二度目の死刑確定後に寝屋川事件・山田死刑囚がつづった獄中手記

2021年01月12日 21時05分18秒 | 事件・事故

1/12(火) 18:54配信


2020年12月1日に死刑確定者の身分に

山田浩二死刑囚の手紙(イラストも)

〔はじめに〕いかに掲載するのは、2020年12月1日に二度目の死刑が確定した寝屋川中学生殺人事件の山田浩二死刑囚(獄中結婚して、現在の名前は水海浩二)が大阪拘置所で書いた手記だ。執筆したのは12月15日。既に死刑確定処遇に移されているため、妻と弁護士以外とは面会も手紙のやりとりも認められないという状況下で書いたものだ。
 相模原事件の植松聖死刑囚もそうだが、外部交通権が制限されるため、確定死刑囚の声が外部の社会に伝わる機会はほとんどない。死刑囚の実態はブラックボックスに置かれているのが実情だ。
しかも山田死刑囚の場合は、二度の死刑確定という極めて異例の経緯を経て現在の処遇になっており(その詳しい経緯についてはこれまで何度も報じてきたので割愛する)、その現実を知ることは社会的意味も大きい。その手記を全文、ここに掲載する。
 なお掲載した写真は山田死刑囚の手記の現物だが、描かれているイラストは最後に書かれている妻との関係をイメージしたもののようだ。      (編集部)


 今これを書いているのは12月15日火曜日だ。僕が死刑確定者への法的身分に資格異動して丸2週間が過ぎた。
 そう…12月1日の火曜日の午前中に弁護士面会があり、それが終わって、弁護士室から居室に戻ったのが午後12時過ぎだった。居室に戻り昼食の準備をしようと思っていた時に、いきなり普段あまり見ないような金線の偉いさんクラスの職員が僕の居室まで来て「ちょっと出て来て! すぐ終わるから…そのままでいいから…」と、約2年程前どっかで聞いたようなセリフを言われた。
 その瞬間そのセリフの意味、そしてこれから何が起こるのか、本能的に感じた。正直その瞬間「マジかぁ~!と思った」。今さっき弁護士の先生から面会時に「今の身分は?」と聞かれ「まだ未決の身分です」と答えてきたばかりなのに、めっちゃ最悪……。時計の針を巻き戻したい気分だったが、巻き戻せないのが現実やし、巻き戻したって何も変わらないだろう。

 その後僕は調べ室まで連行され、そこで僕の法的身分が死刑確定者になると言い渡された。人の人生でリアルにこのような言い渡しを受ける事なんてほとんどないが、僕は2019年5月28日に続き、生涯2度目の死刑確定を言い渡された。こんなん全然自慢にならへんけど…。そういえばあの日も火曜日やったなぁ。告知された時間は朝食後やったけど…。こんな自慢にもならず有難みもない言い渡しを2年連続で受ける事になるなんて、マジ、シャレにならへん。「身から出た錆」「自ら蒔いた種」「自業自得」……それを言われたら返す言葉はないけど、あぁ…。
 2020年3月に2度目の控訴を取り下げてしまってまたひとつ僕の人生の中に「後悔」という言葉を刻んでしまってから、もしかしたらまたその時はやって来るのでは? と想定することがあったけど、正直ないと信じてこれまで生きて来た。今の僕は一人の身ではないし、僕が歩む道はこの道の方ではないと信じてたけど、また進むべき道を間違えてしまった。  
 けどその道のアスファルトに一歩足を踏み締めてしまった以上、今は回れ右する事は出来ない。回れ右前を進め! 1! 2!の号令が聞こえない限り間違った道に向かって、僕の両足はたがいちがいに歩き出すことになる。

