メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

日々は僕に淋しさを連れてくる

2008年01月07日 | なんとなく書いてます
永遠にも似た長い時間の中で、波間に浮かぶ枯葉みたいな命でゆらゆらしている。
何度目だろう?
日々の仕事の憂鬱のせいであろうか、目の前にぶら下げられた人参みたいに正月連休を待ち望んでいた。
でも年越しも、正月もいつかのリプレイのような空気感で流れていく。
何か多くを期待するものではない。

色々用事があって、今年はかつて無いほど長い事帰省していた。

年末には学生時代の仲間と集まって我が家の箱根のリゾートマンションへ。
温泉入って、酒飲んで、食って、笑って、麻雀して、温泉入って。
いつもながら気の許す友たちと過ごす時間はパラダイスなのさ。

実家は実家で去年の台風でボロボロになったのをきっかけに劇的改造をし、年末ちょうど終わって、新しいテレビやその他家電などがやってきて何か賑やかだった。

それが過ぎると兄一家が帰ってきてまた賑やかになる。
すっかりかわいくなってきた姪っ子の相手をして時間が過ぎていく。
正月には親戚がやってきて色々食べて、子供達がわいわい賑やかで。
そしてみんな去って行き両親と僕だけが残った。
また3日後に遠くから親戚が来るので一人暮らしのアパートに帰るわけにもいかない。

両親は普段生活している家だから行く場所もやる事も色々あるが僕には何にもする事がないのだ。
仕方が無いのでひたすら散歩をした。

地元を離れて12年が過ぎた。
比較的地元を愛しているが地元の友達とも全く音信不通だ。
高校生の頃まだ居場所がなかったからいつも恋人と行った海。
そこに行くためいつも通った海へのトンネルは封鎖され通行止めの看板が立っていた。
海沿いのマンションは寂びれていて孤独な猫がたたずんでいた。
小・中学校の頃遊んだ友達の家は今見ると極めて貧相なプレハブみたいな平屋だ。
そんな友達が多かった。
高校の頃3年間付き合っていた恋人の住んでいた団地へも行ってみた。
もし遭遇したらどうしよう・・・といらぬ心配をしながら行ってみたがそこは過去と変わりなく佇んでいた。
二人でよく夜を明かした公民館の非常口の階段も変わらずあった。
夕暮れ時、ipodでくるりの曲を聴きながら、タバコなんかも吸いながら、哀切の道を行く。
小学校の校庭では少年が一人でサッカーボールを蹴っていた。
昔行った駄菓子屋はもうなくなっていた。
大学になっても仲良くしていた一番の親友の家の前まで行ってみる。
表札を見ると変わりがないのでひょっとしたらまだそこに住んでいるのかもしれなかったが、流石に10年近く連絡も取っていないのでインターホンを鳴らす勇気は皆無だった。

疲れて帰ったが予定通りジーンとなってしまったのでゆっくりと風呂に浸かっていた。
両親が帰ってきて晩御飯を食べたが、僕はまた一人車で出かけた。
くるりを聴きながら。

何となく映画館で映画を観てまた車でフラフラしていた。
正月のせいか道は空いていた。

時の蓄積が僕の青春に埃をかぶせ、人生の儚さを歌っているようだ。
変わって行くものと変わらないものとの狭間でやり切れない気持ちばかりを抱え、また心を殺すような日々の仕事が始まる。
真綿で首を締め付けるように生気を奪われ、ただ何となく歳をとってゆく。
僕の中では中学生や高校生のままのかつての友はみんなそれなりに暮らしているのだろうか?
僕は時の流れからこぼれた水溜りのようにいつまでもこんな風に暮らしている。

「僕が何千マイルも歩いたら
 手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
 思いでのうた口ずさむ
 つながらない想いを土に返した
 
 今なんで曖昧な返事を返したの
 何故君はいつでもそんなに輝いてるの
 翼が生えた
 こんなにも悩ましい僕らも
 歩き続ける
 
 つまらない日々を小さな躰に
 すりつけても減りはしない
 少し淋しくなるだけ
 
 ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
 こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく」

(ワンダーフォーゲル by くるり)

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