桜坂には、とても悲しい思い出もあった。
その桜坂の道沿いには、巡査の家族が住む派出所があった。
それは、昭和年25年の春の事であり、北村清治の子ども心をに深い影を落としたのだ。
ある日、米軍兵士がジープで通りかかり、道端に居た子どもたちにチョコレートを配るのである。
そのジープは多摩川方面からやってきた。
清治たちは、生まれて初めて口にするチョコレートの甘い味とその何とも言えない不思議な香りに目を丸くするばかりであった。
それから、子どもたちは、米軍兵士のジープが來るを心待ちにしていた。
だが、心外にもそのジープによって、日本の若い女性が拉致されたのだ。
女性の甲高い悲鳴に子どもたちは唖然とする。
ところが、二人の米兵に女性が拉致されことを目撃した派出所の巡査が、ジープの前に身を挺して立ち塞がる。
それは一瞬の出来事であり、巡査は大きく跳ね飛ばされ桜坂の路上に激突する。
うつ伏せとなった巡査は、みるみる流れる血に染まっていゆく。
元は憲兵隊員であった水島勝治巡査は気の毒にも即死であった。
子どもたちは皆、ただただ茫然とするばかりであり、何とも気の毒に巡査は北村清治の東調布小学校の同級生の水島聖子の父親だった。
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