GITANESの存在も知らなかった頃。
それとは無関係に・・・。
洋食の対義語が和食だと仮定できるとして、
それでも「洋食屋」の対義語は存在しないような気がする。
それほど洋食屋という語感は特別なものである。個人的に。
昔々のことだ。
生まれ育った場所付近には洋食屋が3軒あった。
Uという店、Mという店、そしてたまに行く木村屋という洋食屋である。
ちなみに、Uという店は代替わりをしてまだ営業しているらしい。
私が3,4才~7,8才ぐらいの頃
木村屋には連れていってもらっていた。
2階建ての建物で1階は肉屋とパン屋、2階がその洋食屋だった。
階段を上がると、それほど新しくはないテーブルや椅子、カウンターがあったから
その当時から老舗だったのかも知れない。
いつも明るい時間帯に連れられたから、大きい窓から陽が入り
床も壁も天井も古びていたが店内は明るかった。
とんかつ、ハンバーグ、エビフライと
定番のものはひととおり揃っていた。
私のお気に入りはハンバーグで、当時の私にとっては世界で一番大きく、
そしておいしかった。
もちろんその頃の私の「世界」とは「町内」とほぼ同義だった。
記憶に残る店内の光景では、いつもそれほど混みあっていなかった。
満席だったことはなかったように思う。
ハンバーグ以外のお気に入りは、おとなサイズの
つまり普通のオムライスだった。
ごはんはきっちりあかいケチャップのチキンライス。
タマゴは現代幅を利かせているような、
ドロドロズルズルグチャグチャの軟弱なものではなくて、
あくまでも硬めのたまご。風呂敷の代わりに
歳暮に持っていく丸大ハムの箱でも包めそうな
頑丈なたまごで、火を通し過ぎ気味なのだろうがたまごの端は
ブツブツと穴があいたような見た目で、焦げかけの褐色だった。
まるでそこだけヴィンテージのレース編みのようだった。
仕上げにてっぺんには楕円形にかけられたケチャップ。
そしてそれが私の脳に「あるべきオムライスの姿」として刷り込まれた。
フワフワトロトロなんて代物は、オムライスというべきものではなくて
タマゴかけごはんに過ぎない。
トンッ、と
目の前の白とピンクのチェック柄のテーブルクロスがかけられたテーブルに
オムライスが置かれる。
まだ湯気といい匂いがこれでもか、と出ていた。
スプーンを包む紙ナプキンを外し、スプーンの背で
トッピングのケチャップを薄く薄く伸ばした。
スプーンを突き刺すと割れるように分かれるたまごが頼もしい。
たまごをスプーンで刺し、中身のチキンライスの山を崩しながら
無言で一所懸命食べた。早く食べないと途中でお腹いっぱいになる。
そうしたら残してしまう。残すにはあまりにも惜しい。
その日その瞬間は、私にとって世界とはそのオムライスのことであって、
その他のことなどどうでもいいことだった。
「それ」がすべてだったのだから、必死に食べるのは当たり前だ。
おとなサイズのオムライスを完食した。
スプーンを包んでいた紙ナプキンを広げる。
そこには「木村屋」という店名と、どういう訳かドナルドダックが
プリントされていた。まさかディズニーと木村屋が提携していた訳じゃないだろうから
勝手にやっていたのだろう。
その紙ナプキンで口の端のケチャップを拭くことがどうしてもできなかった。
何やら「とっておかなくては」と感じた。
口の端は、テーブルの端にあた無地の紙ナプキンで拭いた。
とっておこうと思った紙ナプキンなのだから、どのような場合でも
「何かを拭く」ことはできない。そして捨てられない。
とりあえずどこかにしまっておこう。
その当時、親がいうところによる「ガラクタ入れ」
私からすると「宝箱」があった。
頂きものの風月堂ゴーフルが入っていた缶容器だった。
そこに紙ナプキンを入れた。
そこにはいつのものだったかわからないようなキャンディーの包み紙や
変な形のクリップ、何かの半券、兄からもらったピンバッジ、
拳銃のキーホルダー。書けなくなったボールペン・・・
とにかく色々入っていた。色々入っていたから宝箱だったのだろう。
その紙ナプキンをそこにいれたということは、
宝物が1アイテム増えたということになる。
やがて自分の「世界」が「町内」という枠を超え、
宝箱は自然と必要ではなくなった。
宝箱の中身は散逸した。
しかし、どういう訳かドナルドダックの包み紙は
ずっと持っていた。なぜか成人してからもずっと持っていた。
ということは、その間に経験した引っ越しでも処分しなかったということである。
デスクの、野比家ならドラえもんが出たり入ったりする薄い引き出しの
中に長い間、あった。
もうその頃住んでいた生家も、その後に引っ越しした先の「実家」も取り壊され
更地である。
洋食屋・木村屋も建物は残っているが、随分昔に閉店したようだ。
ドナルドダックの紙ナプキンも、ついに口の端も何も拭かないまま
どこかへ行ってしまった。
そして世の中はフワフワたまごのオムライスばかりになってしまったようだ。
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