NOVAの本と・・・

2007年09月14日 | 教育関連話
大学から借りてきた本、The Impact of Globalization on Education. これはNOVAが発行した本で、NOVAと聞いてとっさに思いつくのはサイエンス。たとえば科学や生物学は人間の目には見えない部分を学ぶので、ビデオなど目に見えるかたちに描写されたものを通して教わることがよくあると思うのですが(特にコミカレとかの中高レベルの科目)、カレッジの図書館でバイトをしていたとき、そこの教授がNOVAのビデオをクラス用に借りていたことも思い出しました。ちなみにNOVAのビデオ(DVD)は、元々PBSで放送されたプログラム(のはず)なので、TVで視聴することもできまっせ。(←ということで、たまに見ている)

さて、この本の巻頭部分を開いてさっそく目に止まったのがコレ▼

He who neglect learning in youth, loses the past and is dead for the future.
Euripides

き、き、きっつぅ~・・・・・。

でも自分自身Euripidesの言う若い頃に勉強を(文字通り)無視した若者だったので、その言葉の意味を、自分なりの解釈であるにしろ、身を持って理解できます。私は10代の学生の頃勉強を一切しなかったせいか、その後の10代、20代の自分には過去も未来もありませんでした。自分がわずかに気付くことができる狭い世界のことだけ、その一瞬のことだけを考えて生きてきて、ただただ時間が流れて行くだけの空っぽ人生を送ってきたわけで、再び文字通り、過去を失い未来はなし状態。(学校の勉強に限らず、私には物事を見る力や考える力を養う機会がなかったせいもあると思う。)涙 学ぶべきことをきちんと学んで大人になった人たちにはこの”空っぽさ”はきっとわからないと思いますが(想像も不可能だと思う)、Euripidesの言う体験を自らしてきただなんてほんと恐ろしいです。ぷるぷる・・・ そして現在若い世代にいる人たちにもEuripidesの言葉の意味はピンとこないとは思いますが、まずはせっかく親や国から与えられた教育の機会は決して無駄にしないようにね。“lose the past and dead for the future”なんていやでしょ?!

で、そう言う30代のわたくしは、まるで発展途上国の教育を満足に得られなかった人かのごとく、文字をはじめて読めるようになった人かのごとく、ここアメリカでようやく学びの楽しさ、ありがたさを味わっています。こう言ってしまうと、実際に政治的理由、文化的理由、そのほか経済的理由などで教育の機会が得られない人たちに対し、申し訳ない気持ちにもなるんですけどね・・・。だって私はそういった発展途上国に生まれたわけでも、学ぶことを完全否定される環境の元に生まれたわけでもないのですから。
(なんとなく反省)






Political Foundations・・・・

2007年09月12日 | 教育関連話


↑まずタイトルのPoliticalの部分につられて手に取ったテキスト。これは読み系本ではなく、ご丁寧な説明つきのテキストブックです。Terminologyの一覧がテキストの最後に掲載されている、イントロ向けテキストブック。こういったテキストはEducationビギナーな私には本当に助かります。こういうものが借りれる環境に住む自分は恵まれているなぁ。ま、それは卒業生として大学の本を借りることができるからなのですが、たとえ母校の近くに住んでいなくとも、たとえば近所の大学にある読みたい本をチェックし、それをパブリック・ライブラリーに注文し借りることができます。(←Interlibrary Loanと呼ぶ)このように母校以外の大学からでも、パブリックライブラリーを通じて借りる手があるので、大学の本が読みたい♪という方は是非どうぞ。

で、テキストのタイトルどおり、これは将来教師になりたい人向けのテキストなのですが、教師になるならないは別にして、いっちょ教師の立場というものを覗いてみようと思い借りました。そして一番興味深かったチャプターは「Educational Philosophies in Conflict」。これは教育哲学について色々語られていて、しかもPhilosophy(哲学)とは何か?という基礎解説も載っていて、Philosophyビギナーへの気配りに感謝です。さすがイントロコース用テキストだ・・・(←勝手に)たとえ数ページでも哲学ってのはこういうものなのだよ。という説明を先にしてもらうと、より教育哲学へのアプローチがしやすくなるようで、本当に助かります。(再び)

それから、教師になろうとしている人、既になっている人たちは、皆それなりの教育に対する哲学を持っているものなんだそうで(たとえ無意識にでも)、そのそれぞれの哲学はだいたい5つのカテゴリーに分けられるそう。「Teacher-Centered」と「Student-Centered」にあたるものがそれぞれ相反する哲学となり、その他の3つは、微妙にTeacher-Centered寄り、またはStudent-Centered寄りといった感じです。が、それぞれの哲学の説明を読むと、どれもこれもいいところを付いた、よい教育のあり方を言っているような気がするから困ったものです。ふっ でも哲学って面白いな~と。ま、今回イントロテキストで面白いな~と思えても、たとえば政治学で習ったときのように、哲学者たちが執筆した本を読むことになったら、「まったくわけわかりませ~ん」となりそうですけどね。(汗)



日本の教育分野にもこのような大学で教わる「教育哲学」があるのでしょうか?アメリカのテキストには西洋の哲学者しか出て来ないので、日本の場合アジアの哲学者が登場するとか?気になりますねぇ。


Education Deniedを読んで。

2007年09月08日 | 政治学
8月はずっと遊びほうけておりまして、9月に入ってようやく再び読書を始めました。読んでいるものは相変わらず大学から借りてきた、アカデミックな本たちです。その中の1冊が「Education Denied」で(←個人的に怖いタイトル)、懐かしの国際関係分野のものでした。著者紹介文によると、これはUNスペシャル・リポーターでもある教授が書いた本なので、尚更国際関係色強くなるのかもしれませんが、そのおかげか内容がとても読みやすく感じました。学生時代に少しでも触れた経験って、ほんと馬鹿にできませんですよ☆

その本のトピックは教育に関るHuman Rightsだったのですが、世界レベルのHuman Rights問題に取り組むと、つい頭を抱えてしまうようなことが必ずあります。そして本日は、この本に書かれてあったHuman Rightsがらみのとてもわかりやすい難問を一つ・・・。
アフリカのある地域では、女性は10代に入ったばかりのかなり若いうちからお嫁に行くらしく、若ければ若いほど持参金のようなもの(牛とか)が、少なくて済むらしいです。でももし女の子たちに教育の機会を与え、卒業を待ってからお嫁行きになった場合、その頃には持参金がはるかに高くなり(嫁としての価値が下がるからでしょうか・・・)、その準備をする親としてはかなりの負担になるらしいのです。しかも、子供が学校に行っている間は家の手伝いはしてもらえないわけで、人手不足状態で将来の持参金作りに苦労する親は、理不尽な気持ちにならざるを得ないそうです・・・。問題は持参金アップだけではありません。女の子が義務教育レベルの教育を得たからと言って、それが仕事に繋がるわけでもなし、結局これと言った教養の見返りがないことから、子のためを思って小学校に行かせたものの、一体なんのために・・・という状態だそう。そんなことになってしまうのは、まずその国(地域)の文化が西洋文化にフィットしないからなのですが、国際機関などの力でたとえ子供たちに教育の機会を与えても、この例のように文化によってはそれがあだになったり、うまく活用されなかったりするんですよね。10代早いうちから結婚しなくてもいいようになるとか、女の子でも教養を活用して仕事ができる社会が生まれるとか、そんな風に国社会文化全体に動きがあればいいですが、ずっと受け継がれてきたそのアフリカの文化が、西洋向きに変わることはなかなか難しいはずです。でも女の子だって教養は欲しいだろうし・・・・ねぇ。

文化が壁になるトピックは難しいです。なのでこういった問題に対応する場合、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまいます。一歩自分が住む世界から飛び出し、そして全くの異文化が絡んでくると、私でなくたって手がけるのは本当に難しいはずです。部外者として何かしら手をかけるには、その異文化をとことん理解したうえで対応しないといけないだろうし、そしてその異文化を理解するには、私個人の考えではまず現地の言葉は絶対にわかるべきだし、歴史、経済、政治状況だって無視できません。2個目の大学で履修したクラスで、KOSOVO問題のリサーチをしたときのことです。そのクラスの教授は(以前もブログに書きましたが)KOSOVO内戦のあった頃、長期UN現地勤務経験のある、旧ユーゴスラビア言語ができる人でした。そしてひょんな理由でリサーチトピックに(わざわざ)KOSOVOを選んだ私でしたが、自分はその教授と違い、旧ユーゴの歴史も現在の姿もほとんど知らない状態であり、当然その地域の言語は全くできません。それが単なるクラスの課題だったとは言え、そんな自分がどこまでKOSOVOの人たちのことが考えられるのか、その地域の立て直しに関しどこまでよい対策案が出せ、力になれるのかを考えたとき、自分は全くの役立たずに思え(いや、本当にそうなんですが)、まさに国際問題に対応する難しさを実感したのです。

そんな風に思ってしまったあと、そこまで自分から遠い世界に携わろうとしなくても(いや、どうやっても私には無理ですが)、もう少し身近な海外で自信を持って近づける分野に行きたいと、いつからか考えるようになった気がします。たとえばアメリカ。ネイティブのようにはいかなくとも、私にはアメリカで使われている言語の英語力があります。そのささやかな英語力のおかげで、現地の言葉で現地の文化・社会を理解する(理解に努める)ことができます。しかも自分はその国でわずかながらもその国の教育を受けました。これらは自分にとっての外国:アメリカに関る上で有利なことのはず・・。

大学で国際関係を学んできて、上に書いたようにその都度ちょこちょこ考えることもあり、そして日本人で既に30代の素人ではその世界に入り込むことは難しいと感じることもあり、将来的に国際関係分野に(無理矢理)進むことは完全諦めた私ですが、私にとってアメリカは今もこれからも外国に変わりなく、今後アメリカで何かができるだけでも、憧れていたインターナショナルな世界に携われるとも言えます。せっかくアメリカで合法に働ける立場になれることだし、この国アメリカでアメリカ社会のために自分ができることをやって行けたらいいなと。




国際関係学を捨てるまで(完)

2007年09月06日 | 留学色々
編入当時、IR:国際関係学のUpper Courseを履修するには、あまりにも自分は準備不足だったと強く思うんですが、そのUpper Courseの一つ、「American Foreign Policy」で受けたEssay Exam(Multiple Choice付き)で、なんと恐怖のFを取ってしまいました。これはEssayがショボすぎたわけではなく、設問に対し全く書くことができなかった結果なのですが(←これでも自分フォロー)、これにより自分の力不足をひしひしと感じ、「もしや専攻を変えるべきなのではないか?」という少しばかり諦めモードになりかけていました・・・。

が、ところがどっこい、長期的に落ち込むことを知らないわたくしですから、立ち直りは非常に早かったです。

徐々にその大学(カレッジ)に慣れつつあるころ、「国際関係っておもしろいかも・・・」「やれるだけやってみる価値があるかも・・・」と思えるようになってきました。四大のIR専門教授たちから教わるInternational Relationsを通じ、海外旅行をしていただけの頃には見えなかった異文化の様子や、諸外国の関係・歴史などをもっと知りたくなり、とにもかくも、政治を通して日本の外の世界を見るというアプローチ方法に感動すら覚え、国際関係学に対する興味が再び強く湧き始めてきたのです。

更にそんなとき、他の大学への編入計画が上がったことにより、自分は陸の孤島から脱出し、金銭的不安が(多少)和らぎ、車に関する心配もなくなるかも・・・と思っただけで、その後のアメリカ留学生活に希望が見え出し、将来的に自分に何ができるかわからないけれど、政治学を学びながら、これからゆっくり探していけばいいのではないか?と無理矢理考えられるようにもなりました。(いいのか、わるいのか・・・)汗

