国際関係学を捨てるまで(完)

2007年09月06日 | 留学色々
編入当時、IR:国際関係学のUpper Courseを履修するには、あまりにも自分は準備不足だったと強く思うんですが、そのUpper Courseの一つ、「American Foreign Policy」で受けたEssay Exam(Multiple Choice付き)で、なんと恐怖のFを取ってしまいました。これはEssayがショボすぎたわけではなく、設問に対し全く書くことができなかった結果なのですが(←これでも自分フォロー)、これにより自分の力不足をひしひしと感じ、「もしや専攻を変えるべきなのではないか?」という少しばかり諦めモードになりかけていました・・・。

が、ところがどっこい、長期的に落ち込むことを知らないわたくしですから、立ち直りは非常に早かったです。

徐々にその大学(カレッジ)に慣れつつあるころ、「国際関係っておもしろいかも・・・」「やれるだけやってみる価値があるかも・・・」と思えるようになってきました。四大のIR専門教授たちから教わるInternational Relationsを通じ、海外旅行をしていただけの頃には見えなかった異文化の様子や、諸外国の関係・歴史などをもっと知りたくなり、とにもかくも、政治を通して日本の外の世界を見るというアプローチ方法に感動すら覚え、国際関係学に対する興味が再び強く湧き始めてきたのです。

更にそんなとき、他の大学への編入計画が上がったことにより、自分は陸の孤島から脱出し、金銭的不安が(多少)和らぎ、車に関する心配もなくなるかも・・・と思っただけで、その後のアメリカ留学生活に希望が見え出し、将来的に自分に何ができるかわからないけれど、政治学を学びながら、これからゆっくり探していけばいいのではないか?と無理矢理考えられるようにもなりました。(いいのか、わるいのか・・・)汗

ちなみに「American Foreign Policy」はほんとキツかったです。アメリカ政府や歴史を良く知るアメリカ人にはそうでもなかったかもしれませんが、担当教授はIR学部の中でダントツ厳しいとされる教授だったので、政治学準備不足の自分が、編入していきなりこの人のUpper Courseを取ったのは、ちょ~っと無理があったかったな~と思います。たとえば、Upper Courseでも特定の分野に集中したUpper Courseとしてのイントロコースは多くありますが(ほんとに)、私にとってのAmerican Foreign Policyは違いました。あれはUpper Courseの中のUpper Course。でしたよ~。(涙)日本人には辛いっすよ~。(大泣)


というわけで、まずは単なる憧れだけであった、本格的IRに進学先で触れたことにより、このまま諦めてたまるかという無駄な意地と、まだまだ見知らぬ世界への期待も湧き上がり、たとえ自分に将来性のない専攻であっても、新たな大学で、気合を入れなおして、その分野を(恐る恐る)学び続けることにしたのです。まぁ、卒業後の仕事のことを考えた場合、専攻は無難なもの(ビジネスとかに)変更したほうがよかったのかもしれませんが、当時専攻の変更はちょっと難しい段階ということもあり、無理に変更はしませんでした。(卒業が延びてもいいのであれば可)でも専攻の変更ができる状態でなくてよかったと思っています。政治学を諦めてしまうことにならず、本当によかったと思っています。なぜならば、私は高校で一切勉強せず社会人になった今や30代のオバハンですから、今回若い頃に得られたはずの教養を4年間かけてアメリカのカレッジでようやく得たようなもので、そして政治学を中心に学んだものは、自分がずっと欠如していて、無意識に求めていた教養だと卒業した今でも思うからです。(大人になってこんなことをしなくても済むよう、みなさんは高校でしっかり勉強しましょうねー)(もちろん大学でもねー)そう考えると、International Relationsという専攻を初めて知ったとき、そこに自分の学びたいことがあるような気がしたというのは、まぐれにせよ決して間違いではなかったと思います。
進学前あ~んなにこだわっていた”国際関係学専攻”は、見事にあっさり捨てちゃいましたけどね。


