tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

妙高・戸隠の山 3日目 (雨飾山)

2017-09-27 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
5:30 宿から車で10分ほど山を上がり、雨飾高原キャンプ場登山口から歩き出す。まだ日の出前。

登山開始と言いながら、いきなり15mほど下り、沢沿いに歩く。オニシオガマと言うのだろうか、ピンク色の花が咲いている。

サラシナショウマ。きれいなブラシ状。

5:59 登山道は400mごとに11分割されている。その「3/11」。

ブナの大木が見下ろしている。自分よりよっぽど齢を重ねているのだろうと思うと、崇敬の思いに駆られる。

山に囲まれた森の中を歩いているのでただでさえ日の出が遅いが、それでもようやく太陽が姿を見せ始めた。

荒菅沢への下り口に出ると視界が広がる。ダイナミックな山稜が連なる。ここまでせっかく稼いできた標高を、沢に向けて100m以上下げなくてはならないのは惜しいが。

6:58 荒菅沢を渡る。このあたりから見上げたところに「布団菱」なる岩場があるとのことだったが、どれが「布団」を指していたのかはよくわからなかった。

荒菅沢からは急登が続く。息を切らしながら尾根上に出る。

出発点のキャンプ場の建物があんなに小さい。

8:07 「9/11」を過ぎると、傾斜は緩やかになる。笹平と呼ばれる一帯。

つぼみに豊かな膨らみを湛えるオヤマリンドウがそこかしこに。

最後のピークがいよいよ眼前に。

山頂は二手に割れている。その片方には石仏が。北側、奥に見えるのは糸魚川市街と日本海。

8:34 雨飾山頂(1963m)。東側、奥に見えるのは焼山と火打山だろうか?

西側、白馬連峰。天気予報通り天候は下り坂で、風が強まってきた。朝食代わりのお弁当を広げるために、岩陰に身を寄せる。この後、辺り一帯はさーっと流れてきた雲に包まれてしまった。

風が強いので、お弁当を食べ終えると早々に下山。体温もずいぶん奪われた。尾根に広がる笹平を見下ろす。

9:39 ひたすら下山を続ける。風はおさまった。荒菅沢が見えてきた。

10:20 荒菅沢。先ほどは上流の山容ばかりに目を奪われていたが、下流もだいぶ急激に落ち込んでいっている。

荒菅沢から登りきり、下りてきた稜線を振り返る。さっきはあそこに立っていたんだよなあ…と思うのは、やっぱり感慨深い。

ゴールの登山口にほど近い、沢沿いの道を歩く。出発からここまで一度も用を足していないが、水音を聞いた途端、尿意に襲われる。トイレ目指してラストスパート。
11:33 登山口に戻る。

12:00 登山を午前中で終えてしまったので、今日の山歩きのエピローグとして、登山口から車で2km弱移動したところにある鎌池を歩く。一周およそ2kmの静かな池。この後、昨晩泊まった宿へ立ち寄り、露天風呂につかる。

今日の宿の戸隠高原まで、およそ70㎞のドライブ。小谷村、白馬村(ふと思ったのだが、白馬は「日本で一番知名度の高い村」ではないだろうか?)、合併で広大な市域となった長野市に入り、鬼無里(なんとも情緒のある地名だ。ただし、かつてうちの最寄駅そばに同名の小汚い居酒屋チェーンがあったため、その余計なイメージもちらつくが)と走り抜ける。
14:31 途中、唯一車を停めた、大望峠。戸隠のギザギザの山並みを望む。太古の昔、天照大御神が弟神・須佐之男命の度重なる非行に怒って天の岩屋に隠れ、天下は暗闇となった。八百萬の神々は岩戸を開くための策を練っていたが、天宇受売女命(あまのうずめのみこと)の巧みな踊りと八百萬の神々のどよめきに、何事が起こったのかと天照大御神が岩戸を少しだけ開けたその一瞬、怪力無双の天手力男命(あまのたぢからおのみこと)が、岩戸を取り去って遠くへ放り投げた。その岩戸が落ちたのが、宮崎の高千穂と、ここ戸隠だという。この山は千切られた扉の残骸というわけか。下り坂だという天気予報通り、空はすっかり曇ってしまった。