ちなみに「American Foreign Policy」はほんとキツかったです。アメリカ政府や歴史を良く知るアメリカ人にはそうでもなかったかもしれませんが、担当教授はIR学部の中でダントツ厳しいとされる教授だったので、政治学準備不足の自分が、編入していきなりこの人のUpper Courseを取ったのは、ちょ~っと無理があったかったな~と思います。たとえば、Upper Courseでも特定の分野に集中したUpper Courseとしてのイントロコースは多くありますが(ほんとに)、私にとってのAmerican Foreign Policyは違いました。あれはUpper Courseの中のUpper Course。でしたよ~。(涙)日本人には辛いっすよ~。(大泣)


というわけで、まずは単なる憧れだけであった、本格的IRに進学先で触れたことにより、このまま諦めてたまるかという無駄な意地と、まだまだ見知らぬ世界への期待も湧き上がり、たとえ自分に将来性のない専攻であっても、新たな大学で、気合を入れなおして、その分野を(恐る恐る)学び続けることにしたのです。まぁ、卒業後の仕事のことを考えた場合、専攻は無難なもの(ビジネスとかに)変更したほうがよかったのかもしれませんが、当時専攻の変更はちょっと難しい段階ということもあり、無理に変更はしませんでした。(卒業が延びてもいいのであれば可)でも専攻の変更ができる状態でなくてよかったと思っています。政治学を諦めてしまうことにならず、本当によかったと思っています。なぜならば、私は高校で一切勉強せず社会人になった今や30代のオバハンですから、今回若い頃に得られたはずの教養を4年間かけてアメリカのカレッジでようやく得たようなもので、そして政治学を中心に学んだものは、自分がずっと欠如していて、無意識に求めていた教養だと卒業した今でも思うからです。(大人になってこんなことをしなくても済むよう、みなさんは高校でしっかり勉強しましょうねー)(もちろん大学でもねー)そう考えると、International Relationsという専攻を初めて知ったとき、そこに自分の学びたいことがあるような気がしたというのは、まぐれにせよ決して間違いではなかったと思います。
進学前あ~んなにこだわっていた”国際関係学専攻”は、見事にあっさり捨てちゃいましたけどね。


恥曝しシリーズはとりあえず、




国際関係学を捨てるまで(8)

2007年09月04日 | 留学色々
前回の記事冒頭に戻ります。

とある理由で某大学(ユニバーシティ)のWebを覗いてみたとき、何気にPolitical Science Departmentページを開いてみました。その大学(ユニバーシティ)にはどのようなコースがあるのか興味が湧いたからです。すーるーとー・・・・・・そこには政治学の一部として、国際政治(World Politics)のカテゴリーがあります。当時国際関係学専攻で通っていた大学(カレッジ)にあるコースと見事に同じコースが並んでいます。つーまーりー・・・・・国際関係学専攻のないその大学(ユニバーシティ)でも、国際関係の勉強が充分できたのです。

これはとてもショックな発見でした。

進学する前は政治学と国際関係学の繋がりが見えず、進学したあとようやくその関係を知りました。そしてまさか某大学(ユニバーシティ)の「政治学」で「国際関係」の勉強が、国際関係学専攻がある大学(カレッジ)同様できるとは、実際Political Science Departmentページを覗くまで、想像もしていませんでした。「国際関係学」の性質を理解していなかったからこそ、「政治学」と「国際関係学」の繋がりが見えなかった私です。繋がりどころか、分野として同じと言えば同じなんですよね。まず国内中心の政治を学ぶか、海外の政治を学ぶかの違いがあるだけで、どちらも「政治」を学ぶことには変わりないのですから。あぁ、私って、私って・・・・。(汗)そして私はその大学(ユニバーシティ)へ「政治学専攻」で編入しようと決めました。編入する理由は何か?まずは自分の持つ資金面の問題を少しでも和らげるためでした・・・・。

前回の記事に書いたとおり、(未来の)同居人は私にその大学への進学を薦めていました。彼は私に大学資金が充分にないことは百も承知だったので、自分と一緒に暮らせば留学費用のほぼ半分にも値する“生活費”が抑えられるのではないかと言っていたのです。当時彼がオファーしてくれたRentはとても低い金額で、逆に自分が進学した地で払っていたRentは、一軒家を5人でシェアしていたにもかかわらず、彼のオファーの数倍もしました。今後彼と住むことにより、毎月支払わなければならないRentが少しでも抑えられれば、長い目で見るととても大きな節約になります。つまりその節約になる分をこの先のTuitionにまわすことができ、国際関係の勉強が続けられるだけでなく、卒業の可能性が高まると思えたのです。が、そんな甘い考えはそう簡単に通用しません。編入を決め、同居人に早速電話したときのことです。私のかなり自分勝手で図々しい突然の「編入・引越し計画」に対し、「何なの今更?一緒に住むことにすぐには返事できないから・・・。」と冷たい反応をされてしまったのです。そのときの私の心境は、「一緒に住んでもいいって言ってたじゃないのよーーーー!(叫)オニーーーーー!!!(叫)」だったのですが、彼の反応はごもっとも・・・。(汗)


たとえ同居人と一緒に住むことができなくとも、その地へ移ることによって得られる「精神的メリット」が幾つかありました。そのひとつは車に関することなのですが・・・・

まだコミカレでサマーコースを履修していた進学直前、遂に自分の車が本格的にぶっ壊れました。(←エンジンの調子が悪かったと思われます。)幸い近所に住む、同居人の古い友人が私の車を四苦八苦修理してくれ、これで当分心配はないだろうと思っていたのですが、進学先ですぐ、また別の箇所がおかしくなりました。(←あまりにもボロ車過ぎた)でもその対処はどうにかこうにかできたため、その車で通学を続けておりましたが、それでもいつ再び調子が悪くなるかわかりません。しかもコミカレ時代と違い、同居人の助けも、同居人の友人の助けも簡単に得られない地に引越しした私ですから、何か起きれば全て自分で対応しなければなりません。ま、それはともかく、自分にとって一番憂鬱だったことは、「車がなければ通学不可能」という事実です。以前の記事にも書きましたが、進学した地は陸の孤島ごとくの「村」でした。人口が少ないことから、村内に公共交通機関(バス)は走っていません。そして人口のほとんどを学生が占めるようかの学校付近(徒歩圏内)では、自分が希望する生活環境が得られそうもなかったため(←進学前の最初は徒歩圏内でアパートを探していたのです)、あえて多少大学から離れた静かな場所に住まいを決めてしまいました。ま、大学から離れたと言っても、通学距離は3マイルほどだったので、そう遠いわけではありません。通学の道のりは信号もない田舎の1本道ですから、車で一気に大学に行くことができます。

が、もし車が壊れたとして、歩いて大学に行くことになったとして、この3マイルほどの距離を歩くと考えた場合、何もない田舎道は気が遠くなります。(街中を3マイル歩くのとは感覚は絶対違う)贅沢だと思われようが何だろうが、真冬になれば長時間徒歩は危険とも言えますし(自転車も絶対無理)、私はとても徒歩通学する気になれません。しかも履修していたクラスは一度たりとも欠席したくなく、何が何でも学校に行かなければと思っていただけに、車が故障し欠席する羽目になる可能性の高さが、とても耐え難いことでもありましでした。ですので、毎日車のエンジンをかけるたび、そして大学にたどり着くまで、神経をちくちくやられるほど、車の調子が気がかりでたまりませんでした。(←ボロ車を持つ人間の宿命か・・・)

こんな生活をずっと続けるのはいやだ。本来留学生活を助けるための車が、逆に精神的負担になっては意味がない。心底そう思った私は、大学(カレッジ)の徒歩圏内に引っ越すことも考えたのですが、学生しかいない陸の孤島の村に留まるよりも、どうせなら同居人の住む地にある、某大学(ユニバーシティ)へ編入することに決めたのです。そこへ移れば、たとえ車に問題が起きてもバスで通える。(市バス以外、大学へのシャトルバスも走ってます)とりあえず誰にも頼らず、自力で安全にバスで身動きが取れる。これほどすばらしいことはない!(叫)

大学を卒業した今でもそれは本当に思います。自力で動ける環境は、私にはなくてはならないのです。車を持つ人に頼らなければどこへも行けないという状況は、わがままな自分には耐えられないのであります。


今回で最終回のはずが、全て書ききることができませんでした。
よって今回も、




次回へ続く・・・・。