恥曝しシリーズはとりあえず、




国際関係学を捨てるまで(8)

2007年09月04日 | 留学色々
前回の記事冒頭に戻ります。

とある理由で某大学(ユニバーシティ)のWebを覗いてみたとき、何気にPolitical Science Departmentページを開いてみました。その大学(ユニバーシティ)にはどのようなコースがあるのか興味が湧いたからです。すーるーとー・・・・・・そこには政治学の一部として、国際政治(World Politics)のカテゴリーがあります。当時国際関係学専攻で通っていた大学(カレッジ)にあるコースと見事に同じコースが並んでいます。つーまーりー・・・・・国際関係学専攻のないその大学(ユニバーシティ)でも、国際関係の勉強が充分できたのです。

これはとてもショックな発見でした。

進学する前は政治学と国際関係学の繋がりが見えず、進学したあとようやくその関係を知りました。そしてまさか某大学(ユニバーシティ)の「政治学」で「国際関係」の勉強が、国際関係学専攻がある大学(カレッジ)同様できるとは、実際Political Science Departmentページを覗くまで、想像もしていませんでした。「国際関係学」の性質を理解していなかったからこそ、「政治学」と「国際関係学」の繋がりが見えなかった私です。繋がりどころか、分野として同じと言えば同じなんですよね。まず国内中心の政治を学ぶか、海外の政治を学ぶかの違いがあるだけで、どちらも「政治」を学ぶことには変わりないのですから。あぁ、私って、私って・・・・。(汗)そして私はその大学(ユニバーシティ)へ「政治学専攻」で編入しようと決めました。編入する理由は何か?まずは自分の持つ資金面の問題を少しでも和らげるためでした・・・・。

前回の記事に書いたとおり、(未来の)同居人は私にその大学への進学を薦めていました。彼は私に大学資金が充分にないことは百も承知だったので、自分と一緒に暮らせば留学費用のほぼ半分にも値する“生活費”が抑えられるのではないかと言っていたのです。当時彼がオファーしてくれたRentはとても低い金額で、逆に自分が進学した地で払っていたRentは、一軒家を5人でシェアしていたにもかかわらず、彼のオファーの数倍もしました。今後彼と住むことにより、毎月支払わなければならないRentが少しでも抑えられれば、長い目で見るととても大きな節約になります。つまりその節約になる分をこの先のTuitionにまわすことができ、国際関係の勉強が続けられるだけでなく、卒業の可能性が高まると思えたのです。が、そんな甘い考えはそう簡単に通用しません。編入を決め、同居人に早速電話したときのことです。私のかなり自分勝手で図々しい突然の「編入・引越し計画」に対し、「何なの今更?一緒に住むことにすぐには返事できないから・・・。」と冷たい反応をされてしまったのです。そのときの私の心境は、「一緒に住んでもいいって言ってたじゃないのよーーーー!(叫)オニーーーーー!!!(叫)」だったのですが、彼の反応はごもっとも・・・。(汗)


たとえ同居人と一緒に住むことができなくとも、その地へ移ることによって得られる「精神的メリット」が幾つかありました。そのひとつは車に関することなのですが・・・・

まだコミカレでサマーコースを履修していた進学直前、遂に自分の車が本格的にぶっ壊れました。(←エンジンの調子が悪かったと思われます。)幸い近所に住む、同居人の古い友人が私の車を四苦八苦修理してくれ、これで当分心配はないだろうと思っていたのですが、進学先ですぐ、また別の箇所がおかしくなりました。(←あまりにもボロ車過ぎた)でもその対処はどうにかこうにかできたため、その車で通学を続けておりましたが、それでもいつ再び調子が悪くなるかわかりません。しかもコミカレ時代と違い、同居人の助けも、同居人の友人の助けも簡単に得られない地に引越しした私ですから、何か起きれば全て自分で対応しなければなりません。ま、それはともかく、自分にとって一番憂鬱だったことは、「車がなければ通学不可能」という事実です。以前の記事にも書きましたが、進学した地は陸の孤島ごとくの「村」でした。人口が少ないことから、村内に公共交通機関(バス)は走っていません。そして人口のほとんどを学生が占めるようかの学校付近(徒歩圏内)では、自分が希望する生活環境が得られそうもなかったため(←進学前の最初は徒歩圏内でアパートを探していたのです)、あえて多少大学から離れた静かな場所に住まいを決めてしまいました。ま、大学から離れたと言っても、通学距離は3マイルほどだったので、そう遠いわけではありません。通学の道のりは信号もない田舎の1本道ですから、車で一気に大学に行くことができます。

