東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

盛岡

2022-04-14 22:40:26 | 日記
 俺の名字は髙橋だけど、うちは明治時代に本家から分かれた分家だし、素性がハッキリしてる。
 
 髙橋と高橋の違いが解らないけど、日本で3番目に多い名字らしい。高橋は岩手県では3番目に多いらしく、秋田県と宮城県と山形県では2番目に多いらしい。北海道でも2番目に多いらしい。関東では群馬県で1番多いらしく、埼玉県と千葉県では2番目に多くて、東京都と神奈川県では3番目に多いらしい。西日本では、そんなに多くないみたいだけど、愛媛県で1番多いらしい。名字ランキングのサイトによって順位の誤差はあるかもしれませんけど。
 
 奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、磐鹿六雁命は高橋氏の祖神で、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様のようです。
 
 岩手県盛岡市にある盛岡八幡宮は盛岡の鎮守のようです。盛岡八幡宮には高橋氏の祖神の磐鹿六雁命を祀る高倍神社があります。
 
 盛岡八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

秋田

2022-04-14 22:32:59 | 日記
 物部氏は歴史から消された氏族で、物部氏の祖のニギハヤヒは伊勢神宮の内宮の本当の祭神って言ってる人もいるの?。
 
 秋田県大仙市に唐松神社という神社があって、天日宮で物部氏の祖のニギハヤヒを祀ってます。唐松神社には天日宮とは別に唐松神社の本殿がある。ニギハヤヒは神武東征の話に登場して、神武天皇よりも先に関西に来ていて、長髄彦の妹を妻にしていたことになってるらしい。
 
 和歌山県和歌山市の岩橋というところに高橋神社があって、物部氏の祖のニギハヤヒを祀ってるらしい。笛不吹明神社とも称して、岩橋というところの高橋さんと笛吹さんはニギハヤヒの末裔らしい。本当か知らない。
 
 奈良県葛城市にある葛木坐火雷神社は笛吹神社ともいわれるようだ。葛木坐火雷神社の祭神は火雷神でいいんだよなあ、たぶん。
 
 インターネットで調べると、奈良県奈良市にある高橋神社が発祥の高橋氏は物部氏の系統の高橋氏とでてくる。なんでか知らないけど。
 
 奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、磐鹿六雁命は高橋氏の祖神で、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様のようです。
 
 唐松神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中山

2022-04-14 22:24:50 | 日記
 食べ物の恨みですか・・・。
 
 秋田県にかほ市象潟に蚶満寺という曹洞宗の寺があって、山号は皇宮山です。象潟は小島がたくさん浮かぶ景勝地だったみたいだけど、文化元年(1804年)の地震で土地が隆起して陸地になったそうです。陸地になった土地を本荘藩は開拓しようとしたみたいだけど、蚶満寺の僧が蚶満寺を閑院宮家の祈願所にして土地開発に反対したらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 光格天皇は閑院宮家から天皇家に養子に入ったみたいだけど、光格天皇と仁孝天皇と孝明天皇と続いて、孝明天皇の次の天皇が明治天皇らしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 明治維新の後に創設された宮家は伏見宮家の系統らしいし、太平洋戦争の終戦の後に皇籍離脱した旧皇族の人たちは、みんな伏見宮邦家親王の子孫らしい。本当か知らない。
 
 閑院宮家は江戸時代の後半に途絶え、明治時代に伏見宮邦家親王の息子の閑院宮載仁親王が継いだことになってるようだ。閑院宮載仁親王はフランス留学した後は陸軍の軍人になって日清戦争や日露戦争にも行ってきて、昭和6年(1931年)に参謀総長に就任し、昭和15年(1940年)に参謀総長を退いたようだけど、陸軍の重鎮のような存在だったようだ。
 
 明治天皇は中山慶子という女性の息子らしい。京都にある天台宗の寺の廬山寺は閑院宮家の菩提寺らしいけど、中山家の菩提寺も廬山寺らしい。中山家は明治時代に墓地を整理したみたいな話がでてくるけど、詳しいことが、わからない。
 
 廬山寺は元三大師といわれる良源の創建で、廬山寺には元三大師堂があるみたいです。良源は鬼大師や角大師や豆大師や厄除け大師ともいわれるみたいです。廬山寺の節分会は追儺式鬼法楽といって、鬼おどりともいわれるようだ。
 
 廬山寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

皇族

2022-04-14 22:12:27 | 日記
 凄いよね?。風神を封じ込めて、太平洋戦争で神風特攻隊なんて日本人にやらせたら、日本列島の上空にはアメリカの飛行機が来て、空から爆弾を落とされてさ。原爆まで落とされて、日本人は懺悔しろだってさ。
 
 皇族っていうのは、最近、日本社会を騒がせてるので説明しなくてもわかると思うけど、太平洋戦争の後、大正天皇の息子の宮家以外は皇籍から離脱したらしい。この人たちを旧皇族というらしい。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦前の伊勢神宮の祭主らしい。梨本宮守正王は鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性を妻にしたようだ。梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の久邇宮邦彦親王は鹿児島県にあった薩摩藩の最後の藩主の島津忠義の娘を妻にしたらしく、久邇宮邦彦親王の娘が昭和天皇の皇后の香淳皇后らしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の東久邇宮稔彦王はポツダム宣言の後に日本の総理大臣になって、一億総懺悔みたいなことを言ったようだ。
 
 京都にある泉涌寺という真言宗の寺に江戸時代の天皇の墓所があるらしいけど、久邇宮家の墓所も泉涌寺にあるらしい。明治維新の話も嘘の気がするけど、だまされるほうがバカみたいなことなのかな?。
 
 泉涌寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

臨済宗

2022-04-14 22:02:13 | 日記
 曹洞宗が今のようになったのも、明治時代になってからの気がするけどなあ。
 
 明治時代から大正時代の臨済宗の僧で釈宗演という僧がいて、ウィキペディアで調べると、日本人で初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えたようだ。本当に日本人か知らないけど。
 
 釈宗演は福井県の高浜町の出身らしい。本当か知らない。釈宗演は出家して日本各地の寺で修行して、慶応義塾に入学した後にスリランカに行って仏教を学んだようだ。釈宗演は円覚寺派の管長や建長寺派の管長を務めたようだけど、釈宗演はシカゴ万国博覧会で開催された万国宗教会議に出席して講演を行ったようだ。
 
 明治時代の僧で、一番著名な僧は、この人みたいだけど、どうなんだろうなあ?。釈宗演のもとには夏目漱石も参禅したみたいだし、釈宗演は鈴木大拙を通訳としてルーズベルトと会見もしたようだ。
 
 釈宗演は鎌倉市にある東慶寺という臨済宗の寺を再興したみたいだけど、釈宗演の墓は東慶寺にあるらしい。本当か知らないけど、地位や名誉や権力に執着した坊主の呪いは凄まじいなあ。
 
 東慶寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか