大学の誕生☆

2005年12月22日 | 教育関連話
西洋史:前期話の続き・・・・

「大学」がこの世に誕生したのはいつだかご存知ですか?


12~13世紀だそうです。

1200年ごろまでにイタリア南部に医大、イタリア北部に法大が誕生したのが大学の始まりだそうで
(へぇ、イタリアですかい)
イギリス:オックスフォードやケンブリッジ大学の誕生も同じ時期らしい。
その後ヨーロッパ各地に大学が広がって行ったようだけど、
日本の初大学は東大でしたっけ?


話は変わり・・・
大学なんてちょっと前までは自分には全く縁のないものだと思っていたけれど、
現実自分がアメリカで大学生やっているとは
本人だけでなく親や友達もびっくり仰天ものであります。(多分)
いや、実際大学生をやってみると、それ自体は別に大したことじゃないんですが・・・
ちょっとの英語力とお金さえあれば「大学生になる」というのは誰にでも可能なことですから。ボソ
しかも私が大学に通っているというだけで、大学の価値は下がってしまったかもですが。ボソ


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大学話ついでに書いておきますが(ついでの割りに長いです↓)、
どうせ留学するなら、コミカレ二年制大学だけで終わらせず、四年制大学に進学しましょう。
元々私の場合コミカレで「準学士号」を取得するつもりで留学を始め、
アメリカに渡ってからひょんなことで大学進学を決め(専攻分野まで変更した)
「一般教養」を急遽履修することになったわけですが、
この一般教養が私に与えた影響は大きい!(叫)
どう影響を与えたかはブログの内容から分かっていただけると思いますが・・・(え、わからん?!)

コミカレで取得できる「準学士号」の場合、一般教養はほとんど必要ありません。
かける時間からして必然的にそうなるんですが、
そして専門部分だけに集中してクラスを取るというのを「手っ取り早い」と言えばそうなんですが、
「準学士号」の中でも一般教養があったほうがよい分野はたくさんあると思います。
たとえば当初私がコミカレで取得しようとしていた「ホテルマネージメント」とか「観光学」に関して言うと
その業界で働くのに役立つと思える一般教養は数え切れないほど!
個人的にこだわりすぎな西洋史はもちろん、政治学も、人類学も、西洋美術史も、
さらには200レベルの英語のクラスたちなどなど、何を取っても、
観光業界で働く上で持っていて損はしない知識と経験だと思うのです。

それだけでなく、自分の興味に反して履修させられる数々の一般教養分野から
隠された自分の才能なんかも見つけられる可能性大です。
私の場合才能を見つけたわけではないですが(そんなものはなかったりして)
思いがけず自分の興味が持てる世界を知ることができ、
そして留学前には全く頭になかった分野の勉強に走り、結果大満足しております。(政治学)
入学後専攻変更が幾らでも可能なアメリカの大学ですから、これを利用しない手はない!
もしこういったことに気付かないままコミカレ2年でアメリカを去っていたらと考えると正直ぞっとします。

私自身専攻を変更し大学に進学してみて思ったんですが、
技術養成中心となる「準学士号カリキュラム」は「読み書き」の量が極端に少ない。(例外もあるでしょうが)
逆に「学士号」を得るためにさせられる多量の読み書きから得るスキルは計り知れず、
これらは大変な分、その価値も大きいです。キッパリ
それと、留学される方は少なからず英語力上達の希望も持ってアメリカに渡っていると思うのですが、
特定の分野だけでなく、幅広い一般教養分野を学ぶことで使う英語の枠も当然広がり、
英語そのものの習得にもかなり役立つと思います。
(ほんの少しでも英語で理解できる世界が広がればそれだけ英語が楽しくなるし☆)

留学以前は4年かけて卒業する「大学」の価値をわかっていなかった私でありますが、
今は身にしみてそのありがたさを感じてます。
長い人生のうち、2年だけでなく、4年勉学に時間を使うのは、自分の将来への更なる投資になるはずです。
特に私のようなアダルトスチューデントとなると、周りから遅れを取っているという部分から、
早くスキルを身に付けとっとと社会に戻りたいという気持ちに迫られることもあるかと思いますが
どっちにしろ人より何歩も出遅れた人生、
2年遅れを取ろうが、4年遅れを取ろうが、たいして変わりないと思いません?
2年余分に勉学に励むことにより、残りの人生、より充実した時間を過ごせることには間違いない、
と私は思っています。
まぁ、人によってそれぞれ立場や事情が違うでしょうから、こういうのは一概には言えませんが
とにかく私は専攻を変更して大学に進学してよかったと思ってます。
そして「今更でも大学に行こう!」と呼びかけてしまう呑気な私でありました。

最後に、本日の記事が「学歴主義」に映ったらスミマセン。そういうつもりはないんですが・・・
社会でしか学べないことがあるように、学校でしか学べないこともあるんですよ、ほんとに。(←特に私は学校が必要)
学校で学ぶのは受身部分が多いですが(与えられたテキストを読み与えられた課題をやるとかという意味で)
それも悪くない!学校は学ぶ手助けをしてくれるところで、それを有効に使うのが生徒の権利と考えると
せっかく与えられた権利、使わなきゃもったいな~い。(極度のもったいない病)