15:03 戸隠神社・中社へ。雨が降り出した。標高1100mを超えるこの辺り、冬季の積雪は2mに及ぶという。

立派な三本杉が。樹齢は800年を超えるという。

1087年創建。天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)を祀る。天照大御神が天岩戸に隠れた時、岩戸神楽を創案し、戸を開くきっかけを作った「知恵の神」だという。16時前に宿に入る。

  

妙高・戸隠の山 2日目 (火打山)

2017-09-26 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
燕温泉の宿をまだ真っ暗なうちに発ち、関温泉、赤倉温泉、池の平温泉と山麓の温泉郷をたどりながら26kmほど車で移動、夜が明けた頃、笹ヶ峰の登山口へ。
5:53 歩き出す。しばらくは平坦な木道が続く。

朝露を帯びた爽やかなブナ林を行く。

6:30 黒沢橋。渓流を渡る。

6:43 その名の通り12個のターンがあるという急登、「十二曲がり」にさしかかる。

十二曲がりを登りきると尾根上に出る。

オオシラビソだろうか、立派なマツが聳え立つ。

太陽が昇ってきた。木々の色づきが明るく照らし出される。

ついに行く手に火打山の峰を捉える。

ベニバナイチゴ。イチゴと言っても春ではなく秋に実をつけるんだね。食用。

8:28 高谷池ヒュッテ。本当は、昨日の妙高山とこの火打山を、この山小屋に泊まって巡ることを考えていたのだが、ネットで宿泊予約状況を確認したところ、すでに満員だった。現在小屋は改装工事中で、定員が限られているという。この小屋に泊まれなかったために2日間とも山麓からの登山を余儀なくされているわけだが、まあ、温泉泊を楽しめるのならそれでもいい。

小屋の前に広がる高谷池。この池の右側を回り込み、正面奥に見える火打山を目指す。

ナナカマドが赤い実をたわわに実らせている。

池を過ぎると、丘を登る。池と小屋を振り返る。

緩やかな丘の上を木道が続く。

8:51 「天狗の庭」とはよく名づけたものだ。本当に手入れの行き届いた庭のように美しいまとまりを持っている。そして静かだ。気品を感じる。

陽当たりが良く風もないので、池に映る「逆さ火打」もバッチリ撮れる。いつまででも立ち尽くしていたいほど素敵な景色だ。

天狗の庭を回り込むと、いよいよ最後のピークの登りにさしかかる。振り返れば、火打山と標高が8mしか変わらない、台形状の妙高山も見えてくる。

木々の色彩のバリエーションがとても豊かだ。

一歩一歩高度を上げていく。曇天で視界がすぐれなかった昨日の妙高山登山と違い、好天で登るほどに様々な見晴らしを楽しめる今日の火打山登山は、疲れを感じさせない。登ってきた稜線を振り返る。天狗の庭も眼下にずいぶん小さくなった。

ラストスパート。

9:56 火打山頂(2462m)。

南側、高妻山・黒姫山方面。

南西側、白馬連峰方面。

西側、噴火警戒レベル1(「活火山であることに留意」)で入山禁止の焼山へと続く尾根。こうして見るとすぐ隣の山だ。焼山の噴火警戒レベルが上がれば、この火打山にも登頂できなくなる。

