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ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

プロを名乗るのをやめたワケ

2007年10月22日 16時19分46秒 | シナリオライティング
ってやめたわけじゃないけど…。
実質シナリオライターとしての仕事はしてません。

何故かっていうと、答えは単純。

「食っていくだけで精一杯だったから」

生活ぎりぎりで、書いたり作ったりするものに「いいもの」があるわけない。
自分が金もらって書いたものだって、ひどいものばかり。
もちろん自分の才のなさもあるけど、それ以前に「お金をもらって、注文を受ける」わけだから、注文に沿ったものに仕上げなければ仕事にならない。
その仕事で、ぶっちゃけた話年収600万以上稼げるようになる見込みがあるなら続けていたと思うよ。

でもね、現実はそう甘くはない。
確かに600はおろか、1000以上稼いでる脚本家だってそりゃいるさ。
でも、みんながそうなれるわけじゃないし、そもそもそうなることが目的で映像に携わってきたかというと、全然それは自分の本意ではないね。

コンテスト入賞して、2~3年後に売れっ子脚本家になる人は確かにいる。
でも、それはたまたま自分が書きたいと思ったものと、コンテストの審査員の波長が合っただけの話。
で、深夜ドラマでデビューして、プロデューサーに「矯正」されて、オリジナリティを次第に失っていった結果「売れっ子」になるわけだ。
コンテストでは、「今までに見たことがないシナリオ」が求められ、仕事では今まで通りの(あるいはそれに何かをプラスアルファしたもの)「シナリオ」が求められる。
コンテスト目指して書いているうちは、お金にはならないけど、自分が書きたいものを書きたいように書ける。
映像も同じね。
でも、ビジネスとなると、まず「お金になるもの」を作らなければならない。
ビジネスなんだから、それは当たり前。
まあ、ちょっと保守的すぎるから、似たような内容の映画やドラマが氾濫しているわけだけどね。

「プロになること」がゴールならば、その夢をかなえるのはそう難しいことじゃない。
でも「自分の書きたいもの」が書けるようになるのは至難の業だし、書けたとしても、それがビジネスに直結しなければ、次の仕事はこない。

生活をするための「職業」として考えたとき、こういった状況の映像業界でしかもフリーっていうのは非効率このうえない。

お金はもうからないし、書きたいものも作りたいものもNGとなる。

それだったら、とにかく「生活が楽になる」仕事をしながら、「余暇で創作活動を続けた方がいいじゃない?」って考えた結果、今の自分がある。

仕事自体が「創作系」というのもあるけど、やはり安定した収入で、楽に生活していけるからこそ、余暇で「いいものを作ろう、面白いものを作ろう」って全力をつくせる。
流れ作業でものを作っていくのが目的じゃないから、別にプロでなくてもいい。

それが俺が導きだした結果。

ただ、それはプロのはしくれとして何本か仕事しなければ出てこなかった答えだと思う。
去年一昨年と一応プロとして仕事ができたことは、とてもいい経験になったね。

これからは、「好きなもの」を好きでいるために、あえてそれで「金もうけ」は考えないし、それで食っていこうとも思わない。

でも、自分が「やりたい!」と思う依頼が来たら書くけどね
まあ、バイトとか副業感覚ですわ

久しぶりに

2007年08月04日 18時30分22秒 | シナリオライティング
シナリオを書くことになりそう。
というか、ひとつはすでにプロットに入ってる。
演劇の脚本だけど、去年に引き続き同じところから依頼があったのね。
まあ、ギャラは雀の涙ほどなんだけど、気に入っている仕事なので全力を尽くします

後のは、まだ本決まりじゃないけど、決まったらさっさと書かなければならないので(ジャンル&ターゲットも固定されてるし)ちょっと大変かもね

というわけで、「ただのプータローじゃありませんよ」ということで宜しくお願いします。

真似しちゃいけないアメリカのテレビドラマ

2007年07月07日 20時47分14秒 | シナリオライティング
以前、「アメリカドラマにみるシナリオテクニック」について書いたけど、今度は真似しちゃいけない例を紹介する。