 怖くないと言えば嘘になるけど、立ち止まっている暇なんて僕にはない。むしろ僕だけの意志で立ち止まることなんか出来ない状況。僕一人だけの問題ではなくなっている訳だから、軌道修正を良い形で出来るように前進していくしかない。曲がりくねりの険しい道のりになると思うけど、その道の先に待っている幾つもの小さな光に向けて進んで行こう。
 今はまだ小さな針の穴のような光やけど、少しずつ大きな光となるようにしたい。光の奥にあるその景色をこの僕の2つの目で見るまでは、まだまだ国家に殺される訳なんていかない。まだ遠過ぎて見えないけれど、たがいちがいに歩き出した僕の両足で一歩ずつ確実に、ただそれだけを信じて行く。

自分が置かれた状況を知らせることもできない状況
 僕は歌が大好きだから大好きな歌達が色々と教えてくれる。元気になれる歌、明るい歌、暗い歌、笑顔になれる歌、泣いてしまいそうな歌、思わず踊りたくなりそうな歌、人生を教えてくれる歌……世の中にはたくさんの歌がある。もともと歌の好きな親の子と生まれたので、小さな頃から僕の生活や人生はたくさんの歌を聴き、そして唄って育った。今年で生まれてから50年過ぎた。この50年間いろんな事があったが、どんな時にも僕の周りには歌があった。ない時は自ら唄ってきた。心の中や脳内では常に色んなMelodyが流れていた。そのMelodyに支えられたり励まされたり……。
 今、僕は外部交通が制限されている。12月1日に資格異動となり外部交通申告書というのを書かされ、死刑確定後の外部交通が出来る手続きを申請しているが、それから丸2週間経つ。今もその審査の結果が出ていなくなくて、結果が出るまでは保留という状況で、事実上外部交通が止まっている状況だ。

 死刑確定者の身分になると書籍や雑誌、ネットコピーの差し入れは認められないが、現金や郵券、寝具や衣類、拘置所窓口からの日用品や飲食物なら差入れは認められるので、それに対する「礼状発信」と妻と弁護士の先生「条件付き」のみ”特別”に外部交通が認められている。
 それ以外は親族でも現段階では外部交通が認められていない。審査の結果が出れば、外部交通が認められた者とは面会や手紙のやり取り、書籍や冊子、ネットコピー等の差入れも認められる事になるけど、現在保留状態が続いており、どうする事も出来ない。弁護士の先生宛や妻宛ての手紙にせめて親族だけでも、今このような状況で外部交通が保留状態になっている…と報告して欲しいけど、それを書くと”伝言”となるからアカン、消せ!と毎日の様に死刑確定者の処遇を受け持っている副看守長2人組から指導される。

 伝言とちゃうことでも伝言に該当するだとかネチネチ…僕の手紙記載内容についての荒探しをして来る。そして荒を探しては揚げ足を取って来る。
 何を書いても伝言にされるので、いいかげん早く申請した申告書の審査結果を告知してくれたらいいのに。もう資格異動となり丸2週間が過ぎたのに…マジ遅過ぎる。親族側からすれば12月1日以降、僕からの手紙がなく、すごく心配しているだろう。何かあれば弁護士や妻を通じて近況報告が出来れば、今僕がおかれている立場や状況を報せる事が出来るし、相手方も「今は審査中やから浩二から手紙は出せないのか」と理解してもらえるのに…それすら許してくれない。一部抹消、一部抹消、一部抹消……完全なる嫌がらせの放置プレイと揚げ足取りからの発信妨害…。

