Education Reform and Education Policy in East Asia

2007年04月29日 | 教育関連話
今月頭ごろに大学の図書館から借りてきた本のひとつ、Education Reform and Education Policy in East Asia。ここんとこ何かとバタバタしていて、仕事の休憩時間に読む機会もあまりなく、せっかく借りてきたのにほとんど目を通していない状態です。あぁ、私ってぐうたら・・。

この本は東アジア各国の教育方針について書かれてあり、日本はもちろん、台湾、韓国、香港などなどのリサーチ結果が詳しく載ってそうです。(いや、まだちゃんと読んでないんで・・・)私は(30代になってから)アメリカで大学教育を受けたこともあり、普段はアメリカの教育方針に興味があるのですが、自分の国、日本の教育システムに関しほぼ無知状態とも言えるので、何か新しい発見がないか、そして今回の留学生活を通じて知り合ったアジア人たちの母国の教育方針にも興味が湧き、この本を借りてみました。自分と同じアジア人留学生とはいえ、各国文化の違いだけでなく、どういった教育方針の元育ってきたかによりそれぞれ個性も出るでしょうから、この本から現在の彼女たちのことをもっと理解知ることができるかも?な~んて思ったわけです。

でも今回は自分の母国日本の教育方針について、この本から知った雑学(←得意)をちょろっと書きたいと思います。

日本のチャプターで最初に書かれていたことは、Historical background of higher education in Japan. 著者によると、日本の教育システムはかなりユニークらしいです。(←オモロイって意味じゃないよ。念の為。)

古くは江戸時代、日本の教育はDual Systemの元に実施されていたそうで、侍向けにはHanko or Fief School(封土学校)、一般人向けにはTerakoya(寺小屋)のプライベート・スクールがあったそうです。寺小屋は歴史で小学生のときに習ったと思いますが、封土学校?!は初めて知りました。(記憶にないだけか?)その初耳な侍向けFief Schoolでは、Confucianism(儒教)哲学中心に、そして日本や中国だけでなく、西洋文化・医学の教育が含まれていたそうです。鎖国の中密かに西洋のことを学ばされていた侍たち。う~ん、日本政府はあなどれん。(何)逆に寺小屋では読み書き中心に教育が行われていたそうで、現代であっても世界には教育が受けられない子供たちが数え切れないほどいることを考えると、江戸時代のような昔でありながらも、当時の日本の教育環境はかなり整った、ある意味教育の面で進んでいた国と言えるかもしれません。(全ての子供が寺子屋に通えたというわけではないでしょうが)(日本の歴史を知らなくてスミマセン)

次に1868年明治維新後、日本の教育システムは西洋モデルの影響を受け、一気にモダン化されたそうです。これにより江戸時代のDual Systemは廃除され、1871年には教育を管轄する政府機関、The Ministry of Education(教育文部省)が作られ、国民たちに平等な教育が行き渡るシステムが確立したそうです。(義務教育、高等教育、大学教育など)そしてこの「平等」がどうもミソ。生まれながらの社会的地位・性別に関らず、努力とともに学力・能力さえあれば更なる上の教育が受けられ、そして高い地位に上るチャンスが皆にある。誰もが平等に教育が受けられるという日本の教育体制は、当時の日本人たちの強い向上心に繋がったようです。

WWII敗戦後の教育システムはUSのそれがモデルだそうで、たとえば小・中・高・大の年数などはアメリカと同じようなものですよね。でも、大学教育システムは全然違う気がするんだけどなぁ?!日本には皆が大学教育のチャンスが得られるような「コミカレ」はないし、大学受験は絶対だし、一度社会人をしてから大学に入ることはかなり難しいだろうし、編入システムだってないみたいだし、(通ってないので実際のところは知りませんが)世間が言うように、日本の大学は入って何ぼのもの、入学してからは勉強しなくたって卒業できるんですものね。まぁ、アメリカでもレベルの低い大学で、Cばかりでラクラク卒業ということもあるでしょうけども。でもどの大学に行っても日本ほどは甘くない気がするのだが・・・。

