国際関係学を捨てるまで(6)

2007年08月31日 | 留学色々
現在の夫:同居人とはコミカレ時代からの付き合いで、私がIRで四大に進学することになった経過もよく知っています。

ある日、(未来の)同居人に「観光学をやめて国際関係を学ぼうかと思う。」と私が言ったとき、「はぁ~????」という顔をされました。(←今でもそのシーンを覚えている)でも私がいずれアメリカで働けたら・・と考えているのを知っていた同居人は、「そんな実用的でない分野ではなく、人手が足りない分野や、アメリカ人が不得意なことをやるべきだ。」という当然のごとくのアドバイスをくれました。そのときに薦められた分野はNursingとEngineering。アメリカは看護婦不足だと言われていますし、地元新聞を見ただけでもNursing方面の求人数はかなりあります。(日本人Tさんも当時50代目の前にして看護の勉強を始めていました)そしてEngineering. この分野には留学生が多くいるもので、彼曰く、あんたと同じアジア人留学生を見たらわかるっしょ?賢いアジア人はアメリカ人の不得意な分野に行って、条件のいい仕事を得てるんだよ。とのことでした。ですが、それらはあいにく私が挑戦したい分野ではありません・・・。

というわけで、(未来の)同居人にもらった初期の忠告にはまったく聴く耳持たずで、IRで進学先を選び、編入手続きをとっとと済ませ、実際編入することに至った間抜けな私でありました。それにコミカレ時代はあまりにも学校で忙しすぎ(←無理に編入に向かったため)、自分の留学は全く個人的なことだからと、じっくり彼に進路について相談した事もなかったのですが(ほとんど会うこともなしでした)、彼としても私はいい大人で留学しているわけですし、私の選択に強く反対する理由も、機会も、余地もなかったのかもしれません。でも最後に彼が言っていたのは、「後に後悔しても知らんからね・・・」でした。

で、結局編入前になって自分の選択と行動に大後悔する羽目になったわけで(汗)、確か新学期が始まったばかりの頃だったと思いますが・・・以前同居人が言っていた、“Nursing”に進路を変えてみようかとふと思いつきました。(とりあえず大学で1セメ過ごしたあとコミカレ編入というかたち)Nursingなら学費の安いコミカレで学べる。仕事だって絶対にある。ナースとして堂々国際協力に携われるかもしれない。(←つまり国際関係分野で働ける)これならなんとかなるかもしれないと、思いあたるコミカレのプログラムをチェックし、実際幾つかのコミカレに足も運びました。

がしかし、今やNursingは手に職を付けるという意味で様々な世代が受けたがるプログラムで、応募生徒数に対し教師不足状態でもあることから、Nursing専門科目の登録に2年待ちというのは当たり前だそうなんです。よって登録待ちとなる2年間は一般教養(サイエンス中心)や、専門科目のRequirementなどをぼちぼち履修していくしかないとかで、そんな状態ではいくら学費の低いコミカレでも、卒業年数がかかる分、金銭的に難しいとわかりました。しかも、外国人の私はワークビザをもらわなければアメリカで働けませんが、コミカレの準学士号では学歴不足、学歴に代わるNursing経験も当然ないことから、ワークビザ条件に全く当てはまらないのです。(Nursingなら特例があるかもしれんが)でもその前に、そもそも看護は自分がやりたいことではなく、勉強内容も恐らく自分が進んで頑張れる分野ではありません。Failでもしてプログラムから外される可能性高しですし、または運良く学校を卒業、ライセンスを取得したとしても、私のようなおっちょこちょいでは患者を殺しかねませんから、この道に行かなくて正解だったと思います・・。


皆様お気づきのとおり、↑かなり血迷っていた当時の私です。“四年制大学”で“国際関係”を学びたいがために無理に進学したはずなのに、コミカレに戻って興味のないNursingをやろうだなんて、ほんと、見事に、血迷ってました。経済力がなかったり、無駄に年齢が行きすぎてたりすると、こんな冗談のような行動もありなのかもしれませんが。(ないない)

続く。(あまりにもみっともないのでそろそろ終わりにしたいこのトピック)




国際関係学を捨てるまで(番外編)

2007年08月30日 | 留学色々
最初に留学したとき、そして編入したとき、そして更に他の大学に移ってからもそうですが、私はいつも「On Timeで卒業すること」にこだわっていました。たとえばもし資金が足りなくなっても、途中で休学して、一時帰国して、資金を貯めなおして、学業を再開することはできるんですが、それが自分のオプションではなかった理由。それはまず、自分はカレッジというところをよくわかっていなかったから。

そもそもコミカレ留学で渡米した私でありますが、その頃はまだ「休学」の概念がありませんでした。まず当初、Freshman, Sophomoreなどの呼び方について、大学1年生、2年生という意味だと思っていて、確かにそういう意味になることもあるんですが、それは在学何年目ということよりも、取得した単位数によりますよね。なのでたとえ在学2年目であっても、特定のカレッジ単位を取得していなければ、Sophomoreではないんです。で、私は日本で高卒で、大学の仕組みもそれまでの学校教育と同じようなものだと思っていて、たとえば高校は3年教育で、一般的に3年で卒業するものであるように、二年制大学(コミカレ)の場合、2年キッカリ通い、その2年で卒業するもの、しなければいけないものだと思っていたのです。

いざ留学して、留学生アドバイザーと一緒に初めてクラス登録をしたときのことですが、プレイスメントテストの結果、私は二つのカレッジコース以外のクラス(ESLと数学の無単位コース)を履修しなければならなかったこともあり、AAS Degree単位数を終了するには2年以上かかる可能性があるとわかり、「2年で卒業できないなんてそんなばかな!」と焦った記憶があります。とにもかくも、準学士を2年で取得できないことは、とても恥ずかしいことだとすら思っていたので、どうにかこうにか2年で卒業できないものかと考えもしましたし、そんな私だったからこそ、当時は「休学」なんてありえないことだったのです。しかも、そこで知り合った日本人留学生の中には、1年半で準学士を取った、取ろうとしていた人たちがいて、それは各セメスターに多くクラスを履修し、サマーを履修することによって誰にも可能なことはあるんですが、そういった個人のスケジュール調整次第だとはつゆ知らず、彼女たちが優秀が故、まるで学年をスキップするかのように映ったのです。このように、1年半で準学士を取得する人たちを見たことで、自分が卒業に2年以上かかるのはとんでもないことだと更に思い込んだこともあったのですが、一人の留学生がその内訳(履修の仕方)を教えてくれたことにより、自分の誤解はすぐに解けました・・・・。

コミカレには1年半で四年制大学に編入しようとしていた子もいれば、3年も在学しているアメリカ人がいたりして、一部の留学生はそういうアメリカ人を相当バカにしていました。で、確かに留学生のように英語のハンデがない彼らがなぜに3年もコミカレにいるのか?という疑問も沸きましたが、たとえばサマーは取らず、各セメスター12単位ずつ(最低フルタイム単位数)といったスケジュールを組めば、優秀であろうが、そうでなかろうが、必要な単位数に届くわけがないため、まず2年で卒業はできません。しかもストレートAを目指しているのであれば、Aが無理そうな場合は成績が付く前にドロップし、後に履修しなおすことがあると考えると、よほど優秀でない限り卒業により時間がかかるんですよね。こういった個人の事情や、スケジュールの組み方で人それぞれ違いが出るわけで、しかも高校などのように皆が同じクラスを同じように学ぶのと違い(つまり同じ条件下)、大学では皆が皆履修する科目も担当教授も同じはずがなく、よって卒業するスピードやGPAなどで人と比べられるものではないはずです。(それでも単純に比べる人は多いと思う)というわけで、卒業が早ければ早いほど人より勝っているというわけではありませんし、逆に成績がストレートAだから誰よりも優秀だとは一概に言えないわけです。(←余裕のスケジュールを組み、ドロップなどをして成績の調整をしていることもあるだろうから)

ストレートA話ついでに少し書きますが・・・学生時代、人様のHPやブログを通してなんとなく知ったのですが、学校によって評価のかたちはアルファベットのA、B、C・・・のみ、なんですよね?でも私の通った全てのカレッジでは、アルファベットだけでなく、更に“プラス・マイナス”が加わった成績もありまして、こういった細かな成績の出され方でGPA4.0を達成するのは、より難しいことだと思いました。(ちなみにAには“マイナス”はあっても“プラス”はありません)たとえば、プラス・マイナス評価のない学校で滑り込みAが取れた場合、そのポイントは4.0ですが、マイナス評価のある学校での場合は「Aマイナス」という評価になり、同じAランクでも当然ポイントは4.0ではありません。(正確なポイントは今わかりませ~ん)なので、ストレートA(GPA4.0)を目指したい人は、プラス・マイナス評価のない学校に行ったほうが多少有利かもしれないです。いや、絶対有利です。たとえ滑り込みAでもポイントは4.0なんですから。Bランク以下の成績もありな場合、これに限ったことではありませんけどね。(BよりはBプラスのほうが当然ポイントが高いので)


話は休学がオプションでなかった理由に戻ります。(ゴチャゴチャしててスンマセン)
カレッジ生活を続けるうちに、アメリカ人の中には休学して資金稼ぎをし、また学校に戻るという学生が多くいるとわかり、留学生の自分でもそれは充分ありだと思いはしたのですが・・・・

なんせ自分は30代。ただでさえ「今更留学」だというのに、休学して卒業が延びた場合、卒業時には一体幾つになっているんだ?大丈夫か、自分?という不安が当然ついてまわります。そして日本では就職に年齢制限がつきもの。日本の場合、30代は就職年齢の分かれ道真っ只中ともいえますから(32歳以下、34歳以下、36歳以下、とかの条件はよく見ますよね?)休学して卒業を延ばすことは、自分にとってかなり危険なことにすら感じたのです。もちろんアメリカで就職ができたら・・・という希望は常に持ってはいましたが、それでもほぼ帰国になるだろうという予想はしていたので、日本での“年齢制限”は強く意識せざる得ない点だったのです。

そして就職難に関る、自分が休学できなかったもう一つの理由。自分の場合、もし休学して一時帰国して、なんとか仕事が見つかったとしたら、果たしてその仕事を捨ててアメリカに戻ることができるかどうか?という不安もありました。その仕事はその年齢だからこそ得られるものかもしれず、極端な話奇跡的なことかもしれませんし、その仕事を捨てアメリカに戻り卒業したとして、更に年齢を重ねた後、果たして日本で再就職できるのか?と、先に書いたとおり不安にならざるを得なかったわけですが、かと言って、せっかくやりかけた大学教育を中途半端で終わらせたくもありません。そう考えたとき、卒業を諦めてしまうような状況に自分を置きたくない。という気持ちもあり、休学せずに一気に卒業したかったのです。

そしてもうひとつ。(まだ続くか~!)私の留学先と日本の実家は距離がありすぎるんです・・・。これの往復は本当に本当にしんどいんです・・・。まず留学先として人気のある、西海岸か東海岸かではアメリカと日本の距離は全然違いますよね。どちらの海岸にいるかだけでなく、日本から直行で来られるかどうかにもかかってきます。なので日本から直行でNYCなどに行ける場合、たとえ日本から遠い東海岸でも旅路はラクだと思います。が、私の場合、日本の地方空港から出発し、アメリカ国内で1,2度乗り継ぎをして、ようやく留学先地に到着するかたちになり、それがとてもとてもしんどいのです。(年寄り)空路がしんどいだけでなく、帰国する場合で考えると、日本の空港に着いたあと、実家までの道のりがこれまた長いんです。(電車、バスなどの乗り換えを幾つかして、家に着くまで3時間はかかると思う)こんな大掛かりな帰国はそう何度もしたくありません。なので一時帰国は嬉しいようでありながらとてもとても憂鬱で、だからこそ、今回も日本に帰国せずグリーンカードの申請をしているわけで、とにもかくもあんな恐ろしい旅路はできたら避けたいのです・・・。だから休学も自然と避けたくなったわけですね・・・。(アホな理由ですが)




国際関係学を捨てるまで(5)

2007年08月29日 | 留学色々
3セメで卒業できると思ったからこそ、破産前に卒業可能だとその大学にこだわった私でしたが、現実はそうではありませんでした。(前回の記事参照)そしてその後、更なる予想外な問題にぶち当たることに。

大きな勘違いであったにしろ、3セメで勉強を終わらすことができるのであれば、なんとか資金が間に合うと考えた私でしたが、それは大学でのバイト収入をも含めてのことでした。コミカレ時代、バイトをしようと思った夏すぐにポジションが得られ、進学先の大学でも学期が始まる前に手を打てば、バイトが見つかるだろうと思っていました。なので進学前の夏、クラス登録で進学先の大学に行ったときに、何かポジションがないかあたってみたところ、まずはFinancial Aidの手続きをしなければならないと言われました。私は留学生で、アメリカ人用援助には無関係のはずでしたが、コミカレでバイトが決まったときも(なぜか)その書類に記入することになったため、大学でも同じ状況なのかと、言われるままFinancial Aidの手続きをすることに。(手続き完了に数週間かかると言われた)