が、もし車が壊れたとして、歩いて大学に行くことになったとして、この3マイルほどの距離を歩くと考えた場合、何もない田舎道は気が遠くなります。(街中を3マイル歩くのとは感覚は絶対違う)贅沢だと思われようが何だろうが、真冬になれば長時間徒歩は危険とも言えますし(自転車も絶対無理)、私はとても徒歩通学する気になれません。しかも履修していたクラスは一度たりとも欠席したくなく、何が何でも学校に行かなければと思っていただけに、車が故障し欠席する羽目になる可能性の高さが、とても耐え難いことでもありましでした。ですので、毎日車のエンジンをかけるたび、そして大学にたどり着くまで、神経をちくちくやられるほど、車の調子が気がかりでたまりませんでした。(←ボロ車を持つ人間の宿命か・・・)

こんな生活をずっと続けるのはいやだ。本来留学生活を助けるための車が、逆に精神的負担になっては意味がない。心底そう思った私は、大学(カレッジ)の徒歩圏内に引っ越すことも考えたのですが、学生しかいない陸の孤島の村に留まるよりも、どうせなら同居人の住む地にある、某大学(ユニバーシティ)へ編入することに決めたのです。そこへ移れば、たとえ車に問題が起きてもバスで通える。(市バス以外、大学へのシャトルバスも走ってます)とりあえず誰にも頼らず、自力で安全にバスで身動きが取れる。これほどすばらしいことはない!(叫)

大学を卒業した今でもそれは本当に思います。自力で動ける環境は、私にはなくてはならないのです。車を持つ人に頼らなければどこへも行けないという状況は、わがままな自分には耐えられないのであります。


今回で最終回のはずが、全て書ききることができませんでした。
よって今回も、




次回へ続く・・・・。




国際関係学を捨てるまで(7)

2007年09月02日 | 留学色々
一瞬希望が持てそうだったNursingは無理だとわかり、将来性のない専攻でも、卒業見込みのない資金状態でも、このまま陸の孤島の大学で行けるところまで行くしかないか・・・と、ほぼヤケクソ状態だったとき、何気に某大学のWebsiteを覗いてみました。その大学は(未来の)同居人が住んでいる地にある、皆様ご察知の通り、私が転学し無事卒業した大学(ユニバーシティ)です。


コミカレ在学中の進学を決めたころ、同居人に編入先としてその大学(ユニバーシティ)を何度か薦められたことがありました。が、当時彼の薦めをあっさり却下した私でありまして、お間抜けなことに、これまた大学に関する、自分のとんでもない勘違いが却下理由でありました。

却下理由(1) その大学には「国際関係学」専攻がない。
国際関係学という専攻名だけで、自分が密かに求めていた“インターナショナルな分野の勉強”ができる、そして将来的にその未知の世界に入りこむことができる、と思いこんでいた私ですから、この専攻(国際関係学)でなければ進学する意味がないと考えていました。ですので、「政治学専攻」はあっても「国際関係学専攻」がオファーされていないその大学は、自分の進学先の選択肢には成り得なかったのです。(政治学があるところであれば通常国際関係は学べます。)←後に発覚

