州立大誕生秘話

2007年06月30日 | 教育関連話
私は授業料の安い州立大を出た。その州立大卒業の前に、さらに授業料の安い、入学条件はほぼなしと言えるコミカレに通い、大学に編入した。若いころろくに勉強もせず、特別裕福でない私が教育の機会を30代になって得られたのも、アメリカの独特な教育システムのおかげだ。

日本には授業料の安い国立大学があるが、入学できるのは優秀な者に限る(よね?)。そして私のように学力の低い者がかろうじて行ける大学は一部の私大となるだろうが、私大となると学費が出ない。もし、何年もかけて学費を貯め、30代で私大に入学しようとしたとしても、果たしてそれが日本で可能なのか私にはわからないが、自分の場合、そこまでして大学に行こうとは恐らく思わなかっただろう。(実際アメリカで教育を受けてその価値を認識したくらいですし)

コミカレやレベルの低い州立大学を軽視する人は多くいると思うが、その理由は充分納得できる。(皆様ご存知難関州立大もあります)しかし私個人の立場で言うと、私でも通えた州立大学の存在や、自分に再び学ぶ機会を与えてくれたアメリカの教育システムには感謝せずにいられない。その私にとってありがたい「州立大学」がアメリカに誕生したきっかけは、(何度も読み返している)テキストによると独立戦争あたりまで歴史はさかのぼる。

ヨーロピアンたちがアメリカ大陸に進出し社会を築き始めていた当時、そこに移り住んだ(エリート)ヨーロピアンの子供たちは、主にイギリスや他のヨーロッパ諸国に渡り大学教育を受けていたらしい。後にはアメリカの大学としてハーバード(1636)やイェール(1701)が創立されたものの、ほとんどの教育者はイギリスから呼び寄せられていたらしく、当時の大学教育はイギリスのそれが基盤だったと言える。

Revolutionary War(独立戦争)以前から、アメリカにはアメリカ人によるアメリカ教育の必要性が意識され始め、それと同時に州が直接運営できる大学、州立大学を創る案も出始めたらしい。というのも、当時のアメリカにはいわゆるプライベートスクールである「Religious School」しか存在せず、まず宗教と教育を別にするべきだと考えていた州政府派(Democrat-Republicans)は、宗教から離れた、一般人でも通える「Common School」を強く求めていた。そしてそのCommon Schoolの一つがアメリカの州立大学に当たる。

初代アメリカ大統領ワシントンを始め多くの連邦政府派(Federalist)側は、州のパワーが強くなりすぎるのを恐れ州立大学の設立には反対だったらしいが、幾つかの出来事を経て(それらについては今回省きます)、1785年、州立大学University of Georgiaが誕生した。その後次いでUniversity of North Carolina, University of Virginiaが創立され、このように初期の州立大学設立が南部から始まったのは、連邦政府派がアメリカ北部に集中していたのに対し、州立大を求めていた州政府派は南部に多くいたためらしい。(つまり政治的バックグラウンドが強く影響しています。これらはとても面白い事実だす。)

一部のエリートしか通えないプライベートスクールだけが大学教育の場であった時代と比べ、州立大学の誕生後から現代までより多くの国民が大学教育の機会を得られるようになった。(それを最大限に利用するかしないかはともかく)そしてこのアメリカならではの教育システムの恩恵を、外国人の私ですらしっかり受けることができた。もしアメリカが別の教育システムを掲げていたら、30を過ぎた私には教育のチャンスは2度と得られなかった可能性が高い。
(↑今だからこそ言えるとはいえ、想像しただけでも恐ろしい)
(念の為、これは若いころに勉強しなかったせいですので。つまり自業自得。)


以上、American Educational Historyから学んだ、ありがたき州立大学の(大雑把な)誕生秘話でありました。

続く。



マーケティングの奇跡

2007年06月29日 | 留学色々
留学2セメ目当時の専攻は、「観光業」または「ホテルマネージメント」のどちらかを考えていて、いずれにせよ、コミカレでAAS Degreeを取り2年で卒業するつもりでいました。

なので2セメ目に履修していたクラスはこんな感じ▼

ビジネス 182 (Tourism Marketing) 3単位
ビジネス 191 (Reservations Systems)3単位
ビジネス 192 (Tourism Destination)3単位
英語 101 (Introduction to College Writing)3単位
数学 110 (Math of Finance)3単位
体育 116 (Volleyball) 1単位

