東京電力女性社員殺害事件

2024年07月11日 12時35分44秒 | 事件・事故

事案の概要

日弁連(日本弁護士連合会)

1997年(平成9年)3月19日、東京都渋谷区にあるアパートの1階(本件現場)で女性の死体が発見されました。

 

その後の捜査により、被害者は東京電力に勤務していた30代の女性社員であることが判明しました。被害者は、以前から会社勤務の傍ら、勤務終了後に東京都渋谷区円山町界隈で深夜まで売春をするという生活を続けていました。ところが、被害者は、同年3月8日に自宅を出た後、同日深夜に本件現場付近で目撃されたのを最後に行方が分からなくなっていました。

 

司法解剖の結果、被害者の死因は頸部圧迫による窒息死と推定されました。また、膣内には精液が残っており、精子の存在が確認されました。さらに、被害者の所持品を確認したところ、被害者が財布の中に入れていたと思われる4万円がなくなっていました。したがって、被害者は、同年3月8日の深夜に本件現場で殺害され、その際、犯人が少なくとも現金4万円を奪い去ったものと考えられました。

 

被害者の遺体が発見された部屋

 

この事件の犯人とされたゴビンダ・プラサド・マイナリさんは、ネパール国籍の外国人であり、在留期限を過ぎて不法残留となった後も千葉市内のインド料理店で働いていました。

 

被害者の死体が発見された1997年3月19日、マイナリさんは、勤務先から自宅のアパートに帰宅したところで、警察官から事情聴取を受けました。その後、マイナリさんは、同年3月23日に出入国管理及び難民認定法違反(不法残留)の容疑で逮捕されました。

 

ところが、マイナリさんは、不法残留容疑で逮捕された直後から、殺人事件についても厳しい追及を受け、それは不法残留の件の起訴後も続きました。マイナリさんは、殺人事件への関与を一貫して否定していましたが、同年5月20日に被害者に対する強盗殺人の容疑で再逮捕され、同年6月10日には強盗殺人罪で起訴されました。

 

経過と問題点

2000年4月14日、第一審(東京地方裁判所)の判決が言い渡されました。

 

判決は、現場の便器に残されていたコンドーム内の精液や、現場から発見された陰毛がマイナリ氏のものであることなどから、マイナリさんが犯人である疑いがあると指摘しました。ただ、その一方で、それは事件発生日とは別の機会に被害者と性交した時のものである可能性を否定できないとも述べました。さらに、マイナリさんを犯人とするには合理的に説明できない4つの疑問点があるとも指摘しました。その上で、「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の鉄則に従い無罪判決を言い渡しました。

 

これに伴い、マイナリさんは、勾留を解かれ、そのままネパールに強制送還される予定でした。

 

ところが、検察官は、無罪判決に対して、事実誤認を理由に控訴するとともに、マイナリさんを再び勾留するよう裁判所に請求しました。そして、控訴審(東京高等裁判所)は、第一審で無罪判決が言い渡されたにもかかわらず、実質審理の開始前である同年5月8日、マイナリさんを再び勾留したのです。

 

その後、控訴審(東京高等裁判所)は、同年12月22日、解明できない事実があることを認めつつも、7つの間接事実を総合すれば、マイナリさんが犯人であると認められると判断し、マイナリさんに無期懲役の有罪判決を言い渡しました。

 

これに対し、マイナリさんは最高裁判所に上告しましたが、2003年10月20日、上告が棄却され、マイナリさんに対する有罪判決が確定しました。

 

その後、マイナリさんは、2005年3月24日、東京高等裁判所に裁判のやり直し、再審請求の申立てを行いました。2009年11月以降、定期的に裁判官・検察官・弁護人による裁判の進行についての協議が開催されるようになりました。その中で、弁護団が繰り返し証拠開示、とりわけ現場に残された客観的な痕跡に関する証拠の開示を求めたところ、裁判所の積極的な訴訟指揮もあって、現場に残された陰毛等や被害者の膣内に残っていた精液が存在することが明らかとなりました。

 

そこで、弁護団がこれらの証拠物についてDNA型鑑定を実施するよう求めたところ、裁判所の強い要請により、検察官が依頼してDNA型鑑定を実施することとなりました。その結果、被害者の膣内に残っていた精液や、本件現場に残された陰毛から、マイナリさん以外の男性(X)のDNA型が検出されたのです。このことは、Xが事件当日、現場において被害者と性交して、その後、犯行に及んだ疑いが強いことを示しています。

 

しかも、その後、検察官から新たに証拠が開示されたのですが、その内容は驚くべきものでした。被害者の唇や乳房に付着していた唾液の血液型はO型だったのです。マイナリさんの血液型はB型で、Xの血液型はO型です。このように、マイナリさんが無実であることを示す証拠が再審段階まで隠されていたのです。

 

このような審理の結果を踏まえ、2012年6月7日、東京高等裁判所は、再審開始を認めるとともに、マイナリさんの刑の執行を停止する決定をし、マイナリさんは釈放されました。これに対しては、検察官から不服申立て(即時抗告に代わる異議申立て)が行われましたが、同年7月31日には検察官の異議申立ても棄却されました。