却下理由(2) 一般教養RequirementとAgreement
コミカレと四年制大学の間にはたいてい“進学提携(Agreement)”が結ばれてあり、コミカレからその提携のある四年制大学への進学は、ある程度保証されているようなところがあると思います。(合格優先権?)もちろんGPAが極端に低ければ問題外ですが、提携の結ばれていない大学へ出願するよりは、合格の確率がより高いといった感じです。で、私が通っていたコミカレの場合、自分が選んだ大学(国際関係のあるカレッジ)と、同居人が進めてくれた大学(ユニバーシティ)の両方と、しっかりAgreementが結ばれていました。

大学(カレッジ)とのAgreementの内容は、編入受け入れをある程度保証する代わり、規定の一般教養課程をコミカレで済ましておくこと。というもので、自分がそれまでに取得した単位と、編入予定までの残り1年間で取得可能な単位を考えた場合、ギリギリその条件に合わせられそうでした。それだけでなく、コミカレでAA Degreeを取得して進学すれば、その大学(カレッジ)で必要とされる一部の一般教養単位(6単位)は免除されるというありがたいオファーもありました。たとえば、その大学(カレッジ)を卒業するには当然大学規定の一般教養課程を修了しなければならないところですが、AA Degreeを持った編入生に限り、コミカレでは履修できない一部の科目(分野)は特別に免除してもらえ、それらの科目(単位)抜きでもその大学のBachelor’s Degreeが与えられるというのです。つまり進学後は一般教養のことは一切考えずに済むわけで、当時専攻科目さえ履修すれば卒業できる、資金が間に合う。と考えた私ですから、一部の単位免除が受けられ、早く卒業できる(はず)の大学(カレッジ)への進学は、自分には絶対だと思っていたのです。

それに対し、同居人が進めてくれた大学(ユニバーシティ)の場合、Agreementの条件として履修しなければならない一般教養科目が、事細かに指示されてありました。(提携関係がより深いのか?)そして当時自分の持っていた単位と、コミカレで履修できる時間(1年間)を考えてみると、その指示通りのクラスを全て履修することは不可能で、この大学(ユニバーシティ)への編入は、到底無理だと決め付けてしまいました。

が、これはとんでもない勘違いでした。私は一体何を勘違いしていたか?それはAgreementの意味です。Agreementがある学校同士の場合、そのAgreementで出された条件を満たさなければ編入できないと私は思いこんでいて、しかも、その大学(ユニバーシティ)向けの科目単位は細かく指示されていただけに、その指示通~~りの単位がなければ進学準備不足と扱われ、編入生として絶対に!受け入れてもらえないと思っていたのです。でも(恐らく)これは私の大きな勘違いです。指示通りの単位を持っていなくても進学は可能なはずです・・・。なぜならばそこは一流大学ではないので、そういった条件を完璧にクリアしていなくても、GPAさえ高ければ誰でも合格するはずですから・・・。(特に私はお金になるInternational Studentですし)

同居人に薦められた国際関係学のない大学(ユニバーシティ)への進学を少しでも考え、Requirementなどをチェックしたのはなぜだかよく覚えておりません。「大学(ユニバーシティ)のWebでしっかり調べてみるのだ!」と強く言われたことにあわせ、それは彼が住む街にある大学だったから、とりあえずチェックしてみた程度だとは思いますが・・・。いずれにせよ、そこには“国際関係学専攻”はありませんし、編入Requirement単位条件がとても厳しく思えたので、「全然ダメだし~・・・」とあっさり進学先候補から外した記憶はあります。 “しっかり”調べろと言われたにも関らず、まともに調べられずにいたと思える当時の私。人に少しでも助けを求めればよかった・・・。(専門家のアドバイザーとかにね)

どこまで過去を思い返してもひたすらバカな私です。
だって結局進学した大学(カレッジ)から、他の大学(ユニバーシティ)に編入することになったのですから・・・。

続く。(多分次回が最終回)






国際関係学を捨てるまで(6)

