰に段ボールを敷き、寝袋にくるまった。王子を路上体験に誘った同NGOのトップ、オバキン氏と王子の個人秘書も一緒だった。同氏は「麻薬の密売人が話し掛けてきたり、誰かにけられたり、清掃車にひかれそうになったり。路上生活がいかに危ないものか分かってもらえた」と話した。夜明けごろには、帰る家のない人々が横たわるロンドン市街地を視察したという。センターポイントは約40年間、ホームレスの人々を支援する活動をしており、王子は同NGOの後援者となっている。」と続いた。 「すまじきは宮仕え」とは言うが、多少王子様の「個人秘書」に同情の感は否めないが、「英王室」の「凄さ」を改めて思った。
大分昔の事だが、ニューヨークのキャフェテリアで食事を終って、さあ席を立とうとした、その時、1人の男が近づいて来て、「食事は終ったのか?」と聞く、私が“Yes”と言うや否や男は私の食べ残しののった皿を持って立ち去った。大袈裟に言えば、所有権を放棄された私の食べ残しを貰って「何が悪いのか」と言う事なのだろう。「合理的」と言えば「合理的」だが、日本では余り目にしない光景だろう。ロンドンの地下鉄に乗っていると、前の座席に座った人から良く「タバコを1本売ってくれ」と言われたりする。そんな時、1本差し上げるが、勿論お金など貰わない。「売ってくれ」と言う方も、お金を請求する人等殆どいない事を見越しての振る舞いなのだろう。形を変えた「物乞い」だとも言える。
私もロンドンで「乞食」をした事がある。友達がギターを弾き、私は地べたに座って空き缶を前に、ひたすら「喜拾」を待つ。最初に選んだ場所は地下鉄の出入り口。何人かの人がコインを入れてくれる。暫くしたら、地下鉄の職員に追い払われた。「どこか、他でやってくれ」と言うのだ。場所を移して、公園に向かう地下道で続行。暫くすると、今度は「お仲間」が来て、「ここは俺たちの縄張り」だから、他へ行けと睨まれ、すごすごと「新米」は引き揚げざるを得なかった。
「乞食(こつじき)」とは仏教の用語で、僧が自分の身体を維持する為に人に乞う、「業(ぎょう)」の一つでもある。「行乞(ぎょうこつ)」とも「托鉢」とも言う。自ら生業(なりわい)を立てない事に意味があるのだ。その事が転じて「乞食(こじき)」と言う言葉が生まれ、「物貰い」「ほいと」「物乞い」「おこも」等と言う表現がある。「乞食に貧乏無し」とか「売りの皮は大名にむかせよ、柿の皮は乞食にむかせよ」等、「乞食」を題材にした格言は多い。
ホームレスは居ても、今時の日本、「物乞い」をされる事は殆ど無い。そんな事をしなくても、何とか生きて行ける「術(すべ)」が有ると言う事なのだろうか。
これも、大分以前の事だが、韓国・ソウルの中心地の裏通り。突然、鋭い目付きの少年が現れて、左手を差し出す。「物乞い」だと瞬間思ったが違っていた。少年の右手には「カミソリ」が握られていた。立派な「強盗」だったのだ。慌てて、ポケットから硬貨を何枚か取りだすと、少年の手のひらに載せ、一目散に逃げ出した事は言うまでもない。