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Education Deniedを読んで。

2007年09月08日 | 政治学
8月はずっと遊びほうけておりまして、9月に入ってようやく再び読書を始めました。読んでいるものは相変わらず大学から借りてきた、アカデミックな本たちです。その中の1冊が「Education Denied」で(←個人的に怖いタイトル)、懐かしの国際関係分野のものでした。著者紹介文によると、これはUNスペシャル・リポーターでもある教授が書いた本なので、尚更国際関係色強くなるのかもしれませんが、そのおかげか内容がとても読みやすく感じました。学生時代に少しでも触れた経験って、ほんと馬鹿にできませんですよ☆

その本のトピックは教育に関るHuman Rightsだったのですが、世界レベルのHuman Rights問題に取り組むと、つい頭を抱えてしまうようなことが必ずあります。そして本日は、この本に書かれてあったHuman Rightsがらみのとてもわかりやすい難問を一つ・・・。
アフリカのある地域では、女性は10代に入ったばかりのかなり若いうちからお嫁に行くらしく、若ければ若いほど持参金のようなもの(牛とか)が、少なくて済むらしいです。でももし女の子たちに教育の機会を与え、卒業を待ってからお嫁行きになった場合、その頃には持参金がはるかに高くなり(嫁としての価値が下がるからでしょうか・・・)、その準備をする親としてはかなりの負担になるらしいのです。しかも、子供が学校に行っている間は家の手伝いはしてもらえないわけで、人手不足状態で将来の持参金作りに苦労する親は、理不尽な気持ちにならざるを得ないそうです・・・。問題は持参金アップだけではありません。女の子が義務教育レベルの教育を得たからと言って、それが仕事に繋がるわけでもなし、結局これと言った教養の見返りがないことから、子のためを思って小学校に行かせたものの、一体なんのために・・・という状態だそう。そんなことになってしまうのは、まずその国(地域)の文化が西洋文化にフィットしないからなのですが、国際機関などの力でたとえ子供たちに教育の機会を与えても、この例のように文化によってはそれがあだになったり、うまく活用されなかったりするんですよね。10代早いうちから結婚しなくてもいいようになるとか、女の子でも教養を活用して仕事ができる社会が生まれるとか、そんな風に国社会文化全体に動きがあればいいですが、ずっと受け継がれてきたそのアフリカの文化が、西洋向きに変わることはなかなか難しいはずです。でも女の子だって教養は欲しいだろうし・・・・ねぇ。

文化が壁になるトピックは難しいです。なのでこういった問題に対応する場合、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまいます。一歩自分が住む世界から飛び出し、そして全くの異文化が絡んでくると、私でなくたって手がけるのは本当に難しいはずです。部外者として何かしら手をかけるには、その異文化をとことん理解したうえで対応しないといけないだろうし、そしてその異文化を理解するには、私個人の考えではまず現地の言葉は絶対にわかるべきだし、歴史、経済、政治状況だって無視できません。2個目の大学で履修したクラスで、KOSOVO問題のリサーチをしたときのことです。そのクラスの教授は(以前もブログに書きましたが)KOSOVO内戦のあった頃、長期UN現地勤務経験のある、旧ユーゴスラビア言語ができる人でした。そしてひょんな理由でリサーチトピックに(わざわざ)KOSOVOを選んだ私でしたが、自分はその教授と違い、旧ユーゴの歴史も現在の姿もほとんど知らない状態であり、当然その地域の言語は全くできません。それが単なるクラスの課題だったとは言え、そんな自分がどこまでKOSOVOの人たちのことが考えられるのか、その地域の立て直しに関しどこまでよい対策案が出せ、力になれるのかを考えたとき、自分は全くの役立たずに思え(いや、本当にそうなんですが)、まさに国際問題に対応する難しさを実感したのです。

そんな風に思ってしまったあと、そこまで自分から遠い世界に携わろうとしなくても(いや、どうやっても私には無理ですが)、もう少し身近な海外で自信を持って近づける分野に行きたいと、いつからか考えるようになった気がします。たとえばアメリカ。ネイティブのようにはいかなくとも、私にはアメリカで使われている言語の英語力があります。そのささやかな英語力のおかげで、現地の言葉で現地の文化・社会を理解する(理解に努める)ことができます。しかも自分はその国でわずかながらもその国の教育を受けました。これらは自分にとっての外国:アメリカに関る上で有利なことのはず・・。

