はあ。なんか、凄いよなあ、歴史の隠蔽っていうの?。
岩手県の平泉町にある中尊寺は天台宗の東北大本山で、山号は関山です。中尊寺の金色堂には奥州藤原氏の4代目の藤原泰衡の首が納められていて、ウィキペディアで調べると、藤原泰衡の首は昭和25年(1950年)に調査が行われたらしく、何ヶ所もの切傷や刺傷があって、鼻と耳が削がれていて、眉間と頭の後ろのほうに釘が打たれたような跡があるらしい。
藤原泰衡の首は藤原泰衡の兄弟の藤原忠衡の首と中尊寺では言い伝えられてきたらしく、首桶が入っていた箱にも忠衡公と書いてあるみたいです。藤原忠衡は平泉町にあった柳之御所にいて、和泉三郎といわれるらしい。
奥州藤原氏の3代目の藤原秀衡は熊野詣に行ってきたらしく、滝尻王子というところには藤原忠衡の出産の伝説があるらしい。
三重県熊野市に大馬神社があって、熊野国の総鎮守らしいけど、HPがある。大馬神社は坂上田村麻呂伝説の神社らしく、坂上田村麻呂が熊野の辺りを荒らす賊を討ち、賊の長の首を埋めたところに創建したことになってるようです。大馬神社のそばには滝があるらしい。
滝尻王子と大馬神社は似てる気がするけど、似てるってだけでは、わからないよなあ。
平泉町の隣の一関市に龍澤寺という曹洞宗の寺があって、山号は里中山です。龍澤寺は藤原忠衡の創建ということになってるみたいです。岩手県南にも中尊寺と毛越寺の他は奥州藤原氏と関係ある寺は、そんなに無い。
明治維新の後の田村氏の田村邦栄という人は宮城県角田市にいた石川家から来た人らしく、戊辰戦争の後に家督を譲ったみたいだけど、再び家督を継いだようだ。田村邦栄の息子の田村丕顕という人は日本赤十字社の創設者の佐野常民の娘を妻にしたみたいだけど・・・。
一関市にある祥雲寺という臨済宗の寺に田村藩の田村氏の墓所があります。田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってるけど、坂上田村麻呂の話も嘘の気がするけど、殺人鬼みたいだなあ、この人たちは。
祥雲寺ですか・・・。
火をつけるか。
岩手県の平泉町にある中尊寺は天台宗の東北大本山で、山号は関山です。中尊寺の金色堂には奥州藤原氏の4代目の藤原泰衡の首が納められていて、ウィキペディアで調べると、藤原泰衡の首は昭和25年(1950年)に調査が行われたらしく、何ヶ所もの切傷や刺傷があって、鼻と耳が削がれていて、眉間と頭の後ろのほうに釘が打たれたような跡があるらしい。
藤原泰衡の首は藤原泰衡の兄弟の藤原忠衡の首と中尊寺では言い伝えられてきたらしく、首桶が入っていた箱にも忠衡公と書いてあるみたいです。藤原忠衡は平泉町にあった柳之御所にいて、和泉三郎といわれるらしい。
奥州藤原氏の3代目の藤原秀衡は熊野詣に行ってきたらしく、滝尻王子というところには藤原忠衡の出産の伝説があるらしい。
三重県熊野市に大馬神社があって、熊野国の総鎮守らしいけど、HPがある。大馬神社は坂上田村麻呂伝説の神社らしく、坂上田村麻呂が熊野の辺りを荒らす賊を討ち、賊の長の首を埋めたところに創建したことになってるようです。大馬神社のそばには滝があるらしい。
滝尻王子と大馬神社は似てる気がするけど、似てるってだけでは、わからないよなあ。
平泉町の隣の一関市に龍澤寺という曹洞宗の寺があって、山号は里中山です。龍澤寺は藤原忠衡の創建ということになってるみたいです。岩手県南にも中尊寺と毛越寺の他は奥州藤原氏と関係ある寺は、そんなに無い。
明治維新の後の田村氏の田村邦栄という人は宮城県角田市にいた石川家から来た人らしく、戊辰戦争の後に家督を譲ったみたいだけど、再び家督を継いだようだ。田村邦栄の息子の田村丕顕という人は日本赤十字社の創設者の佐野常民の娘を妻にしたみたいだけど・・・。
一関市にある祥雲寺という臨済宗の寺に田村藩の田村氏の墓所があります。田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってるけど、坂上田村麻呂の話も嘘の気がするけど、殺人鬼みたいだなあ、この人たちは。
祥雲寺ですか・・・。
火をつけるか。