死刑確定後に1室に転室
 12月1日に資格異動してから、これまで生活をしていた居室フロアから死刑確定者を収容する居室フロアに転室となった。まぁ転室は仕方無いとしても…。僕はこの日身分が未決から死刑確定者に変わったが、決して調査や懲罰になった訳でもなく、平穏に落ち着いて生活を送っている方だが、確定後の新しい居室は1室だった。現在大阪拘置所の新棟の居室フロアは1~36室まであるが、どの居室フロアでもこの1室というのはいわゆる「電波系」「粗暴認定」「ガチ自殺未遂」「保護室の常連」…と呼ばれる、問題児で痛い奴専用居室と指定されている。そんなヤバい居室に転室されてしまった。
 この居室、僕はもちろん今回初めてだが、備付されているはずの鏡や本棚、タオル掛けがなく、天井にはもちろん24時間監視カメラがLock onしてるし、床はこれからの季節には冷た過ぎるフローリングの木製、机はダンボール、そして転室の際に私物検査をやられ、キャリーバックの中身は空っぽ。キャリーバックに収納していた衣類や大量の裁判関連書類、書籍等の私物は総てコンテナの中に詰められ、そのコンテナが山積み状態のまま居室内に放置されていた。
 居室も汚く壁は真黒、便所は茶色い何かがこびりつき悪臭を放っている。また居室の隅には埃の山や妖怪チン毛散らしの仕業なのか…。なんせひどい居室だ。僕は保護室に連行された事はないが、多分保護室より不潔な部屋だと思う。ただ法的身分が変わっただけなのに…。
 さすがにこの居室はムリだと判断し、死刑確定者の処遇を受け持つ職員に、別の居室に変えて欲しいと頼んだが「最初はこの部屋で我慢しろ! 最初はみんな一緒や!」と言ったのでそれに対して「昨年(1回目に控訴を取り下げて死刑判決が確定してしまった時)はこんな部屋ちゃうかったで!」と返したら「真面目に生活しとけ!」と捨てゼリフを残し、どっかに行ってしまった。
 都合悪くなったらすぐ逃げる…こんな奴にこれから面倒を見てもらうのか? と思うと…。悪い人ではないんやけど、やはり死刑確定者の生活処遇を受け持つ担当である以上、情を持って接したら万が一刑が執行された時に辛いだろうし、そういう計算もあるんだろう。この職員とは僕が20代の初犯だった頃から知っているが、当時はここまで冷たくなかった。 
 まぁ今更何を言ってもど~する事も出来ないし、しつこく言えば反抗だの担当抗弁だのいちゃもんをつけられ調査にされ、ますます生活水準が下がってしまうので我慢するしかない。
 この日は外部交通申告書を記載して提出したあと、居室内の大・大・大掃除をして私物の整理整頓をした。間に入浴があったが、入浴後も大掃除は続き、なんとか夕食前には大掃除を済ませたが、12月に筋トレ以外で風呂上がりなのに、めっちゃ汗をかいたわ! 便所がガチで臭過ぎるので窓も開けっぱなしで、本来なら冷たい風が入って来て寒く感じるはずなのにめっちゃ暑かった! 壁や天井も全部きれいに拭き取った。便所もクレンザーとシャンプーで数回洗い、見た目はピカピカになったけど、悪臭は何故か取れず(泣)、12月なのに窓は開きっぱなしで今も過ごしている。寒いけど悪臭まみれの匂いには耐えられそうにもない。
まあそんな感じで日々が始まり、今日で丸2週間経ったが、この2週間にも色々な出来事があった。ほとんど嫌な出来事だったが、自分自身を守る為、またこんな僕の事を心配してくれている大切な人達の為に辛抱して耐えてきた。