 

その後、やり直しの裁判、再審公判が開かれ、同年11月7日の再審公判期日で、第一審の無罪判決に対する検察官の控訴を棄却する判決が言い渡され、ようやく無罪判決が確定しました。

 

再審開始決定当日の様子

 

この事件では、再審請求の段階で、弁護士に開示されていない重要な証拠を捜査機関が保管していたことが明らかになり、その証拠についてDNA型鑑定を実施したことが再審開始の決め手となっています。しかし、現在の法律では、弁護士が捜査機関の保管する証拠の開示を請求したり、その証拠についてDNA型鑑定を実施することを請求したりする権利は保障されておらず、このようなことが実現したのは、たまたま熱意のある裁判官に当たったからにすぎません。

 

その意味で、この事件は運がよかったといえますが、正義の実現が運に左右される状況を放置しておくことはできません。えん罪被害者の速やかな救済のためには、必要な証拠が開示されるよう、再審請求手続における証拠開示の制度化は不可欠です。

日本大百科全書(ニッポニカ)

1997年(平成9)3月19日夕、東京都渋谷区円山町(まるやまちょう)のアパート1階の空き室で、39歳の東京電力女性社員の他殺死体が発見された事件。近くに住んでいたネパール人男性が無期懲役判決を受けたが、その後の新たなDNA型鑑定の結果、再審が認められ、無罪が確定している。
[江川紹子]

事件発生~有罪確定

被害者は、3月8日深夜から9日未明にかけて、この空き室で首を絞められて殺害されたとみられ、財布から1万円札が抜き取られて小銭だけが残されていた。
 このアパートに隣接するビルで、ネパール人の仲間4人と共同生活をしていたゴビンダ・プラサド・マイナリは、警察官に事情を聞かれた後、不法残留で検挙されて国外に退去強制の処分となることを恐れ、仲間とともに一時ウィークリーマンションに身を潜めた。しかし、本件に関連して警察が自分たちを探していると知り、3月22日、自ら警視庁渋谷警察署に出頭した。入管難民法違反(不法残留)で逮捕・起訴され、東京地裁で懲役1年執行猶予3年の判決を受けた5月20日、本件の強盗殺人罪容疑で再逮捕された。
 ゴビンダと事件を直接結びつける証拠はまったくなく、捜査段階での自白もない。裁判で検察側は、アパートの便所に捨てられていた使用済みコンドーム内の精液から被告人のDNA型が検出された、現場から採取された毛髪のうち1本のDNA型が被告人と一致した、などの状況証拠や間接事実によって、有罪を立証しようと努めた。
 これに対し東京地裁は、ゴビンダは現場付近で売春を行っていた被害者の客になったことがあり、コンドームがそのときのものであることを否定できない、現場には第三者の毛髪も落ちていたことから、ゴビンダの毛髪があるからといって犯人であると決めつけられない、などと指摘。さらに、被害者の定期入れが、ゴビンダにはまったく土地勘のない豊島区巣鴨(すがも)の民家の敷地内から発見されたことなどの疑問点もあげ、犯人であるとするには合理的な疑いが残るとして無罪とした。
 しかし、検察側の控訴を受けた東京高裁は、コンドーム内の精液は、事件当日ごろのものと考えて矛盾はない、ゴビンダが事件の1週間から10日前に被害者の客となり、そのときにコンドームを捨てたという供述は、売春相手を克明に記した被害者の手帳の記載に照らして信用できない、などとして、一審判決の事実認定を覆して逆転有罪判決を下し、無期懲役刑を宣告した。定期入れの発見場所についての謎(なぞ)など、一審が指摘した疑問点が残されたが、「(だからといって)被告人と本件との結びつきが疑わしいことにはならない」として、問題視しなかった。
 2003年(平成15)10月に最高裁が上告を棄却し、高裁での有罪判決が確定。ゴビンダは横浜刑務所で服役を開始した。
[江川紹子]

再審請求~再審

弁護団は、2005年3月に東京高裁に再審請求を行った。2009年になって同高裁は、弁護団の求めに応じ、幅広い証拠開示とDNA型鑑定可能な試料の適切な保管を検察側に要請。その後、同高裁は現場から採取された試料のDNA型鑑定の実施を検討するよう、検察側に求めた。
 2011年7月、東京高検が依頼した法医学者による鑑定結果を弁護側に開示。それによると、被害者の体内から採取された精液のDNA型はゴビンダとは一致せず、現場に落ちていた毛髪のなかの1本(試料番号376)と一致していた。血液型は、いずれもゴビンダ(B型)とは異なるO型であった。
 その後、被害者の胸に付着した唾液(だえき)がO型であることを示す鑑定結果が、裁判の段階で証拠開示されていなかったことが判明。弁護側のみならず、これを報じるメディアからも、検察側は自分たちに不利な証拠を隠していたのではないかと批判が起きた。
 検察側の新たな鑑定の結果、この唾液からも試料376と同じDNA型が検出されている。そのほか、被害者の下着、唇(くちびる)、下半身、両手指の爪(つめ)、コートなどの付着物からも、試料376と同じDNA型が検出された。
 2012年6月7日、東京高裁第4刑事部は「『376の男』が犯人であると強く疑われる」として、再審開始と刑の執行停止を決定。ゴビンダは刑務所から釈放されて、身柄を出入国管理局の施設に移され、8日後にネパールに向けて出国した。
 東京高検は、再審開始決定に異議を申し立てたが、東京高裁第5刑事部が異議を棄却。検察側は最高裁への特別抗告を断念し、再審開始が確定した。この再審は、一審無罪を逆転有罪とした控訴審のやり直しである。
 再審公判は1回で結審し、検察側は一転して「被告以外の者が犯人である可能性を否定できず、被告を有罪とは認められない」と、無罪を主張した。高裁での審理には、被告人に出頭義務はないため、ゴビンダは出廷しなかった。
 2012年11月7日、東京高裁は控訴棄却の判決を下し、一審の無罪判決を支持。東京高検が上訴権放棄を申し立て、無罪が確定した。
[江川紹子]