北西側、糸魚川市街と日本海方面。糸魚川と聞くと昨年末の市街地の大火がまだ記憶に新しい。

宿で作ってもらった特大おにぎりの弁当を食べた後、下山開始。

高度を下げていき、天狗の庭が近づいてくる。

色づいた木々が緩やかな斜面に広がる。

天狗の庭の平坦な湿原を行く。下りてきた火打山を振り返る。

11:24 天狗の庭を展望するベンチで長めの休憩。人もおらず静かだ。

高谷池まで戻ってくる。池畔にはキャンプサイトもある。こういう場所でキャンプをするのは素敵だろう。いつかやってみたい。小屋のそばの水場で水を補給。

ひたすら下山を続ける。ブナの幹に取りついているのはキノコだろうか。鳥の餌台かと思うほど大きい。

13:31 黒沢橋の流れのそばで長めの休憩。こういう沢を見ているといつもながら感じるのだが、とめどなく溢れ続ける水の豊かさに、気が遠くなる。

橋から先は、今日の行程のエピローグといった感じの平坦な木道歩きとなる。

14:18 登山口へ戻る。登山口の小屋はゲートのようになっている。登山靴と靴下を脱ぎ、濡れタオルで足を拭い、汚れたズボンを履き替え、人心地着く。

しかし、登山を終えても今日はまだ緊張のイベントが残っている。新潟・長野県境越えの20kmに及ぶダートの林道走破だ。今日泊まる小谷温泉まではこれが近道なのだ。山麓の一般道を迂回すると100kmを超えてしまうから、このショートカットの意味は大きい。凹凸の激しい道なので、時速20km程度でゆっくり進む。山菜採りでもしているのだろうか、山に入る地元の人の軽トラック、捕虫網を振り回している男2人連れの東京郊外ナンバーの乗用車、「峠狩り」とでも言うのだろうか、この林道を走ること自体が目当てとおぼしきRV車やバイクなどとすれ違う。無論1車線分の幅しかない道だが、幸い行き違い困難な場所はなかった。
15:16 県境の乙見山峠のトンネル入口。向こう側は新潟県。エンジンを喘がせながらも問題なく走ってくれる、今年車歴18年を超える愛車に感謝。

峠を越えると、急峻な谷を下っていく(正面の山腹に道路の行く手の細い筋が見えている)。幸い、長野県に入ってしばらくすると、舗装道路となり走りやすくなった。16時頃、宿に入る。宿は携帯電話がつながらなかった。しかし温泉なのが嬉しい。

  

妙高・戸隠の山 1日目 (妙高山)

2017-09-25 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
自宅を5時頃出て、関越道・上信越道をおよそ270kmのドライブ、妙高山の麓、燕温泉へ。
8:18 急な坂道沿いに旅館の建ち並ぶ温泉街を登り始める。

右手に深い沢谷(その名も「北地獄谷」)を見ながら、細い山道を行く。

8:54 燕温泉よりさらに山裾にある赤倉温泉の源泉があった。この源泉の保守のためだろう、登山道もここまではコンクリートで舗装されている。横のパイプから出ているのはてっきり温泉かと思ったが、触ると冷たかった。

