峠を越えて - Get over the Pass -

自然を愛する気持ちを忘れずに

ハバロフスク~アムール河

2011-01-08 | これまでに訪れたところ
今回は、2007年6月に訪れたロシア・ハバロフスクの旅の紹介です。このときは3日間の国際会議出席が目的でしたが、飛行機の都合で一週間ほど滞在しました。

<出国>

出発地の新潟空港までJR・上越新幹線・路線バスを乗り継ぎやってきました。ハバロフスクや同じ極東ロシアのウラジウォストクには成田からの定期便が無く、新潟や富山が玄関口となっています。


新潟空港に駐機中のダリアビア(DALAVIA)航空・ツポレフTu-214機。翌年にダリアビア航空は財務悪化に陥り、運行停止状態(倒産したかも?)だそうだ。

午後5時40分に新潟を離陸し、約2時間のフライトでハバロフスク空港に到着。現地時間で午後10時を過ぎているのに、まだ薄明るい。2時間の時差を考えても夜とは思えません。

この写真を撮ってたら、警備員に怒られた。いまだに空港施設などが撮影禁止になってるのだろうか?

空港から1時間ほどでインツーリスト・ホテルに到着です。インツーリストは元々、ソ連時代の旅行会社で、外国人専用の国営ホテルを経営してました。
ホテル内は落ち着いていて申し分ありません。各階にクロークがあり、宿泊中の鍵の受け渡しや清掃など、細々したお願いにもきちっと対応してくれました。
しかし1つ大きな問題があって、これは最後まで悩まされました。というのは、クーラー(というより冷風機?)が冷蔵庫ほどの大きさがあり、部屋の片隅に置かれていました。そして口径20cmほどの蛇腹状の排気管が窓の外に出ているため、窓を閉めることが出来ません。おまけにグァガ・ガ・ガーという運転音が鳴り響いて、とても使える代物ではありません。

<会議初日>


翌朝ホテルの窓から眺めると、アムール河が見えました。


3日間の会議はこのフェリーの中で行なわれます。このフェリー、中国製でした。

お昼前に出発です。これからアムール河を下っていきます。

出航して30分ほどで、アムール河に架かる鉄橋が見えて来た。ここには、シベリア横断鉄道が通っている。


会議のオープニングの様子。参加者は、ロシアはハバロフスクのほか、モスクワ・ノボシビリスク・ヤクーツク・ウラジウォストクなどから約200人、アメリカ(数名)、中国の吉林省(2名)、韓国(3名)、日本から私を含めて5名でした。

<会議2日目>

2日目の早朝、アムール河下流沿いの街、コムソモリスク・ナ・アムーレに到着。ハバロフスクからは約350km北になります。北緯50度を超える緯度にあり、寒いです。
この街一帯は1850年代に清国からロシア帝国に割譲され、その後、製鉄所や造船所・航空機製造工場などの軍需産業で栄えたそうだ。一時期は満州国に。

朝の6時頃。空も川面もどんよりと曇ってます(左上)。河岸に停泊中のフェリー(右上)。船着場のターミナルビル? 人影がありません(右下)。あたりを散策すると戦争記念?のような立派な碑があった(左下)。


記念碑の周りは公園のようになっていて、売店がありました。若いお姉さんが店番をしてたので、寒い中無理してロシアン・ビールを注文。


2日目は分科会です。この分科会は私が世話役を担当です。
ロシア語は全くわからないので、私にだけ英語の通訳さんが付きました。


お昼はアムール河の中州にフェリーを停め、BBQパーティーです。
日・米・露の三者会談!(左上)。韓国からの参加者と記念撮影(右上)。椅子に座って雑談(左下)。酔っ払って大声で歌うロシア人(右下)。


今回の会議をオーガナイズしたVadinさんと船上でツー・ショット。


シベリアの大地に沈む夕日

3日目は午前だけで、会議の全日程を終了。お昼過ぎにはハバロフスクに戻ってきました。こうして写真を見ると、本当に会議をしてたの?と疑われそうなほど、飲み食いばっかりでした。

新潟に戻る飛行機まで3日ほど何も予定がありません。あちこち市内観光です。

<観光>


ハバロフスクの街中を散策。栄光広場で街の雰囲気を楽しんでます。


スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂。とっても奇麗なロシア正教の教会です。


レストランでロシア料理。
以前はこの前の通りに川が流れていて、このお店は川岸に面していたそうです。通りには当時の面影はありませんが、店の中の雰囲気は良かったです。店のお姉さんとツー・ショット!

