今回は、2007年6月に訪れたロシア・ハバロフスクの旅の紹介です。このときは3日間の国際会議出席が目的でしたが、飛行機の都合で一週間ほど滞在しました。
出発地の新潟空港までJR・上越新幹線・路線バスを乗り継ぎやってきました。ハバロフスクや同じ極東ロシアのウラジウォストクには成田からの定期便が無く、新潟や富山が玄関口となっています。
新潟空港に駐機中のダリアビア(DALAVIA)航空・ツポレフTu-214機。翌年にダリアビア航空は財務悪化に陥り、運行停止状態(倒産したかも?)だそうだ。
午後5時40分に新潟を離陸し、約2時間のフライトでハバロフスク空港に到着。現地時間で午後10時を過ぎているのに、まだ薄明るい。2時間の時差を考えても夜とは思えません。
この写真を撮ってたら、警備員に怒られた。いまだに空港施設などが撮影禁止になってるのだろうか?
空港から1時間ほどでインツーリスト・ホテルに到着です。インツーリストは元々、ソ連時代の旅行会社で、外国人専用の国営ホテルを経営してました。
ホテル内は落ち着いていて申し分ありません。各階にクロークがあり、宿泊中の鍵の受け渡しや清掃など、細々したお願いにもきちっと対応してくれました。
しかし1つ大きな問題があって、これは最後まで悩まされました。というのは、クーラー(というより冷風機?)が冷蔵庫ほどの大きさがあり、部屋の片隅に置かれていました。そして口径20cmほどの蛇腹状の排気管が窓の外に出ているため、窓を閉めることが出来ません。おまけにグァガ・ガ・ガーという運転音が鳴り響いて、とても使える代物ではありません。
翌朝ホテルの窓から眺めると、アムール河が見えました。
3日間の会議はこのフェリーの中で行なわれます。このフェリー、中国製でした。
お昼前に出発です。これからアムール河を下っていきます。
出航して30分ほどで、アムール河に架かる鉄橋が見えて来た。ここには、シベリア横断鉄道が通っている。
会議のオープニングの様子。参加者は、ロシアはハバロフスクのほか、モスクワ・ノボシビリスク・ヤクーツク・ウラジウォストクなどから約200人、アメリカ(数名)、中国の吉林省(2名)、韓国(3名)、日本から私を含めて5名でした。
2日目の早朝、アムール河下流沿いの街、コムソモリスク・ナ・アムーレに到着。ハバロフスクからは約350km北になります。北緯50度を超える緯度にあり、寒いです。
この街一帯は1850年代に清国からロシア帝国に割譲され、その後、製鉄所や造船所・航空機製造工場などの軍需産業で栄えたそうだ。一時期は満州国に。
朝の6時頃。空も川面もどんよりと曇ってます(左上)。河岸に停泊中のフェリー(右上)。船着場のターミナルビル? 人影がありません(右下)。あたりを散策すると戦争記念?のような立派な碑があった(左下)。
記念碑の周りは公園のようになっていて、売店がありました。若いお姉さんが店番をしてたので、寒い中無理してロシアン・ビールを注文。
2日目は分科会です。この分科会は私が世話役を担当です。
ロシア語は全くわからないので、私にだけ英語の通訳さんが付きました。
お昼はアムール河の中州にフェリーを停め、BBQパーティーです。
日・米・露の三者会談!(左上)。韓国からの参加者と記念撮影(右上)。椅子に座って雑談(左下)。酔っ払って大声で歌うロシア人(右下)。
今回の会議をオーガナイズしたVadinさんと船上でツー・ショット。
シベリアの大地に沈む夕日
3日目は午前だけで、会議の全日程を終了。お昼過ぎにはハバロフスクに戻ってきました。こうして写真を見ると、本当に会議をしてたの?と疑われそうなほど、飲み食いばっかりでした。
新潟に戻る飛行機まで3日ほど何も予定がありません。あちこち市内観光です。
ハバロフスクの街中を散策。栄光広場で街の雰囲気を楽しんでます。
スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂。とっても奇麗なロシア正教の教会です。
レストランでロシア料理。
以前はこの前の通りに川が流れていて、このお店は川岸に面していたそうです。通りには当時の面影はありませんが、店の中の雰囲気は良かったです。店のお姉さんとツー・ショット!
このほか、中央市場や新しくできたショッピングセンター、レーニン広場、博物館、美術館、などなど。色んな所に足を運びましたが、日本からこんなに近い所にヨーロッパを感じさせるところがあるというのに驚きでした。しかも、それほど近代化されず、西ヨーロッパとも趣を異にする街並は、感動的。
ただ、昼間っからウォッカの瓶を片手に酔っぱらってるおじさんが結構目立ってました。これもロシアです!