以上の計6クラス16単位。

この頃はまだバイトもしておらず、住まいは静かなホームステイと、心身ともにとてもラクな学生生活を送っていたと思うのですが、ラク=幸せ という公式は成り立ちません。と言うのも、当時の私はまだまだ自分のしていることから満足感が得られず、心の中はもやもや、これでいいのだろうかと常に自分に問いかけていた状態・・・。そしてそんなことになった理由はズバリ履修していたクラスたちです。実のところ、AAS Degreeでも必要となる一般教養科目(英語・数学、ついでに体育)にはやりがいを感じていたんですが、当時の専攻科目であった3つのクラスからは学んでいる感覚が一切得られず、大金を払ってまで留学している自分が情けなくなったくらいだったんです。


ここまでは余談でありまして・・・



そのセメスターを終えたあと様々なことがきっかけで専攻を変更し、(無理矢理)進学に至ったのですが、観光業がらみの単位は新たな専攻(政治学)に使えないだけでなく、一般教養としても扱われないため、進学先の大学ではどれも卒業単位に成りえませんでした。ところが!2個目の大学に編入したときに移行単位を確認してみると、捨てたと思われた単位:Tourism Marketingが一般教養Electiveに加えられているじゃーありませんか!つまり堂々大学の卒業単位になっていたというわけです。奇跡だー!(違)

というのも、たとえば他の2クラスはどう考えても何にも使えない単位(クラス)ですので、このTourism Marketingも同様に単位として意味無しと思っていたんですが、どうやら「Marketing」というのがよかったみたいです。Tourism Marketingは文字通りTourism分野のマーケティングなので、実際限られた範囲のマーケティングしか習ってないにしろ、大学によっては大学教育として(とりあえず)見てもらえるようですな。(クラスの中身は空っぽだったが)

たとえ最初から専攻の意思が固まっていても、留学1年目あたりはなるべく応用が効く科目を履修したほうが無難です。私のようにころっと進路を変更する、行き当たりばったりな留学生はほとんどいないでしょうが、念の為。


↑詐欺のような記事タイトルでスンマセン。


ダーウィンとアメリカ

2007年06月26日 | 一般教養
先日書いた通り、高校でまともに勉強してこなかった私は、進化論で有名なダーウィン(Darwin)のことは留学して初めてまともに認識しました。

進化論は生物学に関ることですから、私はまずBiologyのクラスで教わり、次にPhysical Anthropologyでも同じレベルで教わったんですが(つまり少しダブっていた)その後、歴史や文化、政治に関するクラスではたいてい「ダーウィン進化論」が何かしら顔を出し、差別主義の人たちがこの進化論を利用し、有色人種は白人より劣っているという考えや、人種差別行為を正当化していたとも知りました。(その人たちのことをDarwinismと呼ぶ)

進化論がなぜに差別を正当化するものになりえるのか、最初すぐにはピンとこなかったんですが(バカだから)、つまりは生物学的に優れた生物(白人)はその置かれた環境に適合し、繁栄しながら生き残るが、逆に劣った生物(有色人種)はそれができず、いずれは既に絶滅した生物同様、この世から消えるだろうという考えを元に、たとえば黒人が差別を受け弱い立場に置かれたとしてもそれは自然の成り行きであり、白人が上に立つことは当然のことという主張に繋がるそうなんです。

このようなDarwinism(Darwinismにも色々あり)は現代では全く論外扱いだと思いますし、これまで私はそのDarwinism理論を「一部の人間の誤った考え」として受け止めていました。そして同時に、進化論がそんなことに利用され、しかも自分の名前が差別者たちの代名詞として使われるとは、Darwinもさぞや心外だろうにと思っていたんですが、ところがどっこい、Darwin本人までも、白人至上主義、差別の正当化を証明するかのごとく、自分の説を説いていたらしいのです。なぬー!?

