釈迦は、あくまでも、人間に焦点をあてたことです。
ここに、西洋の宗教哲学との究極的な相違があるのです。
西洋哲学における神の存在は、人間とは次元が異なる崇高な存在です。
一方、仏法哲学は仏、つまり仏性の存在は、人間の生命の内部に存在していると説いているのです。
これほど、人間そのものを肯定する哲学・理念は、西洋などの宗教の究極的な教えには存在しません。
つまり、あくまでも仏法は人間中心主義なのです。
しかも、男女はあくまでも平等な立場です。
慈悲や智慧を説いたことも、「人間の善性」に焦点を当てている証なのです。
そして仏法は、対話をあくまでも重要視しています。
これは、不戦の思想に通じるものなのです。
人間肯定(善性)は、自分の無限の可能性と他者の可能性、そして共の幸福の実現を示唆するものです。
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