光明滝と、その上の称名滝が見えてきた。

9:01 登山道は光明滝の上に出る。滝を見下ろす。温泉成分のためだろうか、川は白くなっている。水底の岩を指で拭うと、ヌルヌルとした白い物がこそげ落ちる。

10:18 天狗堂。妙高高原スカイケーブル(ロープウェイ)からの登山道がここで合流する。

10:26 光善寺池を通過する。

10:42 8合目の「風穴」。穴に手をかざすと確かに風を感じた。

木々が赤や黄に色づいている。東京ではまだ浅い気配の秋も、ここではもう深まっている。

道の脇にヤマハハコが可憐に咲いている。

11:18 鎖場に到達。

岩場が続く。しかし空が抜けてきた。山頂はもうすぐだろう。

11:58 妙高山頂(南峰・2454m)。

雲がかかり頂上からの見晴らしは良くない。妙高山の外輪山が見えるだけで、その向こうにあるはずの、明日登る予定の火打山などは見えない。おにぎり弁当の昼食。

山頂一帯は、巨岩や紅葉の低木が織り成す姿が、まるで庭のようである。

12:21 妙高山には2つのピークがある。もう1つの北峰(2446m)を経て、山の反対側へ下る。

ダケカンバだろうか、白い幹が、薄暗い霧の中に妖しく浮かび上がる。山裾方向に大きく曲がった幹が、冬場の積雪の多さを物語る。

相変わらず霧が立ち込めているが、紅葉の鮮やかさが視界に飛び込んでくる。

13:47 湿原状の長助池。静かだ。

畔の紅葉・黄葉が池に彩りを沿える。休憩もとらず、無心に歩き続ける。

今回の山行でどの山でも見かけた。きれいなブルーをしたオヤマリンドウ。

15:09 大倉谷の沢を渡る。水量は多く、川岸の登山道が流れでごっそりと抉られていた箇所もあった。浸らない程度に川に足を踏み込まなくては先に進めなかった。

沢音が背後に小さくなっていく。再び黙々と林の中で歩を進める。

登山道が終わり、林道に出る。谷の対岸に細長い白い筋の滝があった。

15:56 燕温泉へ戻ってくる。今日はこの燕温泉に泊まる。山に突き当たって車道もここで尽きる、宿がわずか数軒のみの鄙びた温泉だが、その鄙びた風情が良かった。硫化水素の臭いが強くいかにも温泉らしい湯が惜しげもなくたっぷりと掛け流しにされた風呂も良かった。明朝は早立ちのため、夕食後に精算をしようとフロントに出向き「すみません」と声をかけるが、誰も出てこない。すると、ロビーでアイスクリームを舐めていた女の子が、「おばあちゃんは耳が遠いから大きい声を出さないと聞こえないんだよ」と、フロントのカウンターにもぐり込んでいき、奥の部屋に座っていたおばあちゃんを呼んできてくれた。
今日歩いたコースは僕の手持ちの山のガイドブックには載っておらず、ネットの山岳サイトで「所要6時間15分」と出ているのを見たのだが、とてもその時間では歩けなかった。やはりネットの情報では、個人差が均されておらず、誰が基準になっているかがわからない。相当な健脚者の記録も、一般的な登山者の記録も、区別がつかないのだ。ネットで山の情報を得るのは危険だと感じた。登山初日ということもあり、今回の山行でこの日が一番疲労を感じた。

  

大井川鉄道一泊旅行 1日目

2017-08-27 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
【東京9:03―(ひかり465号)→10:04静岡】
静岡で妹の家に立ち寄る。姪っ子・甥っ子たちは相変わらず元気。
姪っ子には、今好きなキャラクターだという「ミニオンズ」のジグソーパズルを、
(昨日東急ハンズに行くと、このキャラクターのグッズの特設コーナーができていた。
そんなに流行っていたんだな)
甥っ子には、変わらずずっと定番のウルトラマンの食玩を、土産に持っていく。
姪っ子は黒板で「教室ごっこ」をするのが最近の流行りらしい。
(僕らが着いた時にはそれは「ウェルカムボード」になっていた)。
黒板を使ってイラストを描き比べたり、漢字クイズをしたりする。
甥っ子は腕白になってきた。肩車をすると肩の上に立ち上がろうとし、さらには、
そこからジャンプしようとすらする。ウルトラマンの影響なんだろうか。向こう見ずで困ったもんだ。
そうやってひとしきり騒いだり、一転、静かにジグソーパズルに打ち込んだりして過ごす。
昼食には、静岡らしい、生シラス丼と黒はんぺんをご馳走になる。
いつもながら、別れは名残り惜しかった。
【静岡16:03―(東海道本線)→16:36金谷】

大井川鉄道、金谷駅。昔の南海電鉄の車両が夏の厳しい夕陽を浴びて出発を待つ。
【金谷16:59―(大井川鉄道)→17:37川根温泉笹間渡】

土曜の夕方のこの時間、観光客や学生の喧騒もなく、2両編成の電車はガタンゴトンとのんびり走った。川根温泉笹間渡駅。「温泉」という名の駅だからそれなりに開けているのかと思いきや、無人駅で、駅前にも商店などはなかった。線路沿いに5分ほど歩き、川に面した一軒宿へ。

  

広島一泊旅行 2日目

2017-07-30 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
朝は6時前に目覚めてしまった。部屋のビューバスに横たわり、長々と寛いだが、妻がまだ起きない。外に散歩に出る。
6:57 ホテルの前には小さいながらビーチがある。釣り人がいる。小舟が沖を行く。

本土とは埋立地と橋を介して繋がっているものの、ここは島だ。その成り立ちは自然観察の対象となるらしい。柱状節理。先ほどは「断層」もあった。

島の南端をめぐっている。この後、海岸沿いをそれ、山道を灯台まで登っていく。朝からセミが盛んに鳴いている。朝風呂に入ったのに汗ばんできてしまった。…さて、ホテルに戻り朝食ビュッフェだ。

ホテルからのバスを、平和大通り近くのバス停で降りる。陽射しがかなり強く、セミが大合唱。
9:42 平和大橋を渡る。欄干が独特のフォルムをしている。彫刻家イサム・ノグチのデザイン。昭和27(1952)年完成。

橋を渡った元安川、そして本川に囲まれた中州一帯が平和記念公園。平和記念資料館を見学する。原爆のむごさ、戦争の愚かさをあらためて実感する。高校の修学旅行でも来たが、その時に比べ、展示の生々しさが弱まっている気がする。人形による被害の再現などはなくなっている。いいのか悪いのか、往時より洗練されている。しかし、ひとつひとつじっくり眺めれば、伝わってくるメッセージはやはり切実だ。

原爆死没者慰霊碑。アーチの中を視線が抜けた先に原爆ドームがある。公園の設計は丹下健三。外国人観光客がこの前で笑顔で記念撮影をしている。笑顔じゃないだろ、と思う。

台座の上で「平和の灯」が燃えている。資料館を振り返る。資料館中央部からここを通り原爆ドームへ、真っ直ぐな軸線が貫いている。8月6日の平和祈念式典に向けて、敷地内にはテントが設営されている。

11:27 原爆ドーム。あの日もこんな風に暑い日だったんだろうか。脇の相生橋を市電が渡る。

爆心地。この内科医院の上空600mで原爆が炸裂した。一帯は3000~4000℃の熱線と爆風、放射線を受け、ほとんどの人々が瞬時に命を奪われたという。今は近隣のデパート提携の立体駐車場入庫待ちの車で混雑している。

市電の走る相生通りに出る。この背後には、取り壊されて更地になった広島市民球場が。跡地には文化芸術施設やイベント施設が造られるらしい。

11:52 炎天下の舗道をとぼとぼと歩き続け、広島城へ。御門橋と表御門。

被爆したユーカリの木。ここは爆心地からおよそ740m。そばの建物群が炎上する中、この木だけ生き残ったという。そして今も齢を重ねている。

天守閣。原爆で倒壊したが、昭和33(1958)年にコンクリート建築で復元。中は博物館になっている。川(太田川)の流れが幾筋にも別れ、島や砂州が点在していた広島。「天然の堀」が得られることと、川の水運を活用できることが、ここに城の築かれる理由になったのだろうか。

天守閣の中が冷房完備であるわけもなく、暑さで展示物の見学も早回し気味。しかし最上階で外に出ると、吹き抜ける風が思いのほか心地よい。南側、原爆ドーム方面の眺め。

城を出ると、またしても輻射が激しく日陰もないアスファルト、コンクリートが続く。目指す縮景園のすぐ手前で、たまりかねて県立美術館のロビーに逃げ込む。縮景園の庭を見下ろす素敵な空間。何より冷房が効いている。汗を引かせる。

縮景園に入るも、見学前にまずは茶店へ。東屋で白玉クリームあんみつ。屋外でも日陰にいると意外としのげる。まして冷たいものを口にすれば。

広島浅野藩初代藩主・長晟が1620年から造成。大火や改修を経て、戦前に広島県へ寄贈される。原爆投下の被害を受けたが、その後、少しずつ復元されていった。

木立ちのトンネルは心が休まる。

しかしまた町へ出れば、そこは大都市、なんとも非人間的な灼熱空間が広がる。旅の印象として記憶に刻みたくもないので、早足で通り過ぎる。汗が噴き出る。
14:18 京橋川に架かる稲荷橋。爆心地からおよそ1.35km。原爆の爆風でレールが波打ち、川には無数の死体が浮かんだという。広島の町中はどこも、原爆の記憶が刻まれている。

3連接の大型車両が路上を走るのが広島市電の特徴。

14:39 繁華街・新天地に入り、遅い昼食。広島焼きを食べてみようとやってきた。昭和22(1947)年創業の「へんくつや」。

「お好み焼き そばスペシャル 肉玉・イカ・エビ入り」(1100円)と「お好み焼き 肉玉入り」(700円)。広島のお好み焼きは関西のとは異なり、具と生地を混ぜ合わせず、炒めた具や麺の上に薄い生地をかぶせる。つまり「魚介肉野菜焼きそば・クレープのせ」といった感じ。正直なところ、これは妻とも一致した意見だが、具・麺と生地が一体化していないのは、それぞれをバラバラに食べているようなもので、あまり「お好み焼き」という感じがしなかった。まあ、あまり好みではなかったということ。しかし、何事も一度は経験してみないことにはね。

陽射しから逃れられるアーケードの本通り商店街を歩き、広島の物産を集めた店で、つけ麺や牡蠣の缶詰などをお土産に買う。再び原爆ドームに着き、その名も「原爆ドーム前」停留所から市電に乗る。広島の市電は営業距離、利用者数、車両数いずれも日本一の規模を誇り、本当はもっと乗り回したかったのだが、乗ったのはこの旅でこれが最初で最後となった。広島駅へ向かう。
【広島16:17―(のぞみ42号)→20:13東京】