前の記事では、「キャラクター性の変化」について「ER」などのシーズンを通しての人間関係の変化や成長を描くドラマの場合は自然で、日本のシーズン制ドラマでも取り入れたほうがいいのでは、ということを書いたが、人間を中心にしたドラマでない場合、つまり「Story Driven」ドラマの場合はその限りではない。
シーズンを通しての変化も、ちゃんと見ている側が納得できる原因が描かれなければならないし、ましてやシーズン中のキャラ性の変化はよほどうまく描かないと混乱をまねく。

この悪い例が、「ツイン・ピークス」と「エイリアス」。
「ツイン・ピークス」の場合、シーズン1でメインの一人だったドナという女子高生は、シーズン1では清純派というか、真面目な高校生だったが、シーズン2でいきなり妖艶な女性に変貌。
その理由は、熱烈なファンには理解できるのかもしれないが、一般的には「?」。
他にも様々なつじつまの合わない部分が続出するも、それらを整理しないまま強引にストーリーは進んでいき、ラストで破綻をきたす(ファンには申し訳ないけど、ストーリー分析としてはこうなるんです。決して「つまらない」というわけじゃありません。当時は自分もファンの一人でしたから)。
ユニークなドラマではあるし、見始めたらハマることは間違いないが、作り手としては、パロディならともかく手本にしてはいけないと思う。
何度も押井監督の言葉をお借りするが、「広げた風呂敷は閉じなければならない」というのが「物語創造」の鉄則だと思う。
「エイリアス」については、意見がわかれるだろうが、自分はとても違和感を感じた。
シーズン3で出てくる、シドニー(ヒロイン)の元彼の妻・ローレンの変節だ。
ネタバレになるから、まだ見てなくて「見たい」と思っている人はこの先は読まないほうがいいかも。
ローレンは、結果的にテロ集団がCIAに送り込んだダブルスパイだったわけだが、出始めの「真面目」一辺倒のイメージと、いきなり裏切り行為をしたエピソード後のキャラの変化に違和感がある。
元々そういうキャラだったのであれば、やはり「こういうやつだったんだな」というフォローがストーリー上必要だし、気持ちが揺れ動いた挙句、やはり裏切ったのであれば、その葛藤をちゃんと描かないと、これの場合は理由があるにも関わらず「突然変わった」かのように見えてしまう。
シーズン中で裏切る=キャラが変わるというパターンは「24」シーズン1でもやられているが、あれの場合は最後の2話だったこと、最終話でのジャックの奥さんとの会話が描かれているので、違和感を感じなかった。

「以外な人物の裏切り」は、アメリカテレビドラマでは欠かせない要素だが、安易にやってしまうと、見る側を置き去りにしかねない。

「ER」や「ホワイト・ハウス」のような群像劇で、ひとつのストーリーがそのままシーズンになっていないドラマでは、キャラの変化や入れ替えはあったほうがメリハリがあって面白いが、1シーズン=1ストーリーもしくは数シーズン=1ストーリーの場合は、不要なキャラの変節は避けなければならないのではないか、と思うね。
日本のドラマは、そこらへんは大丈夫だけどね。

また

2007年06月16日 21時23分24秒 | シナリオライティング
シナリオ講座始めようかな~と思う今日この頃。

ターゲットを「ハリウッドメソッド」にしぼってね。
もちろん日本語のシナリオ講座だけど、ストーリー作成法にハリウッドルールを取り入れた講座にリニューアルして。

だってさ、つまらんのよ。
今の日本の脚本て。
漫画原作ものはまだマシなほうで、オリジナルはぜんぜんダメね。
オリジナリティだけはあるんだけど、つまるところ「面白さ」がぜんぜんない。
ハリウッドで言うところの「フック」がないわけね。

自分はシナリオライターとしては三流かもしれないけど、添削指導には定評があるので(「フック」の部分に関してはアメリカのアナリストの方々からも評価をいただいております)、あまりそこらへんが気にならない人に受講してもらえれば幸い。

といっても、いつ始めるかは未定
以前の講座は、日本のシナリオ作法をほぼそのままマニュアルにしてたけど、今回はハリウッド手法を取り入れた独自の講座になるので、しっかり準備しないとね。

と、いうわけで近日開講予定(ホントかよ?)

「LOST」の問題点

2007年05月25日 17時23分31秒 | シナリオライティング
「LOST」シーズン2も半ばまで見て、問題点に気づいた。

確かに面白いし、「面白けりゃいい」という観点から言えば問題ないと言えばないわけだが、シリーズに緊張感がなくなってくるのはどうだろうか?
現に視聴率は低迷していて、シーズン3以降は、残り48話(だったと思う)で終了するという。
視聴率の低迷と「緊張感の欠如」は深く関係していると思う。

何故、ああいう設定なのに初めにあった緊張感がなくなってしまったのか?

「謎が次々出てくるわりには解決されない」
というのも一因ではある。
が、「謎が解明されない」ドラマシリーズは、アメリカでは別段特殊なケースではない。

自分が気づいた問題点は別にあった。

「登場人物の関係が描かれず、誰にも感情移入できない」状況が続いていること。

あれだけの環境に、長期にわたって集団生活を余儀なくされることになれば、当然人間関係というものが出来上がってくる。
良くも悪くも、だ。
「あいつは信用できるが、あいつは信用できん」
と、各人によって信頼関係が築かれていく。
その過程で、当然派閥が出来てくるはずだ。

何せ登場人物は、ほぼ皆「仲良しこよし」ではないわけだから、特にリーダー格のジャックとロックにまったく信頼関係がないので、少なくとも「ジャック派」と「ロック派」、「無所属」の三派にわかれなければおかしい。
さらにその派閥内でも意見対立が起こるだろう。

こういった現在の島における人間関係の変節や対立が、ドラマを盛り上げていく定石なのにも関わらず、シーズン2では現在の彼らの人間関係がほとんど描かれていない。
その状況で、謎が謎を生んでいっても、見る側にとっては緊張感を保持する要因にはならず、結果として「飽きて」しまうのだ。

「LOST」を続けるなら、彼らの現在の人間関係を描くことで、「物語の謎」とは違った緊張感をあおることが重要だと考えるね。

こういった設定の物語は、映画なら「信頼関係を築けない集団」を描いても無理はないが、長いシーズンのドラマの場合、特に1シーズンで終わらない物語なのであれば「集団が形成していく人間関係」を描かないと、ドラマ自体にリアリティがなくなっていってしまうということだ。

恐らく、この手のドラマは、その気になれば日本の方が上手いと思うんだけどね

シナリオライターの組合

2007年03月22日 00時46分37秒 | シナリオライティング
久々にシナリオのお話。

前にも書いたと思うけど、シナリオライターはほとんどの場合会社員ではないので(会社員をしながら書いているライターの方は別として)、組合というものが重要な意味をもっている。
組合の主な役割は、「会員ライターの権利保護(ギャラ未払い等の対応)」「福利厚生」「仕事斡旋(実情は斡旋というほどのことはしてくれないとのこと)」及び「著作権委託管理」で、日本の場合は2つの組合が、それぞれ違う加入条件を持っている。

まず、日本シナリオ作家協会。
ここに加入するには、劇場公開映画1本以上もしくはテレビドラマ(アニメも含む)2時間以上の執筆実績があり、会員推薦者2名が必要となっている(推薦者はいなくてもOKのようだ)。
つまり、映画&テレビの脚本家のみ加入が認められている。
ゲームシナリオライターや、Webドラマ脚本家などは現在のところ加入資格はない。

そして、もう一方が日本脚本家連盟。
ここの加入条件は、ある意味「作協」より幅広いが、敷居は逆に高い。
まず、表面上あらゆるメディアで脚本を書いた実績のあるライターに門を開いている。ゲームシナリオライターも例外ではない。
短編ドラマなどの場合は2本以上となっている。
そして、ここも推薦者が2名必要となっているが、いない場合は理事会にかけられるとのこと。
と、ここまでならゲームシナリオライターや、Webドラマ脚本家の人は「自分も加入出来るじゃありませんか!」と思うかもしれない。
だが、ここが一番重要視している条件は、「著作権」と「ギャランティー」。
まず、自分が書いたシナリオに著作権がない場合(ゲームなどでは当たり前の著作権譲渡済みのシナリオ)は加入対象外となってしまう。
また、書いた脚本のギャランティーが「民放連との間で締結された最低基準報酬額」を下回っていた場合も対象外もしくは準会員扱いとなってしまう。
また、これも著作権がらみだが、「今後なんらかの物理メディアで有料リリースされる作品」でなければ、やはり対象外となってしまう。
二次使用が見込めない作品の著作権管理はしない、ということである。
つまり、ゲームシナリオオンリーや、Webドラマオンリーの脚本家はまず加入できない。
事実上は、作協とほぼ同条件で、しかも「ギャランティー」制限があるので、ある意味作協よりもハードルが高いかもしれない。

この二つの組合がある意味があまりよくわからないが、アメリカの組合との決定的な違いは、会員になることと「著作権委託」がワンセットになっていること。
作協は、必ずしも著作権を委託しなくてもいいようだが、いずれにしても会員ほとんどの著作管理はしており、たとえば会員でない脚本家の習作の著作権管理など当然してくれない。
アメリカの場合は、組合は Writers Guild of America 一つしかなく、著作権管理は、20ドル支払えば誰でも委託可能だ(もちろん英語脚本に限るが)。
自分もWGAには5本登録している。
アメリカではシナリオコンペに出すにもWGAに著作権委託していない作品は受け付けてもらえない。
個人の著作権を徹底的に守るのが、アメリカの業界の特徴といえるかもしれない。
WGAは、メディアを問わずシナリオの著作管理をしているが、たとえば小説や詩などその他の文筆作品の著作管理は US Copyright Office でも管理してくれる。
WGAの会員加入資格は、日本の組合とほぼ同じだが、メディアによって細かく条件が設定されており、たとえばゲームシナリオ(著作権譲渡もしくは社内作成)のライターの場合は、原則として準会員として加入できる仕組みになっている。
ただ、年会費はべらぼうに高い。
1000ドル、日本円にして約13、4万円くらい。
まあ、むこうのライターさんはそのくらい稼げるということなのだろうね

さて、ここで何が言いたいか、というと、「日本の組合は懐が狭い」ということかな。
会員になるならないに関わらず、脚本の著作権委託管理はしてほしいし、著作権譲渡していようが、実績のある「シナリオライター」であれば加入対象とすべきじゃないかな?
特に日脚連の「ギャランティー」条件は、よく理解できない。
組合に入らなくてもあの最低条件を上回っているのであれば、組合に入る意味があまりない。
「会員ライターの質を落としたくない」ということだろうが、オンエアされているドラマを見る限り(日脚連はテレビ中心の組合)、質は十分に落ちているんじゃありませんか?事務局&理事の皆様。

とにかく、映画・テレビに限って言えば、作品のクオリティもさることながら、脚本家をとりまく環境が悪すぎる。
業界が、思い切ってシステム構築に乗り出さなければ、少なくともテレビはかなりヤバイ状況になるんじゃないかな?
だって、コストダウンが叫ばれているテレビ業界で、これからデジタル放送向けのドラマなんてそうそう作れるもんじゃないだろうし、バラエティだけになってしまったら、テレビの脚本家は職を失ってしまう。
それから他のメディアに脚本家がどっと流れてきて、そこで初めて他メディアのライターも組合の加入対象になるのかな?

なんともはや、何をやるにしても「後手後手」の国なんだな、日本は

「赤龍の女」を見た...

2007年02月10日 21時47分16秒 | シナリオライティング
準備稿を分析しただけ、とはいえ一応初めて商業物に携わった作品がこの「赤龍の女」。
当初これはVシネマの企画だったんだけど、劇場用映画として製作されることになった。

まず一般的な感想から。
ストーリー自体は自分が見せてもらった準備稿から大きな変更ななく、まあ無難な展開ではないか、と思った。
で、演出なんだけど、数百万の低予算だから時間もないし、仕方ないね、と業界人なら済ませられるが、映画だと思って観るお客さんにはちょっと...。
演技になってない役者さんも(脇役だけど)いたし、アクションシーン以外の演出は、役者の芝居を殺しているなぁ、と。
音響には大いに問題があった。
自分はイヤホン(ステレオ)で見てたんだけど、台詞が収録時オフ気味だったと思われる部分があからさまにわかってしまうような稚拙な処理がなされていて、アンビアンスサウンド(雑音)がやたら気になった。
しかも、台詞がプツっと切れてる部分も
アクションも、切れのいい部分とそうでない部分との差が激しくて、特にラストのアクションよりも、オープニングのアクションの方がよく撮れていて、つまるところラストが盛り上がらない。
この企画、「キル・ビル」を意識していたわけだけど、全体の完成度から言うと、残念ながら、その足元にも遠く及ばない出来。
携わったスタッフ&キャストの方々は全力を尽くして製作したことは百も承知だけど、「予算も製作時間もなかった」というのは、一般客にはわからないことだし、どうでもいいことなんだよね。
言い訳にはならない。

で、「シナリオライティング」のカテゴリで扱っている都合上、脚本についても改めて分析させていただきます。
まず、準備稿と比べて格段によくなっていた。
これは時間がない中、脚本担当の末満さんと、プロデューサーの長谷川さんが推敲を重ねたことが伺える。
ただ、大きな問題点がこのシナリオにはある。
それは、キャラクター性。
つまり、「この人物はどういう人間なのか」という設定の練り込みがほとんど出来てない。
ヒロインは「惨殺されたヤクザの殺し屋の娘で、そのトラウマと戦いつつ、助けてくれた殺し屋に鍛えられ、復讐を開始する」というキャッチに収まってしまう程度の設定しかない。
人物設定で重要なのは、画面にも台詞にも出てこない部分なのだ。
「この人の人生の目標は?その動機は?それには何を必要としてるか?長所は?短所は?物語背景は?癖は?価値観は?」これらを少なくともメインキャストには設定しておかないと、映像になったときにキャラが活きてこない。
役者さんによっては、その人の個性で何とかなる場合もあるが(この作品に関して言えば遠藤憲一さん)、少なくともヒロインとヒーローのキャラクターがあまりにも薄く、存在感がないため主役が誰なのかわからなくなってしまう。
こういう恋愛も含めたアクションの場合は、やはり主人公達を個性的にしづらいので、その分個性的な脇役は少なめにしないと、脚本上でサブキャラにメインが食われてしまう。
後、このヒロインとヒーローの描き方も、シーン構成や台詞に問題があるためか、二人の間の「恋情」が、ベッドシーンを見せられてもほとんど伝わってこない。
これは、脚本の問題でもあり、演出&演技の問題でもある。

と、少々辛めに書いてしまったが、「数百万の低予算で撮影2週間弱」というVシネマの現状では、やむを得ない部分も多々あるんですね。
一般客としては、はっきりいってNGと斬って捨てられても仕方ない作品なんだけど、一応業界にいる人間としては、敢えて「製作条件の割には健闘した作品」と言わせていただきます。

長谷川さん、頑張ってください

脚本の執筆料

2007年02月09日 21時00分01秒 | シナリオライティング
今回は、久々のシナリオライティングの話にして、少し下世話な話題。

自分が、日本の(特に「映画」を自称する作品における)シナリオライターの立場に嫌気がさしたのも、この「ギャラ」がまったく無関係ではない。

今現在、正当なギャラで執筆している(若手)脚本家がどのくらいいるかわからないが、「脚本家になりたい、あり続けたい」と思っている方に、テレビドラマの最低賃金(30分=12000字程度)の一部をお知らせしよう。

全国放送
NHK 188,000円
民放 186,500円

ローカル
NHK 94,500円
民放 82,000円

アニメ
150,000円


ざっとこんな感じになっている。
これはあくまで最低賃金なので、これだけもらっていれば十分というものではない。
どうせ脚本家となるからには、これらの賃金は最低ラインに設定すべきだろう。

ちなみに、脚本家と一言に言っても色々。
組合員だろうが、まったくのフリーだろうが、脚本家の場合は「自分は脚本家です」と言ってしまえば(もちろん執筆することでお金をもらったことがあれば、の話だが)脚本家であることに違いはない。

その意味においては、自分も脚本家だ

ただ、クオリティはどうか?と言われると、正直現在第一線で活躍されておられる方にも「?」と思ってしまう方がおられるのも事実。

ギャラももちろんなのだが、脚本家の質向上(というよりは企画をたてるプロデューサーか)が今の日本の映像界には最も必要なことだと思う。

アメリカテレビドラマに学ぶ、キャラクター創造テクニック

2006年12月27日 21時14分02秒 | シナリオライティング
アメリカのテレビドラマは「24」がヒットして以来、日本のマーケットが最も注視しているコンテンツのひとつ。
アメリカのテレビドラマは、日本の連ドラとはちょっと違って、ほとんどのドラマはシーズン制をとっており、日本の連ドラのように一発で終わりというタイプのものは少ない。
アメリカで1シーズン、もしくはその途中で終わってしまうドラマは、つまり視聴率が低い等の理由で、作り続けることに意味がない、と判断されたドラマのみ。
「24」をはじめ、「ダークエンジェル」、「CSI」、「プリズン・ブレイク」、「LOST」など、日本で知られているドラマのほとんどは何シーズンか制作されている。
ちなみに1シーズンは、大体が22話構成。
日本のドラマのほとんどが10~12話で終了するのに対して、アメリカのドラマは期間がかなり長い。
そのためもあってか、一人の脚本家が1シーズン通して書くことはまずない。

さて、今回取り上げたいのは「24」など先の展開が見えないようなたたみかけるように進行していく、「ストーリー先行型」のドラマではなく、「キャラクター先行型」のドラマ。
この系統に属するドラマで、日本でもよく知られているのが「ER」や「ザ・ホワイトハウス」など。
これらのドラマの特徴は、主人公といえる人物が存在しないこと。
これが日本のドラマと大きく違う点。
例えば「ER」は、ERで働く人々を描いているドラマで、「誰が主人公で、誰が悪役で、誰がサポート役で」といった設定は全くない。
その代り、ERに勤務する医師や研修医、看護師達それぞれのドラマが各話で語られていく。
1話で何人ものドラマが語られるので、当然特定の主人公は存在しない。
いわば、ER自体が主人公なのだ。
完全な1話完結でもなければ、連続ドラマでもない。
キャラクターの持つ性格はもちろん、生い立ちや取り巻く環境、そしてそれを背景にしたキャラの行動や言動がストーリーを推し進めていく、英語脚本用語でよく使われる「Character Driven」ドラマである。
それが、ERレギュラーメンバー全員分描かれる、どちらかといえば舞台に近い構成で、シーズンが変わるたびにキャラクターも環境の変化によって成長、あるいは堕落していく。
ワンシチュエーションではないので、一人のキャラクター性が良くも悪くも変わっていく。
これも「ER」の例を挙げれば、イギリスから一研修医としてカウンティーホスピタルに来たドクター・コーディは、はじめは外科の一研修医であり、外科部長がビザスポンサー(身元保証人。他国で働く場合は、現地の同僚や上司となる人物が保証人にならなければならない)の立場を利用してセクハラをしたり、突然保証人を降り、コーディは研修医から医学生の立場に身を落とさなければならなくなったりなど、環境が彼女をいったんは追い詰めるわけだが、外科部長が診療部長に昇進する過程の陰謀(?)で、一気に外科副部長に抜擢されるや、突如官僚的な人物になってしまう。
これは、10話程度の短い単発ドラマなら、明らかにキャラの描き方のミスだが、何シーズンにもわたって登場人物の人生が描かれるアメリカのヒューマンドラマにおいては、キャラの変節は当たり前。
現実を見ても、環境が人物を変質させることはよくあることで、皆さんの知り合いの中でも「昔はあんなやつじゃなかったんだけど」みたいな人がいると思うが、アメリカのヒューマンドラマは、そういった人の変節を巧みに物語にとりいれることで、ドラマを盛り上げていく。
別段衝撃的な場面をいれまくる必要はないわけだ。

「時を経て人は変わっていく」
アメリカのほとんどのドラマで採用されているキャラクターの描き方のスタイル。
ひとつのストーリーを十数話にかけて描く日本のドラマでは、まず採り入れられない方法なので直接役立つストーリーテリング法ではないが、「キャラクター設定をどうすべきか」で苦悩している人にとって、こういったドラマを何シーズンか見てみることはかなり勉強になると思う。

特にゲームの場合は、絵にかいたようなドラマティックな話を考えるのではなく、重厚で面白みのあるキャラクター設定をするのが、ユーザーをゲームに惹きこむ十分なシナリオ術だということだと自分は理解している。

ゲームとシナリオの関係

2006年12月03日 23時57分15秒 | シナリオライティング
「天外魔境3」をやってて感じたこと。
「ゲームの面白さ=シナリオの良さ」ではないということ。

天外3は、シナリオは悪くは無いけど、レベルデザインにかなり問題があるよ。
これは、以前FFシリーズについても書いたことあったと思うけど、ラストが盛り上がらない。

RPGの最終目的は確かに大ボスを倒すことだけれど、ユーザーはそれだけを目指してひたすらプレイするわけじゃないんだよね。
多くのイベントがあって、ストーリーを先に進めるために各イベントをクリアしていくわけで、プレイしている間一番頭の中にあることは「これどういう展開になっていくんだろう?」ってことじゃないかな。
少なくとも自分はそう。
つまり、「イベントの先のストーリーが見たい」から現在進行形でプレイしているのであって、大ボスを倒すというのは、未来形、つまりお約束であって、それ自体を楽しみにしているわけでは必ずしも無い。
だから、最後のダンジョンに誘導する前に、ユーザーに「ダンジョンの奥にいる大ボスを倒したい」という強いモチベーションを持たせられなければゲームとしては失敗だと思うんだよね。

ところが、この天外3では物語のクライマックスに当たる部分がダンジョンに入る前に終わってしまって、あとは大ボスを倒すだけになってしまうので、最後のダンジョン内の仕掛けや中ボスとの戦闘がただただウザイだけになっちゃう。
イベントや仕掛けをラストダンジョンに作る意味は、その先への期待感を持たせるストーリー展開があってこそあるんだと思う。

映画やドラマのシナリオと共通する部分も確かに多いけど、ゲームシナリオの基本は「ステージクリア」なんだよね。
次のステージに進みたいから今のステージをクリアする。
ゲームの基本的な楽しみ方じゃない?
RPGだって同じだと思うんよ。
だから、ドラマシナリオのように4つや5つの構成では、ゲームシナリオは面白くならない。
構成=イベントだから、イベントの数だけ見せ場を作らなきゃならない。
当然イベントをクリアするごとにどんどんストーリーが面白くなっていって、次のイベントをクリアするモチベーションにならなければならない。

例えばアダルトゲームでありがちなパターンで、処女で純情な女の子が濡れ場が入るたびに精神的に成長していかないのは、ドラマとしては絶対おかしいんだけど、アダルトゲームのそもそもの目的はHシーンをプレイすることであって、ヒロインの精神的な成長はユーザーにとっては本来どうでもいいこと。
次のHシーン=大イベントをプレイするために、ストーリー部分もプレイするわけ。

だから、ゲームシナリオに今までの「ドラマツルギー」は当てはまる部分よりも、そうでない部分の方が圧倒的に大きいと思った。

もちろん、ゲームのシナリオを書きたい人がシナリオ学校や小説家養成クラスなんかで勉強するのは、それはそれでいいことだと思うし、ゲームシナリオ作成時にも少なからず役には立つ。

でも、シナリオの基本部分=役割がドラマとゲームでは違う。

なんといってもゲームはやはり遊ばせなきゃならない。
ただ見てるだけのゲームは、ゲームとは呼べないじゃない?

ゲームシナリオライターを目指す人は、やはりシナリオそのものよりもレベルデザインを、ゲーム学校でしっかり勉強&研究すべきだと思う。
プランナーとして、マップも書き、アイテムやモンスター設定もつくり、プログラム用仕様書も作り、そしてシナリオやスクリプトも書く、そういう能力がゲーム業界には求められているんじゃないかな?

特にレベルデザインは、これからの次世代ハード用ゲームの開発で一番必要となってくるスキルだと思う。
ぶっちゃけゲームに関しては、物語作成&シナリオのスキルは素人感覚でもOKじゃないかと思い始めたね。

より映画感覚でゲーム世界の奥行きを深めるためには、元来のシナリオ術よりもゲーム製作におけるレベルデザイン能力が必要だということを念頭においた方がいいんじゃないかな?

スクエニの人と会った時にも彼は「プロの脚本家の人や小説家の人にシナリオ書いてもらったこともあったけど、うまくいかなかった」と言っていた。
その理由は、上記に書いたように「ゲーム=ドラマ」ではないからだということ。
「ゲーム=レベルデザイン(簡単に言えばゲーム性を高める演出法)」があくまでゲームの根幹なんであって、物語性やシナリオはオプションだということを理解してほしいです。

な~んてことを「天外3」から学びました
「天外」って、今まで出たやつ全てを含めてシリーズとして考えると駄作だと思うな。
「天外魔境2」はRPGの最高傑作だと思うけど、その後にリリースされたものは、設定が「ジパング」や「火の一族」なだけで、まったく別のゲームと考えたほうがいいんじゃないかね。
その中でも特に最近の「外伝―第四の黙示録」や「3」は、「1」「2」のゲーム性&世界観とは異なるものだと感じた。
シリーズとしての「天外」は、「2」で終わっていると自分は思う。