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『太平記~鎮魂と救済の史書』を読んだ

2005年06月27日 | 読書ノート
太平記―鎮魂と救済の史書

中央公論新社

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松尾剛次著『太平記』を読んだ。言うまでも無く,『太平記』は室町期の動乱をえがいた史書である。時代の区切りで大きく三部に構成されるこの史書の主人公は,没後も霊として登場しつづけた後醍醐天皇であると著者は考えられている。(以下に,同書P3から構成を一部略述引用)

【第1部】
 後醍醐天皇の即位に始まり,鎌倉幕府執権北条高時の悪政と後醍醐天皇の倒幕活動,楠木正成,足利尊氏,新田義貞らを味方にして元弘3(1333)年5月の鎌倉幕府の滅亡まで
【第2部】
 後醍醐天皇による建武政権の発足,建武新政の失政ぶりとそれにともなう建武政権の崩壊開始,足利尊氏の離反,いったんは敗れて九州に逃れた足利尊氏による九州での勢力挽回と北朝の擁立(1336年8月),楠木正成の敗死,後醍醐天皇の吉野での南朝樹立(1336年12月)をへて,新田義貞の敗死,延元3(1338)年の後醍醐天皇崩御まで
【第3部】
 足利尊氏と直義兄弟の対立など足利政権の内訌と北朝守護大名の抗争,それに乗じた南朝勢力の進出と敗退をへて,貞治(1367)年12月の二代将軍足利義詮の死をうけて,細川頼之の補佐を受けた足利義満の登場まで

 なんか歴史の勉強みたいでいやになりますが,構成はともかく,面白かったのは「怨霊の存在」で「怨霊の物語」として『太平記』を読むという視線である。『太平記』の記事は,ややもすると,宮方の廷臣の夢物語にすぎないとされるが,

「古代・中世の人々にとって夢は,神・仏と交渉する回路と考えられ,夢で見たものは神・仏のメッセージと考えられたのである。(同書P28)」だそうだ。また,「日本中世の時代の仏教は怨霊と大いに関係があり,仏教に対しては,それを祈祷や寺院を建てることなどによって慰撫することが期待されていたのである。第三部において,後醍醐ほかの怨霊の跳梁が描かれたことは,非条理などではない。勝者は,敗者の怨霊を鎮魂しなければ,害をなされるという,仏教的な因果応報論に基づいたものである。(同書P101)

 そして,

「古来,我々は,『平家物語』をはじめ,この『太平記』などのように,大規模な戦争があると,戦後にそれを物語として語ってきた。『平家物語』は,琵琶法師によって,『太平記』は太平記読などによって日本のあちこちで語られてきたのである。それらは,戦争の悲惨,非業な死などを見聞きした人々によって,戦争にさいして死んだ人々を鎮魂を第一義として成立したと考えられる。それらによって人々は,戦争で死んだ人々を鎮魂し,戦争の傷を癒してきたのだ。ようするに,戦争の悲劇をひとまず納得し戦争を精神的に総括してきた。(同書P161)

 さらに,

「(一部には「長崎の鐘」のような鎮魂歌もあるが・・・),戦後の我が国には,『平家物語』,『太平記』のような鎮魂のための壮大な国民的叙事詩,「第二次世界大戦物語」をもっていない。どうも,そこに戦後の総括がまだ終わらないと感じさせる理由の一端がありそうだ。それは戦争を賛歌,賛美するためではなく,むしろ将来の平和の決意を国民が再認識するために必要なのではあるいまいか。(同書P162)

 と結ばれている。重たい提言である。随分考えさせられた。








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