やはり一番辛くて嫌なのは外部交通が審査中ということで保留状況となっており、宙ぶらりんな日々が続いているのがたまらない。年賀状の受付締め切りだった12月4日にも間に合わず、気が付けば2020年の12月も折り返しだ。年賀状の受付締め切りについては,
審査結果が出たら特別に認めてくれるらしいが、死刑確定者は10枚までなので10枚を超過する分は通常の発信枠で処理されるので下手したら間に合わない可能性も…。
そして何より妻と弁護士以外の親族に対して近況報告すら認められず、それを妻や弁護士に報せてもらう事すら許されない。「死刑確定者は外部からの交通を遮断することが基本」というのが拘置所側の言い分らしい。なので審査結果が出ても認められるべき親族すら認められない可能性が高い。実際、昨年に死刑確定者になった時も、リアル親族の実の妹が認められなかった(その後追加申請を繰り返しなんとか許可となった)。
死刑確定者の処遇改善は山程あるし、何より日本から死刑制度を廃止しなければならない。死刑制度はつまりは国家の殺人行為であり、刑の執行を行うのは法務大臣でもなく、何の罪もない拘置所職員である。死刑という名の国家殺人を行う為に刑務官になった人なんていないだろう…。死刑囚イジメや嫌がらせ、人権侵害を楽しんでいる馬鹿職員はこの大拘にもたくさんいるが、処刑場まで連行したいと思ってる鬼畜はいないと僕は信じたい。
その為にも僕は2020年を死刑廃止の年にしようと思い僕に出来る範囲でActionを起こしてきたが、まさかの死刑確定者の身分に戻り、またほかにも日本で死刑確定者人の資格異動を止められなかった。まだまだ日本から死刑を廃止するのは厳しいかも知れないが、僕が生きている間、2021年までには完全に日本から、死刑を廃止出来るようにしたいと考えている。

私物処分の指図に「死刑執行が近いのか」と思う
 12月11日の金曜日にいきなり統括や居室フロア担当副看守長、死刑確定者の処遇を受け持っている副看守長らが僕の居室に来て「本日からおおむね1カ月以内に私物の宅下げ又は廃棄をすること」と告知を受けた。まだ外部交通の相手も決まっていないのに親族に宅下げの手続きをするように…と言ってきた。現段階では親族には宅下げは認められていないのに…まじウケる。つまりは私物はとっとと廃棄しろ! ということだ。
 僕の居室は大量の裁判関連の書類が多くて山積みに積んでいて以前から「私物や書類を減らせ」と言われて来たが、裁判所類は保管私物の限度量とは別扱いになるはずなのに、それを知らない馬鹿共が年末年始のこの時期に、それも外部交通者も決まっていないのに、私物を処分しろとか一丁前に指示してきた。もう二度も死刑が確定し、控訴審の再開への道は厳しくなったので、裁判書類なんて不必要だと判断されたんだろう。

 私物について処分しろ等と指図してきたってことは刑の執行が近いのかな? なんて考えてしまう。自ら控訴を取り下げた場合は優先的に選ばれると聞いた事があるけれど、僕の場合はそれを二度行っているので最優先で選ばれる可能性が高いのは、拘置所側もある程度把握しているはずやし、もし死刑が執行されてしまったら僕が遺した居室内の私物はその瞬間から遺品になる訳で、遺品の処理をするのは当然職員であり、書類等が多ければその分処理の手間が増える訳で、その為に刑執行前に私物を処分させたいのだろう、僕自身に…。 
 そんな事を考えると、僕の私物が遺品となり汚い職員の手で触られたりするのは嫌なので、もう今のうちに居室内にある私物、レターセット以外は総て廃棄してやろうか? と考えている。そうすれば、私物の件でネチネチ…といちゃもんや嫌がらせを受ける事はないだろう。
“衣食住”総て官物にさせたい職員の思い通りにはなりたくないけど、今の僕は一人の身ではない。外部交通は出来なくなるけど、僕の事をずっと心配してくれる応援支援者の人達もいるし友人知人だっている。親族だっているし、僕の事を選んでくれた命より大切な妻の存在がある。知人や親族との絆そして妻との愛、それだけで十分だ。
 獄中婚についての誹謗中傷もあると思うが、それが何? こういった愛の形だってあるし、遠く離れているけど、心の中ではいつも一緒やし、妻の存在が僕を強くしてくれる。この想いを忘れず、妻や養母養子の存在を心の支えにして、これからもしっかり生きる。
 僕は負けない。諦めない。負けたら諦めたらそこで終わってしまう。残りの人生悔いなくNever give upの精神で頑張って生きて行く。悔しい事や寂しい事も多く、泣きたくなる時もあるが涙はガンジス川に流して、望む形での次のStepに向かってしっかり生きるから……。

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