↑あまり意味ないタイトルです。念の為
私が生まれて初めて「人類学」を知ったのは、いつものごとく、アメリカ留学がきっかけでした。まずコミカレでその分野の存在を最初に知ったときは、人類学自体に特に興味も湧かなかったし、一体なんの勉強なの?しょーもな。なんて、今思えばかなり失礼でアホな見方をしておりましたが、コミカレ留学のみの予定を急遽大学進学に変更したとき、それまでは不要であった数々の「一般教養」を一気に履修しなければならなくなり、その一般教養課程選択肢の一つでもあり、スケジュールに組み込むことが可能であった、「形質人類学」を思いがけず履修することになりました。
人類学には大雑把に4つほどのサブ分野がありまして、そのうちの一つが「形質人類学」なんですが、これは生物学的に人類を分析・理解する分野であります。形質人類学を履修した学期の前、サマーコースで生物学を履修し、これまた生まれて初めて生物学の興味深さを知り、それまで自分に欠けていた一般教養を養う必要性を心底感じ、実は進学するきっかけの一つでもあったクラスなのですが、その生物学のクラス同様、形質人類学も学びの感動を与えてくれたクラスでありました。(無知な人間はちょっとしたことにも感動しやすいのかも・・・)
そしてその次学期には、一般教養課程として、そして進学先での専攻予定だった国際関係学の必須科目であった、「文化人類学」を履修したんですけども、このクラスはまぁ、こんなもんかな?程度のクラスでありました。(簡単すぎてたいくつだった)
さてそのコミカレ時代、バイトを通じて仲良くなったSちゃんと、顔を合わせれば話をする程度の知り合い数名は、偶然にも皆人類学専攻だったんです。これは本当に単なる偶然かもしれませんが、人類学に興味を持つ人は、わけのわからん日本人留学生に多少なりとも興味を持ち、この私と仲良くしてくれたのかな?なんて今となっては思います。(留学生が数名しかいないコミカレだったので留学生としての珍しさが高かったせいかも)
進学してからも友だちのSちゃんは人類学の中の考古学を専攻していて、現在は大学院で引き続きその分野を学んでます。形質人類学のクラスでよく話をした男の子(当時27歳)は、コミカレを卒業後テキサス州の大学に進学し考古学をやっているはずで、その後どういった道に進んだのかはわかりませんが、人類学で食べていくと張り切っていました。あともうひとり、ENGのクラスで知り合った男の子も当時26歳くらいの出戻り学生だったんですが、私と同じようにコミカレで初めて真面目に勉強し、人生を考え直し、これから新たに頑張ってみよう!といった気持ちが湧き出ている子でありました。この彼は長年バンドをやっていたようなんですが、その才能を使って人類学のクラスで自作の歌を披露したらしく、その歌詞の内容は、将来は人類学者になりたい。というものだったそう。
この3人を見てきて思ったのが、「人生そういう選択肢もあるんだな。」ということなんですけども、もちろん彼らはまだその道の仕事を確立させていないだろうし、実際その道で食べて行けるのかどうかもわかりませんが、留学前の私は学問としての人類学の存在はもちろん、仕事として何やらあるんだということも、まーったく知らなかったんですよ。でも、大学教育の中でこういったことの存在を生まれて初めて知り、その道に進もうとしている人たちを目にし、30過ぎの私はとても切ない気持ちになりました。(何)
というのも、自分がもし彼らほど若く、きっかけやタイミング一つの違いで、私も人類学を人生の選択肢の一つとして考えたかも?!と思ったから・・・。現在の自分は人類学で生きたいと思うほど人類学に希望や夢を馳せてはおりませんが、人類学は確かに興味深い分野でありますし(文化人類学はあんま好きじゃないけど)、Sちゃんのやっている考古学はとても面白そうだし、細かい手作業がこれでも好きな私には、意外と向いてるかも~?なんて思うんですよね。たまたま考古学は履修することがなかったので、果たしてどこまで夢中になれるか全く想像外でありますけども、歴史が大好きな私なだけに、昔のことを探り当てる作業はやはり興味深い!そして世の中にはその道に進むための教育があり、仕事だって存在する。(←どんなだかわからんが)ほんとこの世には自分が気が付かない様々な物事があるんですよね。そして自分がそれらの存在を知らないだけで、自分にとってどれほどすばらしいものになるかもわからないわけで、だからこそ若いうちから視野や知識と経験を広げ、その中から満足の行く道に進みたいもの。じゃなきゃ人生もったいない!(この記事は実は昨日の記事の続きみたいなもの)
そういう点、無知で視野が狭かった自分の若い頃は、少しばかり時間を無駄にしてきた気がするんですが、とりあえずこの歳になってからでも、これこそ私の進むべき道と思える(大雑把な)世界が見つかったわけで、現在の虚しい仕事にもめげず、今後なんとか頑張りたいと思います。自分が健康体であることと、好きなように生きられる自由な身であることを利用して、こりゃ~やるだけやらなきゃね。(と、自分を慰める)