実はその説を説いた作品のタイトル「The Origin of Species」にはしっかり続きがあり、本来のタイトルは「The Origin of Species by Means of Natural Selection, or The Preservation of the Favored Races in the Struggle for Life」なんだそう。ガーン そして内容も人種差別そのものなんだそう。ガーン(原本を読んだことがないのでわかりませんが、なんせタイトルの一部になるくらいですからねぇ・・・)

▼参照Web
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

一般的にこの長いタイトルが使われないのは、それでは差別があまりにもあからさまだからだそうで、実際カレッジで習ったときもこんなタイトルは目にしたことがありません。いや、たとえ目にしても、まさか人種差別に関ることだとは全く思わなかっただろうなぁと思います。(英語なだけにあえて指摘されなければ意識が行かないのだ)それにしてもDarwinに裏切られた気分・・・

奴隷制度などをめぐるCivil War (1861-1865)の後、アメリカ国内での人種差別が減るか、またはなくなってもおかしくなかったのに、結局世界大戦後まで黒人たちの権利が確立されなかったのは、この差別むき出しな進化論(1859出版)が一つの原因なんだとか。(タイミング悪く世に出回ったらしい)主に生物学や自然科学分野のものだと思っていたDarwinの進化論、アメリカ社会のこんなところにも影響が出ていたんですね・・・。


ちなみにこのことはAmerican Educational Historyで知りました。ダーウィン本人の差別意識はあまり注目されることでないだけに、あえて記事にさせていただきましたです。(いやいや、驚いた)




2年遅れのアメリカ

2007年06月25日 | 一般教養
American Educational Historyに、アメリカの学生の学力は日本の学生と比べ「ほぼ2年遅れ」だと書かれてありました。これはたとえば、日本の学生が高校2年生あたりで習うことを、アメリカの学生は大学に入ってやっと習う、といったことだと思います。(多分理数系が当てはまる)だから高校を出てすぐアメリカ留学で数学を履修すると、日本で既に習ったことを再びやることになるわけで、「大学に入ってまでやることじゃない!」と感じる日本人留学生はかなり多いかと思います。(特にコミカレ?)

でも私の場合、高校のときに一切勉強しなかったので、アメリカのカリキュラムがたとえ日本より2年遅れであろうが、高校で習うはずのものであろうが、その点全く問題ありませんでした。だって自分にはどれもこれも初めてだったんですもの~。(それがいいことだとは言わんが)

私は数学やサイエンス単位が特に必要な専攻ではなかったため、理数系クラスはほんの一部しか履修しておらず、数学はたったの一つ、科学も同じくたったの一つです。確かにどちらも想像していたカレッジのカリキュラムにしてはとても簡単な内容でした。たとえば数学はファイナンスに関るもので、数学がそういった形で日本の高校で教えられているとは思いませんが、それは代数の応用版だったので、代数の基本さえ出来る人であれば、つまり中学生でも、すんなり解けるはずです。そうなるとアメリカの数学は2年遅れどころじゃないっすね。

そして一般教養必須科学として履修したのは、Principal Biologyで、これまた日本の高校どころか、ずばり中学で習う程度のものでした。と言うのも、担当教授曰く、そのPrincipal Biologyはアメリカの高校レベルらしく、アメリカは日本の2年遅れと考えると、そのクラスは日本の中学レベルまで落ちちゃうんですよね。あらあら・・・

でも!私にとっては久しぶりの勉強でしたから、たとえ中学レベルでも充分ためになったクラスでした。だいたい中学で習ったことなんてほとんど覚えてないですから。しかも英語で学び直しとなると、それなりにチャレンジ性もありますし、当時の英語力を考えると、とことん易しいクラスで自分にはちょうどよかったと思います。(易しいとは言ってもそれはサマーコースだったので進みが早い分頭パンクしそうでしたが)それにどこかにも書いたと思いますが、この中学レベルのバイオロジーを履修して、自分にはまず一般教養が必要だとつくづく思い、そしてこの思いが大学編入の道へと繋がったんです。中学レベルの科目が30代の人生の道のりを変えるきっかけになるのは、もしやこの世で私だけかもしれません。バカすぎ~