大学で国際関係を学んできて、上に書いたようにその都度ちょこちょこ考えることもあり、そして日本人で既に30代の素人ではその世界に入り込むことは難しいと感じることもあり、将来的に国際関係分野に(無理矢理)進むことは完全諦めた私ですが、私にとってアメリカは今もこれからも外国に変わりなく、今後アメリカで何かができるだけでも、憧れていたインターナショナルな世界に携われるとも言えます。せっかくアメリカで合法に働ける立場になれることだし、この国アメリカでアメリカ社会のために自分ができることをやって行けたらいいなと。




中途半端な国際政治(私の場合)

2007年08月25日 | 政治学
国際政治は本当に大雑把な専攻で、世界の地域性も出てくることから、毎学期のコースのあり方もとても幅広くなっています。よって履修の仕方によっては、どれもこれもが繋がりのない、全く別々の浅い知識を仕入れるだけになりがちです。そういう感想を持ってしまうのは、ズバリ政治学(国際関係)で卒業した自分がそうだから。(涙)たとえ使えない学位でも、どうせなら卒業時期を焦ることなく、もっと専門性を意識して履修できたらよかったなと・・・。(涙)

まず私はコミカレから編入した大学は事情により1セメしか過ごさなかったのですが、そこではIR(国際関係)専攻必須単位であった、Upper CourseのAmerican Foreign PolicyとScope and Method(←Social Science統計がらみ)と、これまたUpper Course単位としてPolitics of China and Japanを履修しました。この時点では地域性は考えず、とにもかくも「卒業必須コース」の二つをまずどうしても受けておきたかっただけでした。(Politics of China and Japanは個人的理由で履修)

その後事情により大学を編入し、残り3セメで卒業する計画を立てたわけですが、その編入時から卒業まで、地域などの専門性はまったく意識せず(編入した大学ではその必要もなかった)、その都度登録できるクラスで単位を取りまくり、とにかくOn Timeで卒業することばかり考えていました。(余分な資金がないため)

参考までに、私が履修してきた政治学コースたち▼▼▼

コミカレ
100レベル State/Local Government (Lower Course)
100レベル Intro International Relations (Lower Course 必須単位)

四大1(2004 Fall)
300レベル American Foreign Policy (Upper Course)
300レベル Scope and Method (編入後Lower Course扱いになる)
300レベル Politics of China and Japan (編入後Lower Course扱いになる)

四大2(2005 Spring)
100レベル American Government (Lower Course必須単位)
100レベル Political Theory (Lower Course必須単位)
300レベル International Relations セミナー (Upper Course)

四大2(2005 Fall)
300レベル International Organizations (Upper Course)

四大3(2006 Spring)
300レベル European Politics (Upper Course)
300レベル Building Democracy (Upper Course)
400レベル Global Economy (Upper Course & Writing Intensive)


2個目の大学に移ったとき、それまでは不要だった政治学Lower Course(American PoliticsとPolitical Theory)が必須単位となり、今更ながらにイントロレベルコースを取ることになりました。この二つのコースは政治学を学ぶには欠かせないものだと履修してつくづく思いましたが、この時点でそれらを取ったのは、ある意味痛かったとも言えます。いつもブログに書いているとおり、これらは基礎的コースですから、後よりも前に履修しておくほうがいいに決まってますし、本来Upper Courseを取るはずの時期にそんなことをしていては、Upper Courseを履修する時間が足りなくなるということでもありますからね。(涙)

さて、私の卒業した大学では、Lower Course 18単位と、Upper Course 18単位、合計36単位が政治学専攻卒業単位となっていて、私はその数字まんまで卒業いたしました。でも専攻分野に強くなりたければ、スケジュール次第で余分に政治学単位が取れますし(当然)、できたらそうしたかったという部分がとても強くあります。ただ同じ学期に同じ分野(政治学)ばかり履修すると、それはそれは苦しいですし(←私の場合)多分勉強に飽きちゃいますよね・・・。(←編入したての時にも専攻のために政治学ばかりをどっちゃり登録しないよう注意された)しかも2個目の大学では副専攻が必要になったので、急遽それの単位集めをもしなければならず、おまけに2個目の大学用GE単位までも必要になり、よって政治学や関連分野コースを余分に履修することは全くできませんでした。(←専攻、副専攻共に本当にギリギリで卒業した人)副専攻を歴史や社会学、その他政治学に近い分野にしていればまた違ったでしょうが、私の場合、これまた事情により(GE関連とか)副専攻を人類学、しかも言語学中心に履修したので、なんだかはちゃめちゃな学習になってしまった気がします。(思いがけないメリットもありましたけど)