このほか、中央市場や新しくできたショッピングセンター、レーニン広場、博物館、美術館、などなど。色んな所に足を運びましたが、日本からこんなに近い所にヨーロッパを感じさせるところがあるというのに驚きでした。しかも、それほど近代化されず、西ヨーロッパとも趣を異にする街並は、感動的。
ただ、昼間っからウォッカの瓶を片手に酔っぱらってるおじさんが結構目立ってました。これもロシアです!

<帰国>

帰国の日となりました。一週間はあっという間です。

帰国の朝。


空港まで送り迎えをしてくれたSergeyさん。彼とはこのあと中国で再会する事になります。


沖縄離島巡り - 伊江島

2010-11-27 | これまでに訪れたところ
過去の写真整理、沖縄編・第3弾です。
先日紹介した伊是名島と伊平屋島から戻ったあと、一人で伊江島に行きました。


本部港からのフェリーでは、地元の中学生が切符きりや客の誘導をしてたのには驚きました。社会実習なんでしょうか?


フェリーから見るタッチュー。伊江島のシンボルですね。


島の中に県指定の史跡・ゴヘズ洞穴遺跡がありました。周りより少し小高くなった森の中に2~3mくらいの縦穴があり、そこから石灰岩の洞穴になってます。沖縄には少ない旧石器時代の遺跡だそうで、洞穴から鹿の骨や人骨も出土してます。


この島には伊江空港の他、2本の滑走路があり、これはそのうちの1本です。路面は随分と荒れてしまって、飛行機は離着陸してません(空港設備もなし)。もしかしたら米軍施設かも・・・。そういえば、普天間基地の移転先候補にもなってましたね。


近くからみたタッチュー。


頂上からは、伊江島の市街地が真近に見えます。


こちらはでは、遠くに伊是名島と伊平屋島が見えます。


夕方に本部に戻って、本部半島の先端・備瀬まで足を伸ばしました。この海岸から眺める夕日はなかなか良いですね。右には、伊江島のタッチューが見えます。

沖縄離島巡り - 伊是名島・伊平屋島

2010-11-18 | これまでに訪れたところ
過去の写真整理、沖縄編・第2弾です。
今回は去年の11月、丁度今から一年前に各地の知り合いが集まって伊是名島と伊平屋島を訪れた時の写真です。

まずは初日。今帰仁村の運天港からフェーリーで、伊是名島へ出航。


これから2泊3日の離島の旅が始まると云う期待感で、みんな興奮してはしゃいでいたのも束の間、海上は次第に時化てきて、フェリー特有の長い周期の揺れが強くなっていく。それに従い乗船客は次々とダウンしていって、長い沈黙が続く。もちろん我々も、酔いを我慢・・・
一時間ほど揺られて、漸く伊是名島に。しかし、一同待合室のソファーにぼーっと座り込み、誰一人として動けません。そうこうしているうちに、今回のリーダーIT君が「レンタカー、とってきます!」と立ち上がり、一同動き始めました。

ところが、IT君運転の軽ワンボックス車を見て唖然。(・_・)エッ...パンクしてる!

このように、見事なまでに空気が抜けてます。早速レンタカー屋に電話すると、
「そのまま乗ってきて」
「おいおい!えぇんか、こんなんで?」と突っ込みを入れたくなったけど、ここは沖縄。こんなアバウトさがいいんですね~

こんなワンボックスに大人5人が乗り込み、気ままな旅が始まりました。


島の周りは砂浜と岩場ばかり。


取り立てて観光地や見るべきものもない、そんな伊是名島のシンボル・尚円王の像の前で記念撮影。
伊是名島出身の尚円は、琉球国第七代国王にして、第二尚氏琉球王朝の創始です(つまり、クーデターで第一尚氏を倒したと言われてます)。

急に雨風が強くなって来たので、初日はこれで終了。

二日目は、北隣の伊平屋島に渡ります。この2つの島はお互いに島影が見えるほど近いのですが、定期航路がありません。
そこで、リーダーIT君が事前に伊平屋島の渡船を予約しておいてくれました。


伊是名の内花港にやって来た渡船は、まるで海のタクシーですね!


船は直接伊平屋島に渡るのでなく、橋で繋がっている野甫島に上陸です。

この野甫島には、塩を求めて世界各地を巡った若いご夫婦(多分そうだったと思う m(_ _)m )が営む、天日干しの製塩所と販売店に寄りました。
お店には、世界各地の塩の写真や展示物があり、結構楽しめます。そして肝心の塩。お土産に買って帰ったんですが、とっても美味!
我が家の塩はもう無くなったので、ネット注文しようと思ってます。「野甫の塩」「塩夢寿美(えんむすび)」で検索するとヒットします。


伊平屋でも、海岸沿いをぶらぶらでした。一行の中で一番の釣りマニア Iさん、「沖縄の魚は食いつきがいい!」と興奮気味.



気ままに旅する沖縄は、やっぱり良いですね。来月は離島じゃないけどまた沖縄に行くので、今から楽しみです。
あと時間があれば、他の離島巡りの報告もしたいですね。

沢登り(福井編)

2010-10-02 | これまでに訪れたところ
これは2003年春、福井の某所で沢登りをした時の写真です。沢をつめると最終的にはこの山の北壁に出ますが、距離が長く、途中で引き返しました。テント携行じゃないと、ちょっと無理ですね。


この山,わかりますか? 福井と岐阜の県境にある標高1,256mの山です。西側の林道から撮影しました。




いい写真があまり無かったので、こんなもんでご勘弁を・・・
水量が多く、岩肌も苔むして滑りやすい沢だったなあ~

2005年西表島

2010-09-24 | これまでに訪れたところ
もう随分前(2005年3月)になりますが、今回は西表島縦走のお話です。写真を整理しながら当時を思い出すのも、なかなかいいもんですね。


石垣島南東の上空です。3月初頭でまだ冬型の天候でした。上空は風が強く、サンゴ礁の海岸もこの通り輝かしさがありません。数日間、雨まじりの曇天が続きました。
この後、右に大きく旋回して空港に着陸。


これは後日、石垣島の前勢岳から撮ったものです。奥にうっすらと見えるのが西表島で、その手前にはサンゴ礁に囲まれた小浜島があります。西表島まで石垣の離島桟橋から約40分と、割と近いです。

西表島は島を半周する外周道路と集落を除くと、殆どが国有林に属します。島内をトレッキングしたり縦走する時は営林署に入山届が必要になります。また島と周辺海岸は国立公園に指定され、動植物の採取も環境省の許可が必要です。これから行かれる方は注意して下さい。

西表島に着いてから雨が降り続き、大原港の民宿で2日間停滞を余儀なくされました。
しかしなんとか天候も回復してきたので、縦断を決行することにしました。
朝早くに民宿を発ち,レンタカーで島を半周して漸く浦内橋の手前の乗船場に着きました。ここの駐車場に車を置き、いよいよ縦断開始です。


さあ、出発! 
遊覧ボートで浦内川を遡上します。この時の縦走メンバーは、私と同僚のN君、そして地元ガイドのTaishiさんの3人です。
Taishiさんは30年以上前に西表島に移り住んで、現在はカヌーやトレッキング、自然観察を専門としたガイドをされている方です。最近はよくTVのバラエティ番組にも登場してますよ!




ボートで遡ると、川が開けてきます。空は、相変わらずの曇り空。
両岸には、熱帯特有のマングローブが繁茂しています。船長さんによると、この川を渡るヤマネコが、何回か目撃されているそうです。30分ほどのんびり景色を楽しんでました。


ボートを降りて20分ほど登山道を歩くと、展望台に到達します。ここからは山全体が見渡せ,その中に落差20mほどの「マリユドゥの滝」が眼下に現れます。
「マリュドゥ」とか「マリュード」などとも言いますが、100m以上はありそうな大きな滝壺を意味する「丸い淀」から、「マリ」・「ユドゥ」がどうも正しいようです。


マリユドゥの滝からさらに進むと、今度は「カンピレーの滝」です。かなり増水していたので、滝には近づけません。
500年以上前に西表島で勢力を持っていた慶来慶田城(けらいけだぐすく)氏の10代用州が18世紀後半にまとめた「慶来慶田城由来記」には、カンピレーのことを「かんひらい」と表記されています。これには「神の座」という意味があるそうです。しばらく滝の轟音と木々が鬱蒼と覆い茂った山肌を眺めていると、結構、神秘的な雰囲気を感じますよ。


一般の観光客はこのカンピレーの滝までしか行けません(入山届が要ります)。山道は、古見集落と大富集落へと続いています。


翌日は、天気が回復。道はしっかりして、順調に進めました。それにしても植生が濃いですね。
途中、「禁猟区 琉球政府」の標識がありました。戦後の米国統治下で、琉球政府が置かれていたのですね。沖縄の歴史を感じます。


ハブか?!
Taishiさんが◯◯◯◯と呼んでいましたが、もう名前を覚えていません。さっき調べたら、黄褐色の体に茶色の斑点が入っているのでガラスヒバァみたいです。名前の由来は沖縄方言で「カラスヘビ」から来てるそうです。「カラス(烏)は黒い」と「ヘビ」なら、「ヒバァ」は方言と思うんですが、生物学的に「ミナミヘビ科ヒバァ属」なので、「ヒバァ」は方言とは違うんでしょうね・・・?
兎に角、沖縄で一番多い毒ヘビです。


2日目の野営の様子です。南国とはいえ夜はとにかく寒く、持参した与那国の花酒を飲んでも一向に体が暖まらない。でも酔いは回ってるようですね、N君! 
後でニュースを見て分かったのですが、この日、奄美で雪が観測されました。やっぱり寒かったんです!