ちなみに以前読んだ教育関連のテキストにはアメリカ教育の歴史が書かれてありまして、建国時から移民で成り立つアメリカなだけに、初期の教育目的はズバリ「Americanize」だったそうです。ほとんどの国民は昔から日本人な日本ではまずなさそうなものですね。当時は主にヨーロッパ各国からやってきた移民(の子)たちを「アメリカ国民」に育て上げるためのカリキュラムがたくさん組まれていたのでしょうか。(どんなんだ?)もしや私もアメリカの大学教育により多少でもAmericanizeされたのか?でも自分は既にいい年ですから、今更性質などはちょっとやそっとで変えられませんけどね。私はやっぱり日本人☆

あと、コミカレ時代に履修したイントロCultural Anthropology(文化人類学)で、「学校はよい国民を作るためにある」と教授が言っていたことが今でも妙に頭にあります。たとえば、モラルを教え、盗みなどの悪いことをしないようにとか、社会の仕組みを教え、税金はちゃんと払うんだよとか。(おい)それまで学校は「国民個人」のためにあるのだと思っていたのに反し、教授の言葉はまるで「国のため、政府のため」のように聞こえ、私はちょっとショックでした。まぁ、政府のどんな思惑があろうが、得られる教養をうまく自分の幸せに繋げたいものですな。(大学教育を受けて私は幸せを感じてます)ありがたや、ありがたや・・・



THEORY FOR EDUCATION

2007年04月14日 | 教育関連話
タックス・リターン用紙をもらいに大学に行ったついでに、もっちろん図書館にも寄りました。先月借りた本たちを返却し、何か自分向けのよい書籍がないかと検索・検索・・・。

とその前に・・・・、まず先月借りたEducationのテキストブックを読んで思ったのが、Educationでも自分はアメリカの義務教育やEarly Childhoodあたりには興味が(全く)わかないということです。そのテキストブックはイントロコース向けのようだったので、そりゃ~基礎的なことを学び知るにはちょうどよかったのですが、アメリカの義務教育レベルの問題などに触れてもどうも胸がときめかない。(おい)それに自分は義務教育をアメリカで受けていないので、実体験がない分その世界の様子を想像しづらく、自分にはその世代の子供もいないため、なんとなくその当たりへの興味が湧かない。(←持っていて普通な歳ではあるが)だいたい自分が教育方面に興味を持ち始めたのはズバリ、大学教育を受けたことがきっかけであり、同じ教育分野でも、自分はHigher Educationに拘わる道に進むべき。と、改めてこれから学ぶべき方向性が見えました。が、私は教師になりたいわけではないので・・・(そんな器量はない)、まずそれ以外で自分のしたいこと、できることを探さなければなりません。うー、進路決めは難しい。(何)

今回手にした書籍のうちの一冊は、大学の教育学部に属する教授たちにより執筆された、2006年度出版「THEORY FOR EDUCATION」です。これはイントロレベルのサブテキストとして使われそうな仕様で、既に教育に携わっている人だけでなく、これから初めてその分野に進む人にもお薦めだそう。教育分野初心者の自分に適してそうだぞ。いえい!それだけでなく、私がこの書籍に魅かれたのはズバリTheoryの部分。カレッジで履修した政治学カリキュラムではたいていPolitical Theoryが拘わってきて、単純な物の考え方しかできない自分にとって数々の理論思想は衝撃的で、その表現法にも感心させられたものです。教わった理論たちをしっかり理解できたかどうかは別にして(多分ほとんど理解できてない(涙))、とりあえず一つの物事に対し様々な見方や切り口があるということを知るきっかけにはなりました。

今の自分はこれから進もうとしている教育分野に関して、自分のカレッジ経験から得ただけの狭い視野と見解しか持ち合わせていません。なので政治学のTheoryと同じように、教育のTheoryを通じ自分の小さな小さな枠から一歩外へ出られたらいいなと思ってます。まー、机上の理論なんて実用的ではないでしょうけど、今の私にできることは本から学ぶことぐらいですし、院に無事進めた際には、これら理論が役立つこと間違いない。フンガー

このテキストで「教育Theory先駆者」として挙げられていた4人のうち3人は、自分がカレッジで多少なりとも学んだことのある人たちで、Freud、Marx、Saussureについてそのように書かれてあることには妙に驚いてしまいました。心理学で有名なFreudはともかく、Marxは政治経済寄りな人ですし(←私的には)、Saussureは言語学で知られる人(←私的には)。でもそれぞれのTheoryは現代の教育理論に多大な影響を与え続けているようです。(読んで納得)というわけで、このテキストがまた一つの未知なる世界への第一歩となりそうですが、カレッジで別の方向で学んだことのある人たちに再会というのも面白いです。専門分野に進むにはやはり一般教養、様々な分野の知識も必要なんだと改めて実感。カレッジでは一見今後の世界に無関係なことを学んできたようで、実際そうではないんですね。あぁ、ありがたき自分のカレッジ経験☆