そんなこんな問題もあり、国際関係を専攻にした場合、うまく特定の分野に強くなれるか、私のようにあっちこっちかいつまみの大雑把で終わってしまうか、それぞれ学生の計画性やある程度の運(クラススケジュールの状態など)にかかってくると思います。

(大学を出たあとそのまま大学院で専門的に学べる立場の人なら、学部でかいつまみ状態に終わっても多分あまり問題ないかもですけどね。)

そういう意味でも、アメリカに住むようになった今だからこそ尚更、大雑把になりがちな国際政治ではなく、アメリカ政治を専門的にじっくり学べばよかったなと・・・。(←珍しく後悔)アメリカで学ぶのならアメリカのものを、と思うところもありますし。(なんせ本場ですから)





外国語能力

2007年08月14日 | 政治学
なんとなくタイトルから逸れる話から入ってしまうが、2個目の大学に編入したとき、私の専攻はInternational RelationsからPolitical Scienceに変わった。学ぶ内容としてはどちらも国際政治ではあったが、専攻からイメージされる分野はそれぞれ全く別物のようである。(ぷっ)

政治学専攻として大学に在籍していた間、Political Science Departmentからインターンシップ募集のお知らせが頻繁にメールで届いていた。でもそのインターンの内容はたいていNY州政府ものか、ワシントンD.C.の連邦政府がらみのものがほとんどだったように思う。自分は政治学でも国際政治を学んでいたのと、政治学GPAがあまりよろしくない状況だったため(恥)、それらアメリカ政府のインターンに応募しようと考えたことはなかったのだが、それだけでなく、やはり夏のバイトを外すわけにはいかなかった。たとえば比較的国際政治分野に近そうな、D.C.でのインターンをするにしても、州外に出るとなると費用がかかるうえ、インターンで得る単位のTuitionだって恐ろしい金額になる。(サマーやパートタイムのTuitionは通常の倍)私が大学でサマーコースを取らなかったのはTuitionが払えないからで、同様に夏のインターンシップもどうしてもすることはできなかったのだ。(選ばれるかどうかは別にして)このようにお金に余裕がないと、学生だからこそ得られるチャンスを逃すことにもなる。あぁ、もったいないことをした・・・。(いや、お金だけが問題じゃないんですが)

さて、学生の頃国際政治に縁のない地域にいたものの(今も)、実は私が教わったことのある教授が責任者として参加、活動しているらしい、国際政治機関が市内にひとつある。そこに勤めるエキスパートらしき人が教授の代わりにレクチャーをしてくれたこともあり、何度かその機関のWebサイトを覗いてみたら、あるとき学生インターンシップの募集を見つけた。場所は住んでいるアパートから通える距離にあるので、もしかしたらなんとかなるかもと一瞬考えたのだが、すぐに問題になったのは自分の言語力。なんとそのインターンの条件に、「アフリカ言語」ができることと書かれてあったのだ。ガーン (←特に何語とは書かれていなかった)

アメリカにはアフリカからの留学生が多くいて、私の通った大学でもその彼らをよく見かけたものだった。同じアフリカンでもアメリカで生まれ育った黒人とは態度や見た目からして全然違うので、一発で彼らが留学生とわかる。発展途上国のアフリカから留学生としてやってくる彼らは、自分のような落ちこぼれ日本人とは違い、恐らく選ばれた人たちであり、お勉強がよくできそうで、英語も得意そうだったりする。そして彼らには当然母国語もある。その母国語は出身国によって違うはずで、植民地時代の名残でフランス語だったり、それぞれの地域言語だったりするのだろうが、英語プラス、国際関係で求められる言語を話せるアフリカ人。彼らはどう考えても有望な人材だ。(うらやま~)

というわけで、自分が以前見つけた機関のインターンシップでは、当時インターン中だった学生はアフリカだかどこかの留学生のようだったし、募集中だったポジションも言語の条件からしてアフリカ人留学生がゲットしたと思う。アメリカにある発展途上国を助ける機関に携わるには、恐らく英語以外に発展途上国の言語が必要になる。なのでその道に進みたい人は、できたらそういった発展途上国の外国語をダブルメジャーの一つにするとかしてでも、外国語能力をつけ、履歴書でアピールできる状況にしておいたほうがいいかもしれない。でないと英語と日本語能力だけでは、他の外国人に勝てそうもないからだ。他の部分で飛びぬけた技能があれば話は別かもしれないが・・・。

(念の為、インターンや仕事に実際挑戦したわけではないので、これらの意見はあくまでも私の想像です)




Thucydides

2007年07月26日 | 政治学
Greekもの中心に借りている本たちの1冊、「Athenian Legacies」は教育絡みというよりもポリサイ色がとても濃い。よってポリサイ専攻だった私には胸キュンキュ~ンな1冊です。(何)他の本と同じく、これは紀元前の内容なので当然のごとくPlatoも出てくるんですけども(胸キュンキュ~ン)、更に私の胸をときめかす人物がもう一人!

それはThucydidesです。


▼参照Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/

まぁ、この人についてカレッジで深く習ったとかそういうんじゃないんですけども、コミカレで初めて専攻に関るクラス:イントロInternational Relationsを履修していたとき、Thucydides唯一の作品、History of the Peloponnesian War の一部を読んだことがあるんです。(ほんとに一部) しかもそのリーディングはクラスで最初の課題で、メインポイントを書き出して提出し、そして当時はInternational Relationsがどういうものか探りを入れ始める段階でもあったため、最初に携わったThucydidesのHistoryは妙に私の頭に焼き付いているわけで。(懐かしいよぉ~)それに多分ですが、ThucydidesのHistoryを引用するテキストは山ほどあったり、文献に利用する政治学者さんもかなりいると思います。なので在学中彼の名、または彼の作品を何気に目にしてきてたんですよねー。(懐かしいよぉ~)

Thucydidesや作品についてはWebでガシガシ調べられるので、ここではあえて説明いたしませんが、今回ブログ記事を書くに当たりThucydides検索してみると、ほんと見事にガシガシ調べられますね。(おいおい)こうやってしみじみ思うのは、進学に向け必死こいて勉強していたコミカレ最後の二学期間、自分の一人暮らしアパートにネットが繋がっていなかったため、何か疑問があっても(当然ながら)ささっとネットで調べられなかったから。(というか、ネットがないだけにそういうクセもなかったため、不便にも感じてなかったです)とことん英語力が乏しかったり、予備知識がまだまだ浅かったりで、留学中一番大変だったであろうコミカレ時代に頼りになるネットを全く使っていなかったというのは、自分でもほんと驚きです。(学校にいる間に最低必要なサーチはしてましたけど)

でも当時自宅にネットがなかったのは私には意外とよかったことでもあります。なぜならば、インターネットがあると確実にしなくてもいいネットサーフィンをしてしまうから。(←進学後ネットを引いて経験済み)無理矢理クラスを取って進学しようとしていた当時、バイト以外は見事に勉強だ・け・していた私なんですが、それが可能だったのも一人暮らしだったこととか(←どんな些細な邪魔も入らない)、とにかくネットがなかったことだと私は思うんです。英語力・学力共に低い私が無理のあるスケジュールをこなし、限りなくよい成績を取ろうとしたら、ほんとにひたすら可能な限り勉強し続けるしかなかったんですが(一般教養ってクイズも多いですしね)もし自宅にネットがあったとしたら、その勉強時間が確実に減ったわけで、果たして実際取った成績を取れたかどうか?という感じです。まぁ、ネットの助けが得られない分ズバリ無駄な苦労をしたかもしれないので、もしかしたらネットがあったほうがよかったのかもしれませんが、結果的に無事やりこなせたのだから、それはそれでよい経験だったとも思います。あんなに勉強し・か・しなかった時期はそれ以降2度とありませんから~。がはは 

それにしてもネットが普及していなかったころに自力で留学していた人たちはすごいですわ。そういう時代は今よりも日本人留学生同士の付き合いは重要だったかもしれませんね。