その後アパート探しで進学先の地に何度か行ったとき、その都度大学に寄り、バイト状況を確認してみたのですが、「今はポジションの空きがない」と言われるばかり。そして新学期が始まってからも答えは同じで、そのカレッジでのバイトはほぼ不可能のようでした。3セメで卒業できないことが発覚し(←サマーを取れば可能ですが学費が倍になるのでそれもキツイ)、当てにしていたバイト収入が得られない。自分の金銭的不安は益々高くなることに・・・・。

問題はこれだけではありません。進学先は陸の孤島のごとくの地であった「村」にあり、そしてNYCに近づいたせいか、全体的な物価が高く、家賃をはじめ、食品、日用品、車の保険、全て、以前住んでいたところよりも高いのです。(店はモノポリー化しているともいえる)家賃の高さに関しては承知の上だったとは言え、生活費の足しになるはずだったバイト収入がないということで、家賃の支払いとそのほかの生活費が、その後ずっと続く大きな障害に感じられました。

更なる問題は続きます。そこに住み始めてしばらく経ったころ、その地に移ったことにより、自分の世界が急に狭まったような気に襲われました。それが事実か錯覚かはともかく、とにかく本人はそういう気に襲われたのです。その原因になったのは、その「村」がいわゆる「カレッジ・タウン」だったということ。(タウンではなくビレッジですが)

村にある目立ったものといえばカレッジのみで、村人口の割合は学生がほとんどを占めていました。そしてカレッジのすぐ側には2,3分車で走り抜けたらそこまで、という感じの小さなダウンタウンがありましたが、私はその唯一アメリカのコミュニティーを感じられる場とは反対方向に住む場所を決め、カレッジから家までの道のりは、ひたすらまっすぐの田舎道を10分走るだけというものでした。ですので通学中目にするものは山と草原のみで、カレッジにたどり着けばコミカレに少し色を加えた程度の生徒たちがいるだけ。(←どんなんや) つまりその地で目にするものは、学校、学生、そして大自然。この自分の状況に身を持って気付いたとき、突然陸の孤島に追いやられた気分になってしまったのです。

自分のやりたいことがわからないまま仕事に繋がらない専攻を選び、そのあまりにも幼稚な自分を進学直前に認識したあと、3セメで卒業できないことが発覚したうえ、大学でバイトもできず、物価の高い、個人的にノイローゼになりそうな「陸の孤島」に2年も住むことになった私。コミカレ卒業時から進学してからの1ヶ月ほどの間、自分の愚かな選択と行動を、後悔してもしきれないほど悔やまれる辛い状況でありました。(とにもかくもバカすぎる・・・・)


続く。




国際関係学を捨てるまで(4)

2007年08月28日 | 留学色々
「国際関係学を捨てるまで」なんて恐ろしいタイトルで記事が続いていますが、皆さんお気づきの通り、実際のところは国際関係を捨てたわけではありませんでした。大学を転学をして専攻が「政治学」になったものの、卒業まで学んだことはしっかり「国際関係」ですから~。(←一応諦めてなかった人)

で、本日は、進学先のクラス登録で唖然としてしまった、お間抜けな話をしたいと思います。

そもそも私が最初の大学を選んだ理由は、前回の記事に書いた通り、その大学にはIR専攻があったからです。IRという専攻名だけで、自分が学びたいことがそこにあると思ってしまった私ですから、専攻の「IR:International Relations」は、大学選びの絶対条件だったのです。

まず私はNY州のコミカレに通っていましたが、進学先を決めるために、IR専攻のある全米の大学をサーチしました。その中から学費がとても出ない私立は省き、公立の大学に絞って選び出し、でも結局は引越しがしやすく、単位の移行が有利であるNY州立大学に行くことにしました。そしてその大学編入のために、大学規定の一般教養と必須科目を履修するよう、コミカレのスケジュールを組み直し、自分的には準備万全だったのですが、この段階で得た情報に大きな落とし穴が・・・。

落とし穴と言うとまるで大学のわなに引っかかったかのようですが、恥をかき捨て暴露させていただくと、実は自分の大学に関する知識の足りなさが問題でした。

ある日、IR専攻で大学を卒業する条件などを調べていたとき、そこには専攻必須単位数、必須コースなどが載っていて、それを見た限りでは、私は3セメで卒業可能かのようでした。それはまず、自分がコミカレで一般教養を終わらせ、IRのUpper Courseを履修するためのRequirementも同時に済ますことができそうだったからです。がしかし、Bachelor’s Degreeを得るためには(卒業するためには)、一般教養と専攻必須単位を済ませればいいというものではありませんよね。でも私はその情報を見たことにより、編入後専攻科目さえ履修すれば、大学を出ることができると思い込んでしまったのです。