カレッジランキングとライティング

2007年04月06日 | 教育関連話
かなり前の地方新聞で、NYにある私立大学Presidentが書いた記事を読みました。その私立大学はSarah Lawrence Collegeというリベラルアーツ・カレッジで、Writing-Intensive Schoolでもあるそうです。なぬ?そのように呼ばれるカレッジがこの世にあったのか。専門性の高いGraduateレベルならばともかく、ライティング重視をはっきりとカレッジ全体の特徴にしているUndergraduateがあったとは。もし何かの間違いで自分がこのカレッジに受かったとしても、一生卒業できんかもしれんなぁ。(汗)

さて記事によると、このカレッジはWriting-Intensive Schoolであることから、「SATスコア」は出願者選考のうえでほとんど参考にならないだろうということで、数年前から出願資料としてのスコア提出は求めていないそうです。(高校での高いGPA、カレッジ準備コース結果、推薦状、Writing Sampleにより選考)そして選考プロセスからSATを排除した後、生徒の質が下がったことは全くないそうで、SATを学力等の判断基準として利用しないことは、このカレッジの方向性に対し逆に受け入れる生徒の質の向上に繋げているかもしれません。が、ここで問題がひとつ。

以前ブログ記事にもしたことのある、「U.S. News & World Report」というマガジンがアメリカにありまして、毎年高校生がカレッジ進学手続きをし始める頃に、カレッジランキング特集号が発行されます。進学予定の子を持つ多くの親御さんやその子供たちは、カレッジランキング特集号を手に希望するカレッジの見学に行くらしく、その様子を見る限りいかにその特集号が進学校選びに影響を与えているかがわかるとか。そんな影響の高い「ランキング」でありますが、先に書いたとおりSarah Lawrence CollegeはSATスコアを選考基準のひとつにしていないことから、U.S. Newsがランキングを算出するにあたり必要な情報が欠け、その結果例年に比べこのカレッジのランクがぐっと下がってしまったそうなのです。つまりカレッジそのものや生徒の質の高さに反し、カレッジランキングでは低く評価されてしまっているということ。進学校決定にあたり多大な影響を与えるカレッジランキングでの評価が低くなれば、優秀な生徒の出願数が減る恐れがあり、情報抜けのためにランクを偽造されるくらいならば、いっそのことランキングから排除してもらおうかという意見も大学内で出ているそうです。しかしこれもまた更なる悪影響が出るのではという懸念もあるとか・・。(ジレンマ)でも大学に限らず、ランク付けなんてものは一概にできないもので、情報を受け取る側としてもそういった「ランキング」から正確な質など知ることはなかなか難しいことだと思います。アメリカ人がかなり当てにしているらしいU.S. Newsのランキング結果も多少の誤差・偽造もありえるようですし、最高だと言えるものはそれぞれ状況や求めるものによって違ってきますしね。物事の質の判断は結局自分の判断基準、判断能力にかかってくるものですな。(再認識)


ちなみにですが、今の職場でSarah Lawrence College出身の(白人)女性と一緒に働いたことがあります。卒業後はMBA取得のためビジネススクールに通っていたそうなんですけども、事情により学位取得には至らなかったとかで、その後かなり年数が経っていることから、当時取得した単位は今や無効なんだそう。高校、大学の単位は確かほぼ一生ものだと思うんですが、大学院の場合、規定の年数で卒業しなければ取得した単位はその後一切使えないんだと。これは知らんかったな~。そういえば大学院を一時休学したという話は聞いたことがありませんものね。で、この彼女のUndergraduateでの専攻は覚えてないんですけども、現在就いている仕事は地元の新聞に記事を書くことだそうです。おお、さすがWriting-Intensive school出身だ。でもこの仕事はフルタイムではなく、よって他の収入を得るために、私が勤めている企業にてアルバイトもしているんだそう。彼女の経歴を知ったからというわけではないんですが、初めて話をしたときには彼女の口調から、「賢そうだな」という印象を受けました。正確なよりよい文章を書く能力のある人は、口に出す言葉、文もきれいなんでしょうね。(羨ましい)

