東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

北京

2023-01-19 22:51:51 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、この頃に清から僧の人たちが日本にまとまって来たとしか思えない。
 
 中国大陸にあった清は満州の人が建国した国だったみたいだけど、ウィキペディアで調べると、ヌルハチという人が1616年に建国した後金が清になったみたいです。ヌルハチという人の次の皇帝のホンタイジという人の時の1636年に元の玉璽を引き継ぎ、一緒にマハーカーラ像も受け取り、国名を大清として皇帝に即位したみたいです。大黒天はマハーカーラともいって、インドの神のシヴァの別名らしい。
 
 後金の首都は遼寧省にある瀋陽市だったようだけど、盛京と改称されたみたいです。清の首都は盛京から北京に移ったみたいです。北京には雍和宮というチベット仏教寺院があるみたいです。
 
 雍和宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

チベット

2023-01-19 22:49:14 | 日記
 もうチベット仏教には警戒心しか湧いてこない。
 
 明治時代に河口慧海という黄檗宗の僧は日本人で初めてチベットに行ってきたらしい。本当に日本人か知らないけど・・・。河口慧海はチベット仏教を学んできて、帰国後にチベットの旅行記を書いたり、仏教関連の書籍をたくさん書いたようだ。河口慧海は大正時代に2回目のチベット入りをして、その後は僧籍を返上して在家仏教信者になったようだ。
 
 多田等観という人は岩手県花巻市に疎開してたらしいけど、多田等観は浄土真宗本願寺派の法主だった大谷光瑞の援助を受けてチベットにいたようだ。多田等観はダライ・ラマ13世とも懇意にしてたみたいです。浄土真宗本願寺派はチベットと交換留学もしていたようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、ダライ・ラマは1642年にチベット政府の長になって、1959年までチベット政府の長だったようだ。チベットのラサというところにポタラ宮という宮殿があるみたいです。今のダライ・ラマは14世のようです。
 
 ポタラ宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2023-01-19 22:45:42 | 日記
 明治時代の密教の僧で一番著名な僧は土宜法龍という真言宗の僧のようだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 岩手県の平泉町にある中尊寺の月見坂を登ったところは見晴らしのいい展望スポットになっていて、その脇に小松宮という人が来た記念の碑があって、明治三十四年と刻まれてたはず。小松宮家は小松宮彰仁親王で途絶えたらしいので、たぶん、この人のはず。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山のようだけど、仁和寺は皇族の人が出家して住職を務めていた門跡寺院ということになってるらしい。太平洋戦争の後、昭和天皇は出家して仁和寺の住職になる話もあったようだ。
 
 小松宮彰仁親王は皇族出身の最後の仁和寺の住職ということになってるらしい。ウィキペディアで調べると、小松宮彰仁親王は還俗した後、明治維新では軍事総裁に就き、戊辰戦争では奥羽征討総督に就いたようだ。佐賀の乱でも征討総督に就き、西南戦争にも出征したらしい。本当か知らない。日清戦争では征清大総督に就いたようだ。国際外交ではヨーロッパ諸国を歴訪したり、明治天皇の代理としてイギリス国王の戴冠式に出席したようだ。社会事業では日本赤十字社などの各種団体の総裁も務めたようだ。小松宮彰仁親王の妻は久留米藩の最後の藩主の有馬頼咸の娘らしい。小松宮家は小松宮彰仁親王で途絶えたらしい。
 
 随分と血生臭い元坊さんだなあ。本当か知らないけどさ。
 
 明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。釈雲照という僧は高野山で学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照は十善会という会を発足したらしい。次の仁和寺の門跡の泉智等という僧も高野山で学び、真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡や江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老になり、高野山派の管長や金剛峰寺の座主にもなり、真言宗連合総裁にも就いたようだ。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王も教えを受けに行ったようだ。土宜法龍は西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたらしい。土宜法龍は仁和寺の門跡や真言宗御室派の管長や高野山真言宗の管長や真言宗連合総裁を務めたようだ。土宜法龍は南方熊楠と往復の書簡をずっと続けていたようだ。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

真言宗

2023-01-19 22:42:36 | 日記
 真言宗が今のようになったのも明治時代になってからの気がするけど、仁和寺の僧が関わってるんだろうか?、やっぱり。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているようです。真言宗智山派と真言宗豊山派は新義真言宗、新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁上人の御廟があるみたいです。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海上人の御廟のようです。空海上人は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というみたいです。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

修験道

2023-01-19 22:37:39 | 日記
 滝行ですか・・・。
 
 賀茂氏という氏族が本当にいたのか知らないけど、ウィキペディアで調べると、賀茂氏には天神系の賀茂氏と地祇系の賀茂氏の2つの系統があるらしく、天神系の賀茂氏は京都にある下鴨神社の系統の賀茂氏で、地祇系の賀茂氏は奈良県桜井市にある大神神社の系統の賀茂氏らしい。よくわからないんですけど・・・。
 
 奈良県御所市にある高鴨神社は賀茂神社や加茂神社の総本社で、アジスキタカヒコネを祀ってるらしい。アジスキタカヒコネも大国主の息子ということになってるらしい。
 
 京都の下鴨神社は賀茂御祖神社ともいうようだけど、建角身命と玉依姫を祀っていて、玉依姫は建角身命の娘ということになってるらしい。上賀茂神社は賀茂別雷神社というようだけど、上賀茂神社の祭神の別雷命は玉依姫の息子ということになってるらしい。
 
 なんで地祇系の賀茂氏は大神神社の系統なんだ?といわれても、知らないよ、そんなの。
 
 地方の賀茂神社や加茂神社では賀茂神社や加茂神社の総本社の高鴨神社の祭神のアジスキタカヒコネじゃなく、上賀茂神社の祭神の別雷命を祀ってることが多い気がするけど、役割分担でもあるんだろうか?。
 
 役行者の話も嘘の気がするけど、修験道の開祖の役行者のことは続日本紀と日本霊異記に書いてあるらしく、役行者は地祇系の賀茂氏の出身で、賀茂役公ともいわれるらしい。
 
 奈良県の吉野は役行者が修験の山として開いたことになってるようだけど、吉野には金峰山寺と大峰山寺があって、蔵王権現を本尊に祀っているみたいです。大峰山寺は大峰山にある山上ヶ岳の山頂付近にあるみたいです。
 
 奈良県吉野郡吉野町に金峰山寺があって、山号は国軸山のようです。金峰山寺のHPを見ると、明治維新の後の明治7年(1874年)の修験道廃止令で廃寺になったらしく、明治19年(1886年)に天台宗の寺として再興されたらしい。本当か知らない。昭和23年(1948年)に金峰山修験本宗を立宗したようです。
 
 金峰山寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか