メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

3年

2014年03月11日 | 思い出
黙祷。

あれは終わらないと思うような揺れだったなぁ。
帰宅難民となり4時間以上かけて歩いて帰ったなぁ。
足は捻挫して。
最寄り駅のラーメン屋でビールを飲んで帰ったなぁ。
もうかなり遅い時間だったがその頃の僕はまだ東北が津波に飲まれた事も知らず危機感は大分薄かった。

夜にヘトヘトで帰宅して地震で散らかってしまった部屋を片付けテレビを付けて愕然とした。

風呂に入ろうと思ったが赤い水が出てきた。
仕方なく赤い湯船に入った。

テレビでは次々と壮絶な被害報告が流れ続けた。
思えばあの日々に僕の人生も変わったのだろうな、と思える。

物事の捉え方は変わった。

食べ物も手に入らず、二度と元の暮らしには戻れないのでは?
とかなり本気で思っていた。

あんな日々から3年。

東京は何事もなかったかのように日々が続いている。
ひとつになろう日本みたいな気持ちは何処かへ消え去り、
みんなが再び己の利益のみに執着して、
凶悪犯罪も起きる。

教訓の賞味期限が短い。

自分は根に持つタイプなので、
去年は被災地めぐりをしてきた。
ほぼ全ての津波被害地域を巡ってきた。

復興という言葉が指すものがなんなのか?は難しいが、
元に戻る事が復興だとするならば復興なんて全くしていない。

町ごと消え去った場所があり、
そこは今も消え去ったままである。

自分はバイクで何日もかけて巡ったのだが、
一番ショッキングだったのは福島の避難地域の状況。

あの日から時が止まっていた。
なんの工事も行われていなかった。

何故テレビはあのゴーストタウン化した街々の映像を流さないのかはわからないが、
恐ろしい光景であった。

東北以外の人々にもっともっと東北の現状を生で観て欲しいな、と思うわけである。

そして被災者達の心の傷という様々な事情があるのはわかりますが、
震災遺構は残して欲しいというのが僕の切なる願いである。

日本中の人々がすでに、こんなにも早いスピードで震災を忘れている現状。
あの日の感情の事。
あの日みんなが抱いた感情を多くの人が忘れて居るように見えてならない。

自分ももっともっと被災地のために何が出来るかを考えなければならない。
ITエンジニアなのでその技術を使って何か役立つ事をしたい。

僕がアイドルならば、
被災地に行って声をかけるだけでもいいのだが、
僕はアイドルではない。

代わりにプログラムをかけるので、
WEBシステムなんていくらでも作れるので、
その辺で役立たねばなるまい、と日々悩んでいる。
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