私が生まれて初めて「人類学」を知ったのは、いつものごとく、アメリカ留学がきっかけでした。まずコミカレでその分野の存在を最初に知ったときは、人類学自体に特に興味も湧かなかったし、一体なんの勉強なの?しょーもな。なんて、今思えばかなり失礼でアホな見方をしておりましたが、コミカレ留学のみの予定を急遽大学進学に変更したとき、それまでは不要であった数々の「一般教養」を一気に履修しなければならなくなり、その一般教養課程選択肢の一つでもあり、スケジュールに組み込むことが可能であった、「形質人類学」を思いがけず履修することになりました。
人類学には大雑把に4つほどのサブ分野がありまして、そのうちの一つが「形質人類学」なんですが、これは生物学的に人類を分析・理解する分野であります。形質人類学を履修した学期の前、サマーコースで生物学を履修し、これまた生まれて初めて生物学の興味深さを知り、それまで自分に欠けていた一般教養を養う必要性を心底感じ、実は進学するきっかけの一つでもあったクラスなのですが、その生物学のクラス同様、形質人類学も学びの感動を与えてくれたクラスでありました。(無知な人間はちょっとしたことにも感動しやすいのかも・・・)
そしてその次学期には、一般教養課程として、そして進学先での専攻予定だった国際関係学の必須科目であった、「文化人類学」を履修したんですけども、このクラスはまぁ、こんなもんかな?程度のクラスでありました。(簡単すぎてたいくつだった)
さてそのコミカレ時代、バイトを通じて仲良くなったSちゃんと、顔を合わせれば話をする程度の知り合い数名は、偶然にも皆人類学専攻だったんです。これは本当に単なる偶然かもしれませんが、人類学に興味を持つ人は、わけのわからん日本人留学生に多少なりとも興味を持ち、この私と仲良くしてくれたのかな?なんて今となっては思います。(留学生が数名しかいないコミカレだったので留学生としての珍しさが高かったせいかも)
進学してからも友だちのSちゃんは人類学の中の考古学を専攻していて、現在は大学院で引き続きその分野を学んでます。形質人類学のクラスでよく話をした男の子(当時27歳)は、コミカレを卒業後テキサス州の大学に進学し考古学をやっているはずで、その後どういった道に進んだのかはわかりませんが、人類学で食べていくと張り切っていました。あともうひとり、ENGのクラスで知り合った男の子も当時26歳くらいの出戻り学生だったんですが、私と同じようにコミカレで初めて真面目に勉強し、人生を考え直し、これから新たに頑張ってみよう!といった気持ちが湧き出ている子でありました。この彼は長年バンドをやっていたようなんですが、その才能を使って人類学のクラスで自作の歌を披露したらしく、その歌詞の内容は、将来は人類学者になりたい。というものだったそう。
この3人を見てきて思ったのが、「人生そういう選択肢もあるんだな。」ということなんですけども、もちろん彼らはまだその道の仕事を確立させていないだろうし、実際その道で食べて行けるのかどうかもわかりませんが、留学前の私は学問としての人類学の存在はもちろん、仕事として何やらあるんだということも、まーったく知らなかったんですよ。でも、大学教育の中でこういったことの存在を生まれて初めて知り、その道に進もうとしている人たちを目にし、30過ぎの私はとても切ない気持ちになりました。(何)
というのも、自分がもし彼らほど若く、きっかけやタイミング一つの違いで、私も人類学を人生の選択肢の一つとして考えたかも?!と思ったから・・・。現在の自分は人類学で生きたいと思うほど人類学に希望や夢を馳せてはおりませんが、人類学は確かに興味深い分野でありますし(文化人類学はあんま好きじゃないけど)、Sちゃんのやっている考古学はとても面白そうだし、細かい手作業がこれでも好きな私には、意外と向いてるかも~?なんて思うんですよね。たまたま考古学は履修することがなかったので、果たしてどこまで夢中になれるか全く想像外でありますけども、歴史が大好きな私なだけに、昔のことを探り当てる作業はやはり興味深い!そして世の中にはその道に進むための教育があり、仕事だって存在する。(←どんなだかわからんが)ほんとこの世には自分が気が付かない様々な物事があるんですよね。そして自分がそれらの存在を知らないだけで、自分にとってどれほどすばらしいものになるかもわからないわけで、だからこそ若いうちから視野や知識と経験を広げ、その中から満足の行く道に進みたいもの。じゃなきゃ人生もったいない!(この記事は実は昨日の記事の続きみたいなもの)
そういう点、無知で視野が狭かった自分の若い頃は、少しばかり時間を無駄にしてきた気がするんですが、とりあえずこの歳になってからでも、これこそ私の進むべき道と思える(大雑把な)世界が見つかったわけで、現在の虚しい仕事にもめげず、今後なんとか頑張りたいと思います。自分が健康体であることと、好きなように生きられる自由な身であることを利用して、こりゃ~やるだけやらなきゃね。(と、自分を慰める)