▼参考までにイントロInternational Relationsを履修していた学期スケジュールはコレ

Spring 2004

ANT 101 文化人類学(Cultural Anthropology) 3単位
ECO 202 ミクロ経済(Principle of Microeconomics) 3単位
ENG 223 映画(Major Filmmakers) 3単位
GER 102 ドイツ語II(Elementary German II) 3単位
HIS 102 世界史:後期(Western Civilization 1815 to Present) 3単位
PSC 104 国際関係(International Relations) 3単位

(他人のクラススケジュール見るのって面白いですよね。)私だけか・・・





辰年とConfucianism

2007年01月05日 | 政治学


たら~ん。このチャイニーズレストランでもらった辰年カレンダー、めっちゃめちゃ日本のカレンダーじゃないです?!漢字の「福」と、めでたい干支イラストのせいか、アメリカのカレンダーとは全く思えない雰囲気です。中国の「辰」は「イノシシ」ではなく「豚」だとどこかで知りましたが、ほんとに豚さんなんですねぇ。(感心)

さてさて、こういった「干支」は日本ではそこそこ気にされるものですが(何年生まれ?とか)、アメリカに干支の慣習はありません。もちろんこれは文化や歴史の違いからきてるんですが、日本は中国文化の影響を多大に受けてますから、中国の慣習の一つ、干支も長年使われているわけですよね。そして干支と同じく中国から受け継がれた慣習と言えばConfucianism(儒教)!
▼参照Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99

な~んて、何か特別なことを知っているかのような言い方ですけど、このConfucianismはアメリカ留学で学んだことの一つで、実は大学で履修した「Politics of China and Japan」のクラスでちょっとばかり教わったんです。詳しい思想は良く知りませんが、「年輩を敬う心」というのは孔子の教え:Confucianismの一つで、この思想は日本にも昔からあり、そのため日本人は相手の年齢をとても気にするんではないかと思います。つまり、もし相手が自分より年上であれば、それなりの敬意を表意しなければ!と考えるんですよね。(違う?)

「年輩を敬う心」というのは特に誰に教わったわけではないと思うんですけども、このパッパラパーな私にもしっかり身に付いてます。ま、時と場合によっては、年上だろうがなんだろうが態度はそう違わないかもしれませんが、私は基本的にある程度年上にはそれなりに気をつかいます。アメリカの場合どれだけ年が離れていようが、立場の違いがあろうが、ファーストネームで気軽に呼び合いますから、日本にありがちな「年齢差の壁」はほとんどみられません。でもそういうアメリカ社会にいても、やはり年下と年輩に対する自分の心境の違いは何気に感じるんです。たとえば、職場で年齢が離れた人には気持ち「受身」で話をしますし(ほんとに気持ち程度ですけど)、その仕事歴の長い人に対しては(よほどのことがない限り?)口答えやわかったような口は利きません。これって絶対にConfucianismの影響だと思うんですよねぇ。だってアメリカ人にはそういう部分はほとんど見られませんし・・・。

Confucianismの思想を少しでも知っている大学生や教授などで、ふとしたことで日本人の私の言動に対し、「それはConfucianismだよね」と言った人がいて、大学で(ほんの少し)日本政府を学んでいるときも、授業やテキストで日本人や日本政府に見られるConfucianismの影響について何度か触れられました。が、当の日本人である私は長年Confucianismなんて知りませんでしたし、年上を敬う心が中国の教えだなんて考えた事もありませんでした。

年齢差の壁のないアメリカ社会の空気は大好きですが、年輩や老人を敬う気持ちを大切にする中国や日本の慣習も大事だな、と思います。なぜならば誰も無駄に歳を取っていないから!こういうのは個人差が当然ありますけども、たとえば自分の10代の頃と比べると、やはり今の30代の自分のほうが知識も経験も豊富で多少なりともマシな人間に近づいている・・・はずなんですよ。そう考えると、きっとどの年輩からも学ぶ点はかなりあるはずだと・・・。でも当然若い人たちから学ぶこともたくさんあって、実際この留学中に知り合った年下の子達の中で感心させられる面を多少なりとも見てきて、年上が年下より勝っているとは一概には言えないんですけども、とりあえず、年輩を敬う気持ちは忘れずにいたいな~と。