ととじブログ

書きたい時に書きたい事を書いている、あまり統一感の無いブログです。

はてしない物語 / ミヒャエル・エンデ

2021-04-07 05:18:35 | 本/文学
物語はバスチアンという名の少年があるきっかけで「はてしない物語」と題された本を手に入れてそれを読み始めるところから始まる。
「はてしない物語」はバスチアン少年が読んでいる本、つまり作中作品として描かれている。
この構造はバスチアン少年に読者のお供、物語を読み進めていく上で読者が共感を分かち合うために用意された存在なのか?と想像させる。
しかし読み進めていくうちに、バスチアン少年の役割はそんな軽いものではないことが徐々に明らかになっていく。

また、物語前半では、「はてしない物語」に登場するファンタージエンという世界と現実的な人間の世界は表裏一体の関係にあり、想像力の欠如した人間のせいでファンタージエンが徐々に蝕まれていき、蝕まれたファンタージエンの住人たちがさらに人間の世界に悪影響を与えていくという、簡単に言うと、人間たちは想像力を失ってはいけないのだ!的なことを言いたいのかな?と思ったりするのだが、物語が後半に進むと、そんな単純な話ではないことがわかってくる。

さらには、この物語を書いたのはミヒャエル・エンデでありながら、著者ミヒャエル・エンデを超越した存在によって書かれているものだと読者に思わせる仕掛けがあったりと、非常に重層的な、とても児童文学と片付けることができない壮大な作品となっている。

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ところで、この物語の最後は、
「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。」
という一文で終了している。
この一文は物語途中で何度も出てくる。
出てきながら、当然のように、この「はてしない物語」の中で語られる事はない。

なんかこういうの、最近どこかで聞いた覚えがあるな…と考えてみて、思い出した。
このブログでも記事を書いた舞台作品『はるちゃん、あのね』だ。

『はるちゃん、あのね』のストーリーは割愛して、その部分だけを抜粋すると、
「このイザっちゅう時のために靴底に一万円ば入る習性が後にやえちゃんを救うことになる。ばってんそれはまた別の話」
 
作・演出:鳥皮ささみ
出演:坂田莉咲 今川宇宙 青矢修

これを観たときは「別の話」が語られる機会があるに違いないと思っていたのだけれど、『はてしない物語』を読んだ後の今となっては、語る気などさらさらなく、むしろあなた(作品を観た観客達)が作りなさいと言っているように思えてくる。