 

無罪判決後の再勾留

本件では、一審の無罪判決後の身柄拘束についても問題になった。
 刑事訴訟法の規定により、無罪判決が出された場合、被告人の身柄を拘束している勾留状は効力を失う。そのため、無罪を言い渡された被告人は釈放される。ゴビンダの場合も、無罪判決後は勾留を解かれ、不法残留による退去強制手続きを進めるために、身柄は入管施設に移された。これに対し、「出国したら、控訴審で有罪になった場合に刑の執行ができなくなる」と考えた検察側は、原審の東京地裁と東京高裁に勾留の職権発動を求めたが、裁判所はいずれも認めなかった。それでも検察側は、訴訟記録が東京高裁の本件担当部に届いた後に、三度目の職権による勾留状の発付を請求した。
 高裁の第4刑事部は、再勾留を決定。ゴビンダの身柄は、東京拘置所に戻された。さらに最高裁第一小法廷も、「第一審裁判所が犯罪の証明がないことを理由として無罪の判決を言い渡した場合であっても、控訴審裁判所は、記録等の調査により、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認めるとき」は勾留できるとして、弁護側の特別抗告を退けた。ただし、同小法廷の5人の裁判官のうち2人は、これに反対する意見を書いている。
 この問題は、在留資格を有さない外国人を追い出すための入管法に基づく行政処分と、被告人を逃亡させないための刑事訴訟法に基づく身体拘束処分との関係を調整する規定がなく、アメリカと韓国の2国以外とは犯人引渡し条約を結んでいないために起きたものである。本件の後も、一審で無罪判決を受けた外国人被告人が、控訴審段階で勾留決定される事例が相次いでいる。その後の事件でも、最高裁は「無罪判決の存在を十分に踏まえて慎重になされなければならない」としながらも、再勾留を認めている。
 一方、日本弁護士連合会は、「判決で無罪の言渡しがあったときは、上訴審において原判決が破棄されるまで、新たに勾留状を発することはできない」との条文を刑事訴訟法に新設すべき、とする意見書を発表している。
[江川紹子]

 

事件の流れ

1997年平成9年)3月19日午後5時すぎ、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で、東京電力株式会社(当時)本店に勤務する女性(当時39歳)の他殺遺体が発見された。通報したのは、このアパートのオーナーが経営するネパール料理店の店長であった。

のちに被告人となるネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ(当時30歳)はこのアパートの隣のビルの4階に、同じく不法滞在のネパール人4名と住んでおり、被害者が生前に売春した相手の1人であった。死因は絞殺で、死亡推定日時は遺体発見から約10日前の同8日深夜から翌9日未明にかけてとされる。

1997年(平成9年)5月20日警視庁は、殺害現場の隣のビルに住み、不法滞在していたゴビンダを殺人事件の実行犯として強盗殺人容疑で逮捕した。逮捕されたゴビンダは一貫して無実を主張し、一審無罪、控訴審での逆転有罪、上告棄却、再審決定を経て、2012年に無罪が確定した。

被害者女性

被害女性は、慶應義塾大学経済学部を卒業したあと、東京電力に初の女性総合職として入社した社員であったが、退勤後は円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたという。被害者が、昼間は大企業の社員、夜は娼婦とまったく別の顔を持っていたことが報じられ、被害者および家族のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。被害にあった時点で東電の株式など約7千万円の個人資産を保有していた

職場でのストレスと依存症
ノンフィクション作家佐野眞一のノンフィクション『東電OL殺人事件』では、被害者女性には職場でのストレスがあったことが示唆されている。高学歴のエリート社員で金銭的余裕があるものの、夜は相手を選ばず不特定多数の相手との性行為を繰り返していたことには、自律心を喪失していたとする見方もある。
拒食症
円山町近辺のコンビニエンスストア店員による、コンニャクなどの低カロリー具材に大量の汁を注いだおでんを被害者が頻繁に購入していたとの証言や、「加害者とされた男性」による、被害者女性は「骨と皮だけのような肉体だった」との証言などから、拒食症を発症していたことも推定されている。
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