2007年08月31日 | 留学色々
現在の夫:同居人とはコミカレ時代からの付き合いで、私がIRで四大に進学することになった経過もよく知っています。

ある日、(未来の)同居人に「観光学をやめて国際関係を学ぼうかと思う。」と私が言ったとき、「はぁ~????」という顔をされました。(←今でもそのシーンを覚えている)でも私がいずれアメリカで働けたら・・と考えているのを知っていた同居人は、「そんな実用的でない分野ではなく、人手が足りない分野や、アメリカ人が不得意なことをやるべきだ。」という当然のごとくのアドバイスをくれました。そのときに薦められた分野はNursingとEngineering。アメリカは看護婦不足だと言われていますし、地元新聞を見ただけでもNursing方面の求人数はかなりあります。(日本人Tさんも当時50代目の前にして看護の勉強を始めていました)そしてEngineering. この分野には留学生が多くいるもので、彼曰く、あんたと同じアジア人留学生を見たらわかるっしょ?賢いアジア人はアメリカ人の不得意な分野に行って、条件のいい仕事を得てるんだよ。とのことでした。ですが、それらはあいにく私が挑戦したい分野ではありません・・・。

というわけで、(未来の)同居人にもらった初期の忠告にはまったく聴く耳持たずで、IRで進学先を選び、編入手続きをとっとと済ませ、実際編入することに至った間抜けな私でありました。それにコミカレ時代はあまりにも学校で忙しすぎ(←無理に編入に向かったため)、自分の留学は全く個人的なことだからと、じっくり彼に進路について相談した事もなかったのですが(ほとんど会うこともなしでした)、彼としても私はいい大人で留学しているわけですし、私の選択に強く反対する理由も、機会も、余地もなかったのかもしれません。でも最後に彼が言っていたのは、「後に後悔しても知らんからね・・・」でした。

で、結局編入前になって自分の選択と行動に大後悔する羽目になったわけで(汗)、確か新学期が始まったばかりの頃だったと思いますが・・・以前同居人が言っていた、“Nursing”に進路を変えてみようかとふと思いつきました。(とりあえず大学で1セメ過ごしたあとコミカレ編入というかたち)Nursingなら学費の安いコミカレで学べる。仕事だって絶対にある。ナースとして堂々国際協力に携われるかもしれない。(←つまり国際関係分野で働ける)これならなんとかなるかもしれないと、思いあたるコミカレのプログラムをチェックし、実際幾つかのコミカレに足も運びました。

がしかし、今やNursingは手に職を付けるという意味で様々な世代が受けたがるプログラムで、応募生徒数に対し教師不足状態でもあることから、Nursing専門科目の登録に2年待ちというのは当たり前だそうなんです。よって登録待ちとなる2年間は一般教養(サイエンス中心)や、専門科目のRequirementなどをぼちぼち履修していくしかないとかで、そんな状態ではいくら学費の低いコミカレでも、卒業年数がかかる分、金銭的に難しいとわかりました。しかも、外国人の私はワークビザをもらわなければアメリカで働けませんが、コミカレの準学士号では学歴不足、学歴に代わるNursing経験も当然ないことから、ワークビザ条件に全く当てはまらないのです。(Nursingなら特例があるかもしれんが)でもその前に、そもそも看護は自分がやりたいことではなく、勉強内容も恐らく自分が進んで頑張れる分野ではありません。Failでもしてプログラムから外される可能性高しですし、または運良く学校を卒業、ライセンスを取得したとしても、私のようなおっちょこちょいでは患者を殺しかねませんから、この道に行かなくて正解だったと思います・・。


皆様お気づきのとおり、↑かなり血迷っていた当時の私です。“四年制大学”で“国際関係”を学びたいがために無理に進学したはずなのに、コミカレに戻って興味のないNursingをやろうだなんて、ほんと、見事に、血迷ってました。経済力がなかったり、無駄に年齢が行きすぎてたりすると、こんな冗談のような行動もありなのかもしれませんが。(ないない)

続く。(あまりにもみっともないのでそろそろ終わりにしたいこのトピック)




国際関係学を捨てるまで(番外編)

2007年08月30日 | 留学色々
最初に留学したとき、そして編入したとき、そして更に他の大学に移ってからもそうですが、私はいつも「On Timeで卒業すること」にこだわっていました。たとえばもし資金が足りなくなっても、途中で休学して、一時帰国して、資金を貯めなおして、学業を再開することはできるんですが、それが自分のオプションではなかった理由。それはまず、自分はカレッジというところをよくわかっていなかったから。

そもそもコミカレ留学で渡米した私でありますが、その頃はまだ「休学」の概念がありませんでした。まず当初、Freshman, Sophomoreなどの呼び方について、大学1年生、2年生という意味だと思っていて、確かにそういう意味になることもあるんですが、それは在学何年目ということよりも、取得した単位数によりますよね。なのでたとえ在学2年目であっても、特定のカレッジ単位を取得していなければ、Sophomoreではないんです。で、私は日本で高卒で、大学の仕組みもそれまでの学校教育と同じようなものだと思っていて、たとえば高校は3年教育で、一般的に3年で卒業するものであるように、二年制大学(コミカレ)の場合、2年キッカリ通い、その2年で卒業するもの、しなければいけないものだと思っていたのです。

いざ留学して、留学生アドバイザーと一緒に初めてクラス登録をしたときのことですが、プレイスメントテストの結果、私は二つのカレッジコース以外のクラス(ESLと数学の無単位コース)を履修しなければならなかったこともあり、AAS Degree単位数を終了するには2年以上かかる可能性があるとわかり、「2年で卒業できないなんてそんなばかな!」と焦った記憶があります。とにもかくも、準学士を2年で取得できないことは、とても恥ずかしいことだとすら思っていたので、どうにかこうにか2年で卒業できないものかと考えもしましたし、そんな私だったからこそ、当時は「休学」なんてありえないことだったのです。しかも、そこで知り合った日本人留学生の中には、1年半で準学士を取った、取ろうとしていた人たちがいて、それは各セメスターに多くクラスを履修し、サマーを履修することによって誰にも可能なことはあるんですが、そういった個人のスケジュール調整次第だとはつゆ知らず、彼女たちが優秀が故、まるで学年をスキップするかのように映ったのです。このように、1年半で準学士を取得する人たちを見たことで、自分が卒業に2年以上かかるのはとんでもないことだと更に思い込んだこともあったのですが、一人の留学生がその内訳(履修の仕方)を教えてくれたことにより、自分の誤解はすぐに解けました・・・・。

コミカレには1年半で四年制大学に編入しようとしていた子もいれば、3年も在学しているアメリカ人がいたりして、一部の留学生はそういうアメリカ人を相当バカにしていました。で、確かに留学生のように英語のハンデがない彼らがなぜに3年もコミカレにいるのか?という疑問も沸きましたが、たとえばサマーは取らず、各セメスター12単位ずつ(最低フルタイム単位数)といったスケジュールを組めば、優秀であろうが、そうでなかろうが、必要な単位数に届くわけがないため、まず2年で卒業はできません。しかもストレートAを目指しているのであれば、Aが無理そうな場合は成績が付く前にドロップし、後に履修しなおすことがあると考えると、よほど優秀でない限り卒業により時間がかかるんですよね。こういった個人の事情や、スケジュールの組み方で人それぞれ違いが出るわけで、しかも高校などのように皆が同じクラスを同じように学ぶのと違い(つまり同じ条件下)、大学では皆が皆履修する科目も担当教授も同じはずがなく、よって卒業するスピードやGPAなどで人と比べられるものではないはずです。(それでも単純に比べる人は多いと思う)というわけで、卒業が早ければ早いほど人より勝っているというわけではありませんし、逆に成績がストレートAだから誰よりも優秀だとは一概に言えないわけです。(←余裕のスケジュールを組み、ドロップなどをして成績の調整をしていることもあるだろうから)