帰国の日となりました。一週間はあっという間です。
帰国の朝。
空港まで送り迎えをしてくれたSergeyさん。彼とはこのあと中国で再会する事になります。
<出国>
出発地の新潟空港までJR・上越新幹線・路線バスを乗り継ぎやってきました。ハバロフスクや同じ極東ロシアのウラジウォストクには成田からの定期便が無く、新潟や富山が玄関口となっています。
新潟空港に駐機中のダリアビア(DALAVIA)航空・ツポレフTu-214機。翌年にダリアビア航空は財務悪化に陥り、運行停止状態(倒産したかも?)だそうだ。
午後5時40分に新潟を離陸し、約2時間のフライトでハバロフスク空港に到着。現地時間で午後10時を過ぎているのに、まだ薄明るい。2時間の時差を考えても夜とは思えません。
この写真を撮ってたら、警備員に怒られた。いまだに空港施設などが撮影禁止になってるのだろうか?
空港から1時間ほどでインツーリスト・ホテルに到着です。インツーリストは元々、ソ連時代の旅行会社で、外国人専用の国営ホテルを経営してました。
ホテル内は落ち着いていて申し分ありません。各階にクロークがあり、宿泊中の鍵の受け渡しや清掃など、細々したお願いにもきちっと対応してくれました。
しかし1つ大きな問題があって、これは最後まで悩まされました。というのは、クーラー(というより冷風機?)が冷蔵庫ほどの大きさがあり、部屋の片隅に置かれていました。そして口径20cmほどの蛇腹状の排気管が窓の外に出ているため、窓を閉めることが出来ません。おまけにグァガ・ガ・ガーという運転音が鳴り響いて、とても使える代物ではありません。
<会議初日>
翌朝ホテルの窓から眺めると、アムール河が見えました。
3日間の会議はこのフェリーの中で行なわれます。このフェリー、中国製でした。
お昼前に出発です。これからアムール河を下っていきます。
出航して30分ほどで、アムール河に架かる鉄橋が見えて来た。ここには、シベリア横断鉄道が通っている。
会議のオープニングの様子。参加者は、ロシアはハバロフスクのほか、モスクワ・ノボシビリスク・ヤクーツク・ウラジウォストクなどから約200人、アメリカ(数名)、中国の吉林省(2名)、韓国(3名)、日本から私を含めて5名でした。
<会議2日目>
2日目の早朝、アムール河下流沿いの街、コムソモリスク・ナ・アムーレに到着。ハバロフスクからは約350km北になります。北緯50度を超える緯度にあり、寒いです。
この街一帯は1850年代に清国からロシア帝国に割譲され、その後、製鉄所や造船所・航空機製造工場などの軍需産業で栄えたそうだ。一時期は満州国に。
朝の6時頃。空も川面もどんよりと曇ってます(左上)。河岸に停泊中のフェリー(右上)。船着場のターミナルビル? 人影がありません(右下)。あたりを散策すると戦争記念?のような立派な碑があった(左下)。
記念碑の周りは公園のようになっていて、売店がありました。若いお姉さんが店番をしてたので、寒い中無理してロシアン・ビールを注文。
2日目は分科会です。この分科会は私が世話役を担当です。
ロシア語は全くわからないので、私にだけ英語の通訳さんが付きました。
お昼はアムール河の中州にフェリーを停め、BBQパーティーです。
日・米・露の三者会談!(左上)。韓国からの参加者と記念撮影(右上)。椅子に座って雑談(左下)。酔っ払って大声で歌うロシア人(右下)。
今回の会議をオーガナイズしたVadinさんと船上でツー・ショット。
シベリアの大地に沈む夕日
3日目は午前だけで、会議の全日程を終了。お昼過ぎにはハバロフスクに戻ってきました。こうして写真を見ると、本当に会議をしてたの?と疑われそうなほど、飲み食いばっかりでした。
新潟に戻る飛行機まで3日ほど何も予定がありません。あちこち市内観光です。
<観光>
ハバロフスクの街中を散策。栄光広場で街の雰囲気を楽しんでます。
スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂。とっても奇麗なロシア正教の教会です。
レストランでロシア料理。
以前はこの前の通りに川が流れていて、このお店は川岸に面していたそうです。通りには当時の面影はありませんが、店の中の雰囲気は良かったです。店のお姉さんとツー・ショット!
このほか、中央市場や新しくできたショッピングセンター、レーニン広場、博物館、美術館、などなど。色んな所に足を運びましたが、日本からこんなに近い所にヨーロッパを感じさせるところがあるというのに驚きでした。しかも、それほど近代化されず、西ヨーロッパとも趣を異にする街並は、感動的。
ただ、昼間っからウォッカの瓶を片手に酔っぱらってるおじさんが結構目立ってました。これもロシアです!
<帰国>
帰国の日となりました。一週間はあっという間です。
帰国の朝。
空港まで送り迎えをしてくれたSergeyさん。彼とはこのあと中国で再会する事になります。