3日目、ようやく浦内川の上流部まで来ました。もう川幅は狭くなり、水量も少なくなってます。


仲間川沿いの林道に出ました。ここから河口にかけては、日本最大のマングローブが広がってます。


やっと西表島を踏破しました!
展望台からマングローブを背景に、記念写真です。右が私、左がN君です。


お世話になったTaishiさんです。
Taishiさんが着ているTシャツ、覚えておいて下さい。後で出てきますよ。

このあとTaishiさんの奥さんが運転する車で浦内橋の駐車場まで戻り、今回の西表島縦断は終了しました。

ここからは、おまけの写真です。


雨で停滞中に、サキシマスオウノキを見てきました。
仲間川の遊覧船に乗って、船着き場からわずか100mほど木道を歩くと大きな板状の根が見えてきます。樹齢は400年。お手軽に行ける点では、万人向けの観光スポットでした。


島の北東部の外周道路沿いに、日本最西端の高那温泉があります。露天風呂ですが、入るには水着着用なので、行かれる方は忘れないようにして下さい。私は、売店で水着を買う羽目になってしまいました。
で、温泉の紹介はここまでで、本題は写真に撮ったコウモリです。温泉の周りをウジャウジャ飛び回っていました。このヤエヤマオオコウモリは洞窟内でなく、樹に止まっているそうです。羽根を広げると80cmにもなるので、飛んでる姿はとてもコウモリには見えません。
下がっていたのを撮ったのが左、拡大したのが右です。


由布島に渡る水牛車です。有名ですね。


島では、牛の放牧が見られます。「石垣牛」として出荷されます。


もう1つ動物ネタを。
西表島と言えば、ヤマネコですね! 島内の至る所でこんな看板をよく見かけます。左の道路標識の「ヤマネコ」、どこか見覚えがありませんか?
そうです、TaishiさんのTシャツに描かれたヤマネコです。この猫の絵はTaishiさんがデザインしたものです。島のお土産屋さんで売ってます。私は2着、買いました。


西表島のあと石垣島に戻って更に10日間の滞在です。相変わらずの曇り空でした。
丁度そのとき、八重山列島恒例の「日本一早い海開き」がありました。しかし、あまりに寒かったので、誰も泳いでいません。セレモニーが終わったら、みんなサッサと帰ってしまいました。それにしても、「海開き」の看板がどっかに飛んでいってしまったのが、妙に悲しいです・・・


長かった滞在を終え、石垣島から飛び立ちます。高度とともに、眼下の景色が遠のいて行きます。


雲の隙間から、玉取崎や平久保半島が見えます。サンゴ礁が広がる石垣は、やっぱり奇麗ですね。
この頃から、石垣通いが始まりました。今年も行ってみたいです!


国土地理院発行1:50,000地形図「西表島東北部」,「西表島東南部」,「西表島西部」の一部を使用

2006年シンガポール

2010-09-09 | これまでに訪れたところ
2006年の夏にシンガポールを訪れました。仕事の合間に、街中の散策です。


英国の植民地時代の名残が街中に見られます。これらの古い建築物は奇麗に残され、博物館などに利用されているようです。正面の像は、確かラッフルズだったかなあ~・・・


英国建築物が並ぶ一角の反対側に、近代的な高層ビルも建てられてます。まるで香港の様。


あまりにも有名な ‘マーライオン’です。大きな建物に囲まれてあまり目立ってなかったけど、やっぱり立派なものです。海外からの観光客が記念撮影をしてました。


中華街の一角をぶらぶらしてたら、突然のスコール。やっぱり熱帯です。慣れたもので、屋台を片付けるお店の人の手際は見事でした。


シンガポールの国会議事堂。




こちらに来て初めて,シンガポールがマレー半島の先にある島だと知りました。シンガポール島はもともとジョホール王国に属していたそうで,英国の植民地を経て現在に至ったようです。
現在は、海峡を埋め立てて道路と鉄道が敷かれてます。この海峡を渡って、国境を歩いて越えます。


入国ゲートにたどり着きました。


国境を越えると、そこはマレーシアのジョホール・バル。街の雰囲気がガラッと変わります。イスラム系の飲食店ではアルコールは×。でも中華料理店が多いので、安心。