ストレートA話ついでに少し書きますが・・・学生時代、人様のHPやブログを通してなんとなく知ったのですが、学校によって評価のかたちはアルファベットのA、B、C・・・のみ、なんですよね?でも私の通った全てのカレッジでは、アルファベットだけでなく、更に“プラス・マイナス”が加わった成績もありまして、こういった細かな成績の出され方でGPA4.0を達成するのは、より難しいことだと思いました。(ちなみにAには“マイナス”はあっても“プラス”はありません)たとえば、プラス・マイナス評価のない学校で滑り込みAが取れた場合、そのポイントは4.0ですが、マイナス評価のある学校での場合は「Aマイナス」という評価になり、同じAランクでも当然ポイントは4.0ではありません。(正確なポイントは今わかりませ~ん)なので、ストレートA(GPA4.0)を目指したい人は、プラス・マイナス評価のない学校に行ったほうが多少有利かもしれないです。いや、絶対有利です。たとえ滑り込みAでもポイントは4.0なんですから。Bランク以下の成績もありな場合、これに限ったことではありませんけどね。(BよりはBプラスのほうが当然ポイントが高いので)


話は休学がオプションでなかった理由に戻ります。(ゴチャゴチャしててスンマセン)
カレッジ生活を続けるうちに、アメリカ人の中には休学して資金稼ぎをし、また学校に戻るという学生が多くいるとわかり、留学生の自分でもそれは充分ありだと思いはしたのですが・・・・

なんせ自分は30代。ただでさえ「今更留学」だというのに、休学して卒業が延びた場合、卒業時には一体幾つになっているんだ?大丈夫か、自分?という不安が当然ついてまわります。そして日本では就職に年齢制限がつきもの。日本の場合、30代は就職年齢の分かれ道真っ只中ともいえますから(32歳以下、34歳以下、36歳以下、とかの条件はよく見ますよね?)休学して卒業を延ばすことは、自分にとってかなり危険なことにすら感じたのです。もちろんアメリカで就職ができたら・・・という希望は常に持ってはいましたが、それでもほぼ帰国になるだろうという予想はしていたので、日本での“年齢制限”は強く意識せざる得ない点だったのです。

そして就職難に関る、自分が休学できなかったもう一つの理由。自分の場合、もし休学して一時帰国して、なんとか仕事が見つかったとしたら、果たしてその仕事を捨ててアメリカに戻ることができるかどうか?という不安もありました。その仕事はその年齢だからこそ得られるものかもしれず、極端な話奇跡的なことかもしれませんし、その仕事を捨てアメリカに戻り卒業したとして、更に年齢を重ねた後、果たして日本で再就職できるのか?と、先に書いたとおり不安にならざるを得なかったわけですが、かと言って、せっかくやりかけた大学教育を中途半端で終わらせたくもありません。そう考えたとき、卒業を諦めてしまうような状況に自分を置きたくない。という気持ちもあり、休学せずに一気に卒業したかったのです。

そしてもうひとつ。(まだ続くか~!)私の留学先と日本の実家は距離がありすぎるんです・・・。これの往復は本当に本当にしんどいんです・・・。まず留学先として人気のある、西海岸か東海岸かではアメリカと日本の距離は全然違いますよね。どちらの海岸にいるかだけでなく、日本から直行で来られるかどうかにもかかってきます。なので日本から直行でNYCなどに行ける場合、たとえ日本から遠い東海岸でも旅路はラクだと思います。が、私の場合、日本の地方空港から出発し、アメリカ国内で1,2度乗り継ぎをして、ようやく留学先地に到着するかたちになり、それがとてもとてもしんどいのです。(年寄り)空路がしんどいだけでなく、帰国する場合で考えると、日本の空港に着いたあと、実家までの道のりがこれまた長いんです。(電車、バスなどの乗り換えを幾つかして、家に着くまで3時間はかかると思う)こんな大掛かりな帰国はそう何度もしたくありません。なので一時帰国は嬉しいようでありながらとてもとても憂鬱で、だからこそ、今回も日本に帰国せずグリーンカードの申請をしているわけで、とにもかくもあんな恐ろしい旅路はできたら避けたいのです・・・。だから休学も自然と避けたくなったわけですね・・・。(アホな理由ですが)