自分の留学ではライティングをほとんど強化できなかったと思うので(そりゃ留学しなかったよりはマシですが)、いつかチャンスがあれば、カレッジでWritingの勉強、特にノンフィクション・ライティングの勉強を集中して行ってみたいです。(クリエイティブ・ライティングにはほとんど興味なし)ライティングなんて自分で書いて書いて書きまくればいいんじゃないか。という部分もありますが、やはり英語なだけに、専門家の手助け、ナビゲートは欲しいです。自分には絶対必要です。そしてこの夢は今後の優先事項ではございませんが、これは幾つになってもできることだし、いつかいつか、そういう余裕ができれば、カレッジレベルのWritingを本格的に習ってみたいなぁ。ウットリ・・・(←現在妄想中)




Vocabulary Acquisition

2007年04月03日 | 教育関連話
大学に行ったついでに借りてきた2冊の本のうち、一冊のタイトルは「Vocabulary Acquisition」で、ボキャブラリーとリーディング力に関する本でした。これも興味のある教育に繋がる内容のものですが、それよりもどちらかと言うと自分のボキャブラリーを増やしたり、リーディング力をうまく伸ばす方法などが得られたらいいなと思い、借りてみたのです♪

学生の頃は読まなくてはならないテキストが常に何冊もあり、しかもこなさなければならないページ数はかなりのものでありました。そして卒業した現在は、読む力を下げないよう、新聞・マガジン・書籍などなるべく英文を日々読むよう意識しています。が、学生の頃と違い、現在やっているリーディングは宿題でも試験のためでもなく、あくまでも趣味範囲ですから、読みたくなければ読みませんし、眠くなればすぐ読むのをやめます。(無理矢理読んでいた学生時代は大変だったなぁ・・・・)英文を読んでいて眠くなる。これは確実に読む力が弱いからですよね。日本語のようにはスラスラ読めず、理解も確実に遅いため、脳が拒否反応を起こすのかも・・・。

借りてきた本の話に移りますが、これはほぼアメリカの小学生以下(移民の子含め)を対象にした研究文献が集まったもので、既に大人になってしまった自分には当てはまるようなことはあまり見つかりませんでした。英語がSecond Languageである移民の子供たちと同じような状況だとしても、やはり小学生と自分(30代)では、脳の働きや学びの環境は違いますからね。ちっ でも参考になる研究もいくつかありまして、たとえば、ボキャブラリーの数の差が出る原因の一つに、読む本の違いが上げられていて、易しい本ばかりを読む生徒は難しい本を読む生徒と比べボキャブラリーの数が少ないそう。つまり易しい言葉や表現が使われる本だけでは、新しい言葉や表現法を覚え知る機会が少ないわけですな。これは自分にも充分当てはまる・・・。私は日本で本を読むことは多少なりともしていましたが、その内容は極端に易しいものばかりだったと思います。いや、思うだけでなく実際そう。その結果自分が使う日本語のボキャブラリーの数は恐ろしく少ないですし、アメリカに渡ってから英語の本ばかりを読んでいる今、益々自分の持つ日本語能力が低下していると思います。ガーン そして英語の場合。政治学でのリーディングは難しく感じるものが多かった気がするんですが、それらを無理矢理読むことにより、そこから覚えた単語数はかなりのものだと思います。もちろん意味を調べた単語全てを身につけることはできませんでしたが、テキストリーディングからなんとか得た単語たちは、卒業後やっているリーディングにとても役立っています。4年間勉強してきた成果の一つがここにあり。(何)あとボキャブラリーを増やすには、新しく覚えた単語はすぐに自分で使うことが大事だそうです。単語丸暗記ではなく、自分の言葉として文章にし、そしてそれを絵にして頭に植え付ける。そういえば、他人が使っていた言葉をその状況と合わせて覚えることってよくありますよね。当然と言えば当然なんですが、ボキャブラリーはリーディング力に大きな影響があるそうなので、やっぱ私はボキャブラリーを増やさねば。キッパリ

というわけで、読む力をつけるためにはまず読みやすいものを読んで英文に親しもう、とつい思いがちでしたが、四年もアメリカで学生をしてきたのだから、自分は次のステップに進むべし、と今回気づかされました。これからはちょっと難しいなと感じる本を読むぞ~。寝ないよう頑張るぞ~。