「この大学なら3セメで勉強を終わらせることができる。破産する前に卒業できるかもしれない。自分はこの大学に行くしかない。」と大きな勘違いをしたまま出願し、合格通知をもらい、コミカレを卒業しました。そして進学予定先の大学で、編入生クラス登録をしたときのことです。クラス登録の担当者であったIR教授に、自分は3セメで卒業するつもりでいると伝えたところ、どれどれと私のTranscriptをチェックされました。すると、3セメではBachelor’s Degree卒業単位には届かないだろうと言われ、それは一体どういうことなのか話を聞いてみてはじめて、四年制大学を出るには、専攻必須単位以外の単位も更に必要だとわかったのです。これは本当にショックでした。自分の全財産を考えた場合、4セメの学費と生活費は恐らく出ない状態だったからです。(涙)

この事実を知らされ、一気に途方に暮れたものの、その時点ではその大学に進学するしかなく、とにかく行けるところまで行くしかないという思いだけで、進学先のクラス登録をしたのでした・・・・。

この自分の愚かな過ちの原因は、そもそも大学のシステムを理解していなかったからだと思います。それにもし自分の進路についてコミカレのアドバイザーに一度でも相談していれば、こんなマヌケな勘違いをしたまま進学に至ることはなかったとも思います。あぁ、恐るべし自分の思い込み行動力。(違)念の為、コミカレの友だちなどにはこういった話は何度かしてました。でもその人たちは私の持っている単位の状況や、他の大学や専攻のことはよくわからないものですし、私が「3セメで卒業できそうだ」と言えば、「そうなんだ」という感じになっても当然です。なので進学先のIR教授に指摘されるまで、自分の勘違いに気付くことはなかったのです・・・・。

続く。




国際関係学を捨てるまで(3)

2007年08月27日 | 留学色々
不安を抱えながらとりあえず進学した後。

進学先は州立の小さなカレッジでしたが、全米でも珍しいとされる「IR:国際関係学部」のある学校だったので(IRはたいてい政治学部の一部になっている)、IRに強い一流校に行けない学生でも、希望を持ってIRを学べる、貴重でリーズナブルな大学のひとつだったと思います。そんな「IR学部IR専攻」のある大学ですから、そこには当然IRを学んでいる生徒が山ほどいました。(念の為、小さなカレッジなのでユニバーシティと比べると生徒数は少ないですよ)

ひとまずここでコミカレ時代に話はさかのぼりますが、進学前の当時、IRを目指している生徒は自分以外に一人もいなかったような気がします。たとえばそのコミカレで2年に一度だけ開講される、「イントロ国際関係」にいたクラスメイトたちは、「政治学」や「ジャーナリズム」などの一環として履修していただけで、進学後「IR」に進む予定はなかったようでした。でも一応一人だけ、私と同じく「海外」に興味を持ち、IRを専攻にすると言っていた女の子がいたんですが・・・・「イントロ国際関係」が他の教科と比べると難しかったようで(Theoryとかわけわかりませんから)、「国際政治は無理だ」とあっさり途中で専攻を変えていました。(←言語学を専攻し、海外で英語を教える道に進んだのだと思う。実は後に2個目の大学の言語学コースにて彼女と再会しました。)でも彼女が専攻を変更した気持ちはよくわかります。私も「イントロ国際関係」を受けて、「国際政治ってこんなに難しいものなの?!」と唖然としましたから・・・。「イントロコースでちんぷんかんぷんって一体・・・・」てな状態でしたから・・・。

で、そんなコミカレのあと四大に進学してみたら、当然ながらやる気満々IR専攻の生徒がゴロゴロいます。IR系統のUpper Courseを履修すれば、ほとんどIR専攻の生徒ばかりです。ただでさえ仕事のチャンスが少ない分野だというのに、こんなにIR生徒がいたら、30代日本人の私なんておしまいだ~~~・・・・・。と更に弱気になったのは言うまでもありません。

ま、でもこれはどの分野でも同じですよね。国際関係だろうが、ビジネスだろうが、それぞれに同じ専攻を持つライバルが、学校中だけでなく、全米中にいるわけで、就職競争に勝ち抜かなければならない状況には、一切変わりないんです。でも個人的には、もし専攻が他のものだったら、心境はまた違ったと思います。なんとなくですけど・・・

続く