毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く ただ楽しいことばかりだったら 愛なんて知らずに済んだのにな 宇多田ヒカル 「花束を君に」
私が大学を卒業して、日本の電機メーカに就職した時、同期の大卒社員は260名ほどいました。
入社後、自宅から会社まで遠かったので、4人部屋の寮に入るように手配されていました。 しかしながら、寮には入らず、片道2時間位かけて電車で通勤しました。
寮に入った同期社員に聞いてみると、仕事が終わると毎日宴会だったそうです。
当時、コンピュータシステムのSEが不足していて、大卒の社員はほとんどSE部門に配属されました。
プログラミングをやった人にはわかると思いますが、ソフトウェアの生産性はできる人とできない人で10倍、場合によっては100倍差があります。
私はデキない方で、人には「適性というものがある」と痛感しました。
このままでは、組織の中では成績不良者になるのは明らかで、何とかしないといけないなと思って過ごしたものです。
同期が大勢いる中で、自分にはSEの適性はないと言ってもわがままにしか聞こえません。 その末に、思いついたのが英語でした。
大学時代の英語の成績は ”C” でしたが、英語自体は好きでした。
当時、入社した社員全員TOEICを受けることになっていて、付け焼刃ながら試験前対策を行いました。
結果、点数は良くはないながら、全体の2番目の成績でした。 当時の学生は殆ど英語ができなかったのに助けられました。
大した成績ではなくとも、その後システム部門で過ごす上で支えになリました。 それから2年して、海外営業部に転属になりました。
その時、寮に入って会社に慣れ親しんでしまえば、英語の勉強などしなかったと思います。
運が良かったのは、表立っては周囲から協調性がない批判されなかったことです。 その時、周りの評価を気にしていたら、その後の人生どうなっていたでしょう?
差別化はたとえ人生に必要でも勇気がいることです。