源太郎のブログ

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七福神

2010年01月07日 | インポート

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 お正月、まず行くのは初詣。初詣に行く人は、なぜか全員「善男善女」。その、「善男善女」と一緒に谷中の七福神を巡った。集合は山手線の「田端駅」に朝の10時。9時過ぎに着くと、もう沢山の「善男善女」が駅に溢れていた。「ブルッ」とする位北風が強い。そう言えば、家を出てすぐ、どでかい富士山が目の前にドーンと座っているのが見えた。普段より大分大きい。空気が澄んで、見通しが良いのだ。

 江戸の初期、「七福神」巡り、と言えば谷中だった。今は東京中に「七福神」は事欠かないが、谷中はその元祖なのだ。「七福神」とは福禄寿、恵比寿、布袋尊、毘沙門天、寿老人、大黒天、弁財天と決まっている。夫々、御利益が違う。人望、正直、大量、威光、長寿、富財、愛啓に「効く」。大黒天、毘沙門天、弁財天はインド伝来、福禄寿、寿老人、布袋尊は中国、唯一日本生まれは恵比寿様だけだ。一神教の世界では考えられない事なのだろうが、何事にも融通無碍な日本人らしい現象とも言える。何事も「御利益」が第一で、下手な鉄砲も、数打ちゃ当たる、式なのかも知れない。

 みんな集合してまずは最初の「巡礼地」に向かう。歩き始めて15分程で田端の東覚寺に着く。ここは福禄寿だ。江戸初期からの古刹のはずだがなぜか、全てが真新しい。風呂だったら「檜の香り」だ。「谷中七福神御朱印和紙」を1000円で売っている。寺々を巡って「御朱印」を貰う台紙だ。境内が「善男善女」でごった返している。200円を払って台紙に御朱印を貰う。次は西日暮里の青雲寺の恵比寿様。御朱印を貰う所に列が出来ている。こりゃ心配だ、お昼の「料亭」の予約に間に合うか?3番目は同じく西日暮里の修性院の布袋尊。「神様」が違うだけで、どこも同じ風景。皆、早く御利益に預かりたいと、次から次だ。寒かった朝方に比べ、陽が昇ると小春日和で絶好の「巡礼」日和になった。4番目は谷中の長安寺。長寿の御利益のある寿老人。それにしても谷中には寺が多い。寺の多さは地図を見ればすぐ判る。卍マークで溢れている。谷中には元々寺が多かった上に、江戸時代の明暦の大火の後、沢山の寺が谷中に引っ越して来たことにもよる。私が数えた訳ではないが、一説には70余りとも言われている。5番目は日暮里駅のすぐ南側にある天王寺の毘沙門天。谷中霊園の奥にある。ここは七か所の寺院の中では一番立派な所。御朱印を賜る所はホテルのロビーの様だ。ここを出たのがもう11時半過ぎ。「料亭」に急がなくちゃ。6番目を後回しにして向かう。本当は「七福神」より、こっちの方がメインかも、とは「花より団子」と言っている様で、言い憚られた。12時2分前、到着。建物の前で記念撮影して、中へ。明治時代に建てられた建物は関東大震災と空襲を潜り抜けた都内では珍しい、木造3階建て。有形文化財に指定されている。早速案内されたのは建物の中にある「土蔵」の中。入口の重厚な扉が、蔵だと教えてくれる。それにしても建物の中に「蔵」とは不思議だ。多分、増改築で、建物の中に取り込まれてしまったのだろう。ビールと旨いもの食べて蔵を後にすると、時計はもう2時近くだった。やはり、今日はこれがメインだったのだ。すぐスキップした6番目の大黒天のある護国寺に向かう。寺は芸大のすぐ隣にあった。勿論、御朱印を貰うと、最後は不忍池弁天堂の弁財天だ。その名の通り、不忍池の中にある。愛敬(あいぎょう・あいきょう)に効く。これで「満願」だが、帰り道、今日はもう一つ行く所がある。「下町風俗史料館」が池のコーナーに建っている。所謂「レトロ」な品々が溢れた場所。小一時間の見学の後、歩いて上野駅に向かう。そろそろ、日蔭が寒くなった頃駅に着いた。そして、目出度く解散。「御利益のパスポート」をゲットした「善男善女」は安堵の表情を浮かべ満足している様に、私には見えた。

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