こういった自分の経験から見ても、確かにコミカレ理数系クラスは日本と比べるとレベルが(かなり)低く、余裕で日本の2年遅れと言えると思います。

が!履修しなければならない一般教養は理数系ばかりじゃないんですよね。アメリカのカレッジには日本の高校にはない科目もたくさんあるはずですし、たとえ日本にもある科目であっても、それぞれアメリカの視点・見解を元に教わるわけなので、日本のそれとまるっきり同じもの、つまり完全なる高校の繰り返しになるとは思えません。そして基礎的理数系のように、理論はほぼ世界共通、答えは一つであるような科目はともかく、特に文系はそれぞれ日本とは違った視点から学べると言う点、新たな発見も多くあるはずです。しかも教授によってクラスで使われるテキストも課題も違ったりで、同じアメリカ国内、はたまた同じカレッジであっても、同じタイトルのクラスが全く別物になることも多いくらいです。まぁ、私は本当に日本の高校で勉強をしてないんで、実際のところどこまで高校の繰り返しになるのかならないのかわかりませんが。

というわけで、たとえ留学先のアメリカが日本の2年遅れでも、考えようによってはそんなに悪くないと思います。とにかくカレッジには高校にはない科目が絶対ありますので、そういったものを可能な限り履修するのが一般教養課程における「高校の繰り返し感」を避ける手でしょうかね?(いや、私は本当に日本の高校で勉強をしてないんで、実際のところどうなのかはわかりませんが)←強調しておきます







American Educational History(続き)

2007年06月19日 | 教育関連話
先日の続き。

建国前あたりのアメリカとNative Americanに初めて触れて、たとえ似たような題材でも、アプローチの仕方でそれは全く違う印象になってしまうということを改めて発見しました。と言うのも・・・

イントロコースのメインテキストになりそうな「American Educational History」を読む前に、薄手のサブテキストらしき別の本を読んでいて、そのテキストは教育絡みの人種差別について書かれたものだったんです。

↓コレ

「Deculturalization and the Struggle for Equality」

この薄手テキストにはアメリカ国内で差別された、または差別されている人種ごとにチャプターがあり、そこに書かれてあったNative Americanたちの迫害状況を読むと、それらは当然気分のよいものではありません。でも「American Educational History」にはそのようなことは一切と言っていいほど載っておらず、一部の歴史が省かれているとずばり言えます。むむむ・・・ この二つのテキストは微妙に教育目的が違うでしょうし、1冊に全てのことを書き記すのは無理があるにしろ、一部は意図的に省かれているような感覚を受けました。むむむ・・・ これって日本の歴史テキストと同じなんじゃ・・・。

物事は様々な視点から見て知り考えなければならんのだなと今回思ったんですが、そういうのはなかなか容易ではないですよね。それをするにはまず時間がかかりますから。一生勉強していこう、と更に意気込みが入ったぞ。フンガー

さて、以前はNative American=追いやられた人種 ということくらいしか知らなかった私ですが、ヨーロピアンたちがNative Americanをアメリカ大陸の端に追いやる前に、まずNative Americanを西洋化する試みがあったようです。(←西洋文化が勝っていて、Native American文化は劣っているという考えの下)当時のアメリカ政府は、Native Americanたちの文化や言語を消滅させ西洋化することにより、彼らを自分たちの支配下に置くことができる、と考えていたわけです。これって昔の日本が他のアジア国にやっていたことと同じなんじゃ・・・。

そしていつものごとく記憶が蘇ってきたクラスが一つ。(←あれやこれやと繋げる人)

とある学期、大学で1単位のクラスを取ったのですが、それはLinguistics(またはAnthropology)のIndependent Studyで、この手のクラスは出席する授業がなく、独自で何かしら勉強し、ペーパーで評価をもらうものです。そのとき自分で学んだこと(リサーチしたこと)は、ブルガリアの政治に関る言語問題だったんですが、戦前当時のブルガリア政府は、国内に住むイスラム系トルコ人にブルガリア言語を強要、トルコ語で行われる教育全てを廃除、そしてTurkish文化全てを消滅させようとしていたんです。これはNative Americanたちが受けた迫害や、アジア諸国が受けた被害と同じ。文化の押し付けといえば、アメリカがここ数年行っているイラク侵略もそれに当たりますよね。


教育と政治は切っても切れない間柄。(何事も実は政治絡みなんだろうけど)
そして人間社会に多大な影響を与える教育分野。(どの分野もそうなんだろうけど)
これは責任重大です。
(別に誰に任されたわけでもないのだが)