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ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

作品よりも、作った人間の方が面白い

2012年11月13日 13時20分04秒 | ゲームという娯楽
これは、映画ではよく言われてることで、つまるところ「面白い作品は面白い監督によって作られる」という事。

これはゲームにも当てはまると最近思っている。

5年ほど前にRPGで超有名な大手ゲームメーカーで働いていたことがあるけど、ここの人は面白かった。
いや、もちろん会社だから暗い人も嫌な人もいるけれど、マジョリティは面白い人だったね。
プログラマーは暗くてもしょうがない、とかよく言われるけど、この会社のプログラマーさんは結構明るかったね。
ノリも体育会系だったような気がする
カラオケでオールしたこともあったし、かといって「学校の友達!」みたいなイチャイチャさもなく、仕事はドライに、遊びははじけて、という切り替えがうまい人が圧倒的に多かった。
そういうエネルギーって、たぶんゲーム開発に必要なんだと思うよ。
PMやプランナー、ディレクターはその職域上、コミュニケーションスキルが低いとやっていけない仕事だけど、プログラマーやグラフィックデザイナーも「淡々と仕事をこなしていればいい」というものではないと思います。
暗いイメージのあるQAチーム(開発中のゲームのテストをする人たち。デバッガーと混同されますが、厳密には違います。QAさんはただバグを見つけるだけが仕事ではありませんから…説明省略)の人たちも、この会社の人たちは一様に明るいというか、開発中のゲームに対する熱意を発散させてたね。

そう、熱意なんだよ。
プライドじゃないんだ。

面白いものをつくろうとしているのだから、「そうしよう」という熱意がないとダメってことだと思う。

そういう意味でぶつかり合いがあるのは、殴り合い殺し合いに発展さえしなければいいと思うし、それも自分が携わっている作品に対する愛情だと思う。

「自分はプログラマー。おまえ、プログラムのことなんてわかんないだろ?」
「自分はデザイナー。フォトショが多少使えるからっていい気になるんじゃないよ!」
これでは一緒に仕事しにくいし、ましてや面白いものを一緒に作っていくなんて無理

相手が自分の職種に対する理解が足りないなと思ったら、ただ馬鹿にするだけじゃなくて、
「君もちょっとやってみな。俺教えるから」
くらいの熱意は最低限必要だと思うね。

実際、この会社で俺はゲームサーバプログラマーの人に、怒られつつも色々教えてもらった。
で、そのプログラマーさんも、仕事を離れるとかな~り面白い人だったな。

だから、今でこそトップメーカーとは言えないものの、このメーカーさんはソーシャル分野でも成功し続けているんだと思う。

その後に行った会社は有名無名問わず、人が面白くなかった。

まあ、俺が面白いやつなのかどうかは、自分ではわからないけど、熱意は負けてないつもり。
ただね、周りの熱意があまりにも低いと、こっちも嫌になってきちゃう。

だから、最近は嫌にならないように、メンバーに合わせて自分の熱意やモチベーションを上げ下げしてます

今の会社(厳密に言えば今の会社の常駐先)も、目を合わせて話せないとか、一応大手なのにそんな人たちがマジョリティだから、あくまで「お仕事」と割り切ってやってます。
熱意はないね。
時は金なり、ってやつwww

でも、いろんな開発現場があるし、また「熱い現場」に出会えると信じてます。

「モノを作る」理由

2012年10月28日 22時43分03秒 | ゲームという娯楽
これは様々。

仕事か趣味かでも大きく違うし、「何を作るか」でも全然違う。

今回は、「ゲームという娯楽」カテゴリで書いているので、もっぱらゲーム開発の話にしようか。

仕事でやっていて、作ったものはどういう形であれ(プラットフォームや形式に関係なく)市場に出るわけだから「売る」というのは確かに重要な要素だし、「作る理由」と言えるかもしれない。
つまり「商売する目的/理由で作っている」ということだね。

否定する理由はないし、「市場に商品を送り出す」という仕事でやっている以上、「売る」ということはかなり意識して作ってきたし、今も同じ。

ただ、「何が売れて何が売れないか」っていうのは、結局のところわからない。
マーケティングをやって、例えば売れたゲームの分析をすることである程度「売れるゲーム」の方向性は見えてくる。
でも、その方向性で同じようなものを作ったからといって、それがまた売れるとは限らない。
また、販売数が多い(売れた)=黒字ではないわけで、開発にどの程度金がかかったか、によってKPIが変ってくるわけだから、販売本数/DL数だけを指標にすることはできない。

つまり「売れるか売れないか」は明確にできるものではないから、それを理由にモノを作る、というのは結構キツイ。

まあ、ビジネスとか趣味とか関係なく、共通しているのは「作りたいから」という理由の理由。
まさに作る根源だよね。

でも、これも「作りたいから」に「売れる見込みがあるから」がないと、実際ビジネスとしてモノを作ろうという話にはならない。

だから、俺らは企画書をプレゼンする時、大抵どこかしら似たような要素を持った商品(もちろん売れたもの)を探してきて、それを引き合いに「売れると確信します!」と大見得をきるわけだ
ゲームの企画だからって、引き合いに出す商品がゲームとは限らない。
いや、むしろゲームではないことのほうが多い。

この映画がヒットしたから、ヒットの理由になったこの要素を本企画のゲームに取り入れて云々、とかね。
あるいは今売れてるこの芸人をモチーフにして、こんな風にゲーム内に組み込むことで云々とか、まあその辺は80%こじつけ。

いやいや、こんな事を書きたかったんじゃないよ。。。

「モノを作る理由」の話に戻ろう。

つまり、自分のモチベーションを高く維持できる理由があれば、なんだっていいんだと思います。
前述の通り理屈は後付でいいんだし、金を出させる以上、GOサインを出させるまでにこの「理屈」作りは、「作る理由」とは別に絶対やらなきゃならない事なんで。

自分が納得出来るモノでないとモチベーション高くもてないから、「自分を納得させる」のは重要。
仕事の場合、これって結構難しいんだけど、まあ最終的には「次につなげるため」とか「生活かかってるから」でもいいんだと思ってます。

趣味で作る場合は、自分が納得できないものは作れないよねw
作るべきじゃないと思います。
趣味の場合、サークルとか同人関係で作る人も多いと思うけど、こういうのは「自分が納得できる」ものでなければやらない方がいい。

だから自分は最近映画はやってないんだよね

最後に、この業界で最近「売れたら勝ち」とか「売れたものは正しい」という事を耳にするけど、それは立場とか各々の価値観によって見方が違うと思うね。
「売れたら勝ち」っていうのは、勝ったのは誰(何)なのか、というのが疑問。
勝者は売れた「商品」そのものなんであって、それを作った人では絶対ないと思うね。
その人が生涯売れる商品を作り続けられたら、それはその人が勝者だと言えるかもしれないけど。
「売れたものは正しい」も、売れた時点の話であって、人の価値観とかニーズって常に変るものだから、これもずっと「正しい」とは言えないと思う。

モノ作りをする個人が、いわゆる「成功」の基準に「売れる事」をセットするのは、じゃあ売れなかったらそれは失敗なのか、という事を考えておかないとならないんじゃないかな?
会社や出資者が「売る」を至上命題にするのは当たり前のことだけど、一個人が「売れる売れない」を「成功か失敗か」にするのって虚しいと思うねぇ。



「売れなかったけど、個人的にこの商品(作品)にはこんな思い入れがあるし、こんな事を学んだ」


モノを作る人間の心理って、こんな感じなんじゃないだろうか、と思う今日この頃です。

すべての原点は城南高校映画部

2011年05月29日 23時01分23秒 | ゲームという娯楽
今、ゲーム関連の仕事をしているが、つくづく思うのは、この手の、何かモノを創る仕事っていうのは、とても疲れる作業だ。
個性の塊みたいな連中と一緒に仕事をしなければならないし、そういう自分だって個性の塊にならなければやっていけない。

でも、とっても面倒な連中と、とっても面倒な作業を繰り返す事で、結果としてモノは出来上がっていく。

「面倒な連中」ってのは「嫌な連中」って意味でも「嫌いな連中」って意味でもない。

文字通り「面倒な」連中の事
好きになれなきゃ一緒にモノは創れないよ、仕事だろうが趣味だろうが、ね。

モノを創るという作業は、「人と群れる」事で始めて成り立つともいえる。

そういう意味で、自分が「人と群れる」事に始めて喜びを感じたのは、やはり今はなき都立城南高校の映画部時代だな。
部活っていうのは、最低限他の部員とどこかでつながれなければ、続けていくのは辛い。少なくとも楽しくはない。
だから、短期間で色々な出会いと別れがあったのも事実だ。
自分にとって楽しい活動でも、それをシェアできるか否かは、一緒にやる連中次第だからね。

まったくシェアできなかった連中はおいておくとして、ごく短期間でも映画を作って遊ぶという「創作」をともにできた=シェアできた人達から教わったことは多いよ。

創ることが遊びから仕事になった今でも、やはり「出会いと別れ」の繰り返しであることに変りはないね。
人事異動だったり、入退職だったり、単なる離反だったり、その形は様々だけど、そういった「面倒くさい」コミュニケーションから得られるものは大きいし、その「面倒くささ」を乗り越えないと、モノは完成しないんだな。

だから、これからも、少なくとも仕事では面倒な事が続くと思うよ
プライベートでは、音楽っていうこれまた面倒くさいコミュニケーションを要求される活動をやっているけど、「面倒くさいけど楽しい」んだからやめられない。

映画は…しかし残念ながらその「面倒くささ」を「楽しさ」が超えなくなっちゃったね、自分的には。
少なくともいいバランスじゃないと、趣味としては続けていかない。
辛いだけでは、ね。
まあ、仕事としても、だけど。
映画に関しては、仕事としてやっていく機会もあったけど、断念した。
何故かっていうと、このブログで以前「プロとアマの違いはどうこう」って書いてたけど、プロだとかそんなのはどうでもよくて、まず仕事っていうのは「生活を成り立たせるもの」でなければならない、というのが自分の持論。
で、映画はその意味において「仕事につけば、最低限の生活は保たれる」という保障が全くない仕事だ。
正直、受注仕事では、小額の報酬であるにも関わらず、かなり振り回された。

ちょっと脱線しちゃったけど、まあ創作の原点が高校時代の映画作りだったわけで、それとは違うことを今やっているんだけど、自分の今のスタイルはその頃に確立されたものだから、やっぱり今の自分の原点といえば、城南高校映画部だな~

あの当時の連中は、皆元気にやっているだろうか?

機会があったら、また会ってみたいものだね。

FF14、相当ヤバイらしいね

2010年11月04日 22時05分30秒 | ゲームという娯楽
だから、ブランドとか固定概念から離れなさいって言ったのに

FFファンには悪いけど、FFの新作が「すげー面白い」と思う事はもう永久にないと思うよ。

ピークを過ぎたゲームシリーズってのは、もうマーケットで勝負するのは無理なんだ。
でも、あそこは未だにFFとかFMとかスーファミでステータスを確立したシリーズがトップセールスになると信じて疑わない

ゲームブームはとっくに去っている。

「一定ラインは売れる」はずのシリーズ物が、実際には一定ライン売れない状況が、リーマンショックよりはるか前から続いているのに方向修正していない。

「FFは寅さんじゃない」

という事に気づかないと、この状況は脱せないね。

どうせ売れないんだったら、「売れるかどうかわからないけど作ってみる価値がある」企画に厳選して開発&リリースしていくべきだと思うけどね。

そんな提言は何回もしたけど、ダメだったなぁ。

社内があまりにも保守的で「FFの世界観は変えられない」とか「FMの歴史はこう!」とか社内著作権者が未だにゲーム開発の手綱を握っているところが、「バイオ~」を土台にしつつ、新たな路線で野心作をリリースし続けるカプコンとの大きな違いだね。

まあ、一度は籍を置いた会社だから、持ち直して欲しいとは思うけど、その方法はもう
「カプコン・スクウェアエニックス株式会社」
しかないだろうねぇ

すごーくご無沙汰してしまいました

2010年01月29日 23時43分53秒 | ゲームという娯楽
今回は、ゲームの話。

最近は、もっぱらブラウザゲームにはまってます。
PCで気軽に出来るし、時間かからないし、それでいて結構ゲーム性高いんで、Fallout3そっちのけでプレイしてます。
というより、ゲームを積極的にプレイしてない、といった方が正しいかも。

かなり興味がなくなったのは事実です
各ハードの新作ラインナップ見ても
「これは欲しい!」
というのはないし。

基本無料のブラウザゲームに走るわけです
開発側も、今はmixiやFacebookのブラウザゲーム作ってるところが多くなったしね~。

たまに親戚の家でWiiSports RESORT やるくらいかな、コンソール機は

360のモンハンF? あまり興味ないね~
友達が買ったらやるかもしれないけど。

「ファイファン」や

2009年11月12日 13時32分06秒 | ゲームという娯楽
ファイナルファンタジー開発者「エフエフと呼んで」(朝日新聞) - goo ニュース

というのは、夏まで勤めていたゲーム開発会社社長のセリフ。

俺が「いやFFです」
というと、いつもこの答えが返ってきた。

今、このニュース記事を見て、彼は苦笑していることだろう。

「今更何言うとんねん」

って感じで…。

まあ、彼は常に「俺が正しい」という信念を貫こうとしている人物だから(本人は否定しているが)、これからも好きなように呼べばいいと思いますよ。

ゲームの略称まで開発者がこだわる必要はないと思うし。
いや、開発者はこだわって当然だけど、ユーザーにまでそれを要求するのはどうかな、と思うな。

「ファイファン」と呼んだところでゲーム性が変わるわけじゃないんだからさ

Wiiのソフトは何故売れないのか

2009年11月05日 23時02分51秒 | ゲームという娯楽
「売れていない」といっても、「Wii SPORTS」や「Wii fit」など一部のソフトは異常なほど売れている。

Wiiのソフトで「売れる」ソフトと「売れない」ソフトには明確な違いがあると思うんだよね。
「Wii SPORTS」や「Wii fit」などに代表される、「体を動かす」系のゲームは、WiiリモコンやWiiボードでスポーツやトレーニングを楽しむ、いわゆる「体感ゲーム」。
「体感する」ことをゲーム性の要にしたソフトにはWiiリモコンという「Wiiならではの要素」が必須だし、Wiiリモコンを振り回す面白さをそのままゲームに取り入れているわけだから、これ以上の「体感ゲーム」はない。
まさに、Wiiならでは、の遊び方が出来るゲーム。

一方、「売れない」あるいは「イマイチ」とされてしまうソフトの多くはRPGやアクションなど、Wiiリモコンの操作性と必ずしもフィットしないものが多い。
今、「DISASTAR」というゲームをやっているけど、このゲームは「クラッシックコントローラーでもWiiリモコン&ヌンチャクでも出来るゲーム」だったなら、傑作と言えると思う。
ゲームデザインそのものは良く出来ているし、ストーリー展開も「24」みたいで面白い。
それを台無しにしているのが、Wiiリモコンによる操作性の悪さ。
何故このゲームのデバイスをWiiリモコンにしなければならなかったのか?
開発者に聞いてみたいね。
まあ、答えはわかっているけど。

今、ゲームを企画開発する場合、最も重要視されるのは「何故そのハードなのか」という点。
Wiiで出すなら、Wiiでなければならない理由が必要、というわけだ。
「なら、Wiiリモコン操作を前提に考えましょう」となって、結果的に出来上がってくるのが、この手の「クラッシックコントローラーの方がプレイしやすい」ゲーム。
Wiiのアクションゲームのほとんどに言えることは、無理やりWiiリモコンを入力デバイスにしていること。
客観的には、あるいはプロデューサー視点で見れば「Wiiリモコンを駆使して云々」という発想は面白いんだけど、一プレイヤーとしてやってみると「???」なことが多い。

同じWiiのソフトでも、「モンスター・ハンター3」はクラッシックコントローラーがメインの入力デバイス。
だって、どう考えてもあのゲームを「Wiiリモコンでやれ」っていうのは無茶でしょ?
実際そういうゲームが多いのに、ほとんどがとってつけたように「Wiiリモコン」がメインデバイスになっている。

開発側の「ハードの特性を活かしたゲーム作り」という論理は、よくわかるんだけど、「すべてのゲームで」となってくると、疑問を感じざるを得ない。

自分は主にモバイル(携帯アプリ)をやってきたけど、必ず「携帯なんだから通信を…」とか「メール機能を入れて云々」なんてことを一度は言われる。
携帯電話という特性を入れること自体は間違いじゃないけど、ゲームによるんじゃないかな。
落としきりのRPGアプリに通信機能を入れても面白くなるとは限らないし、そもそも定額を超えるとパケット代が従量になってしまう携帯において、頻繁に通信が入るのは、ユーザーにとっては好ましいことではない。

いいたいことは、シンプル。
「ハードを意識したゲーム作り」をあまり意識しすぎないこと。
Wiiであっても、Wiiリモコンを使わないゲームがあったっていいし、どちらでもOKというのが望ましいソフトだと思うね(体感系を除いて)。
ゲームとして面白いゲームが、そのゲームに合った操作で楽しむことが出来れば、そういったゲームの評価も上がるだろうし、売り上げにもつながっていくと思うけどね。

ドラクエも「10」はWiiで出るわけだけど、あれも「Wiiリモコンで移動」とか「Wiiリモコンでバトル」とかやられると、もうドラクエじゃなくなっちゃうからね。

ゲームと遊び心

2009年09月08日 17時52分50秒 | ゲームという娯楽
プランナーであれ、プログラマーであれ、「ゲームを作ろう」と思うのであれば、一番重要なのは「遊び心」だと思う。

納期と工費の兼ね合いで、しばしば重苦しくなりがちな開発現場だが、そんな時こそスタッフの「遊び心」が開発現場のモチベーションを上げることが多い。

「一会社員としてゲームを作る」というのは、趣味ではなく仕事なわけだが、ゲームというのは結局「遊び道具」である。
そこにスタッフの「遊び心」が入っているか否かは、ゲーム性そのものにもつながる。

ゲームを開発していく過程では、スタッフミーティングは重要な役割を果たす。
スタッフ同士の意見交換の場であり、問題点をあぶりだす場であり、何よりも進捗を確認する場でもあるわけだから、もしこういったミーティングなしにゲームを作っているところがあるとしたら、そこはかなりヤバい会社だと言わざるを得ない。
そんな会社は辞めた方がいい
今この時期の退職はお勧めしないが…

で、「遊び心」というのはこういったミーティングで生まれてくる。
もちろん、ゲーム性を崩壊させる可能性もあるわけだから、暴走しないようにディレクターは注意すべきだが、基本的にスタッフが「こんなのがあったら笑えるよね」とか「マップデザインをこうしたら、ある意味斬新だよね」といった「遊び心」を基にしたアイディアは、ゲーム性を豊かにするという意味でも、また、スタッフ間の結束力を強化する意味でも重要だと思う。

もちろん、商用のゲームは値付けされ、流通される「商品」なので、開発自体が遊びになってしまっては、ビジネスとしては大問題。
しかし、「遊び道具」として流通している以上、「遊んで面白い」ものでなければ商品としてはもちろん、「遊び道具」としても成り立たないし、「面白い」ものを作るのに、常に「真剣に計算されていなければならない」とは限らない。

ゲーム開発は、仕事としては、しばしばハードな労働を強いられる。
たび重なる超過勤務や徹夜を繰り返していれば、「ベルトコンベアーに部品を乗せていく」作業になりかねない。
これで「面白い遊び道具」を作る、というのは極めて難しい。
もちろん、開発に入る前にプランナーが仕様を作るわけだから、その通りに作れば問題ない、と言ってしまえばそれまでだが、「仕様通りに作る=面白い」では必ずしもない、というのが現実だ。

映画が脚本に忠実に制作されるわけではない、というのとある意味同じこと。
役者の個性や監督の演出により、脚本をより膨らませた結果、面白い映画になることは、珍しいことではない。

これは、ゲームでも同じことだと思う。
仕様はあくまで仕様。
ゲームは、仕様を書くプランナーだけで作るわけじゃない。
スタッフ全員で作るものだ。

開発作業そのものがタフなだけに、現場自体は楽しいにこしたことはない。
楽しい現場でこそ「遊び心」は生まれてくる。

「(作業を)やらされている。面白くはない。仕事だから仕方がない」
それも個人のワークスタイルだが、そんな現場から「遊んで面白いゲーム」が生まれてくることはまずない、と自分は考えている。

ゲームを開発している人達に言いたいことはただ一つ。

「ゲーム作りを楽しめ。楽しめなければやめてしまえ」

「やめてしまえ」は言い過ぎかもしれないが、少なくとも楽しくない環境でやっつけ仕事をしても、自分にとっても、そのゲームを買うユーザーにとっても不幸な結果にしかならない。

自分は、これを肝に命じているつもり。
それだけに、違う意味での苦労が絶えないんだけどね

ゲーム業界を目指す若者たちよ!

2009年08月25日 22時08分39秒 | ゲームという娯楽
ゲーム業界で働きたいと思っている若い方は、まだたくさんいらっしゃるようですね。

自分はゲームプランナーなんてやってますが、仕事としてやって面白いか、といわれると「???」です。
好き勝手に作れりゃ、そりゃ面白いにきまってるけど、商売となるとそうもいかない。
自分がやりたいことなんて10%出来たら、それはラッキーな方でしょう。

自分は、どちらかというと自分のオリジナルよりも、人の手あかがついたブランドゲームを自分なりにカスタマイズしたりするのが好きなので、前職のモバイルゲームプロデューサーは面白かったよ。

今だから言うけど、フ○ントミッション○バイルは、会員数はともかく、仕事は面白かった。
BOMは残念な結果に終わったけどねwww 
モバイルの2089アプリが原作とはいえ、セクション的にモバイルは関係ないから。
とはいえ、あれが成功しなかった余波が、今のモバイル放置状態につながっているわけだから、やっぱ影響は大きかったわな~。
いやあ、ここには書けないけど、アプリ第3弾は色々と企画があったのよ。
色々あったんだけどね…

まあ、大人の事情ってやつで。

そんな感じで、大手企業でも大人の事情が多いこのギョーカイ、中小となれば大人なのか子供なのかわからない事情により大混乱に陥ること多々あるわけで、会社によってはほとんど社長の個人商店的なところもあるわけで、独裁じゃないにしても「俺のやり方正しい。あんたの間違い」って社長は多いわけで、変な会社に入って、さんざ使いまわされた揚句、夢破れてゲーム業界を去っていく人達の多いこと…。
俺も辞める決意を下したけどwww

くれぐれもファ○通.comの転職情報なんかに載ってる、聞いたことないような会社には応募しないようにね!

というか、今はどこも積極的な募集はしてないから、ひたすら耐えつつ、求人難が去るまで待ちましょう

「プロゲーマー」は何故いないのか?

2008年12月01日 13時50分12秒 | ゲームという娯楽
「ゲームは単なる遊び道具」
という時代ではない。

次世代機で話題となっているゲームソフトの中で、特にFPSやTPS、格闘といったジャンルにおいては、ゲームをクリアするためにかなり練習しなければならないものが多数ある。
最近海外製のゲームが増えたせいもあって、ゲーム自体の難易度も上がっている。
もちろん、その分イージーモードからレジェンド、インセインといった最強レベルまで各モードがそろっていて、どのレベルのユーザーでも楽しめるようにはなっている。

が、そもそもレジェンドだとかインセインだとかいった「最も難しいモード」は何故必要なのか?

もちろんそれは「やりこみ派」ゲーマーの存在を無視できないからだ。
今の次世代機、Xbox360やPS3を所持しているゲームユーザーには、この「やりこみ派」が多い。
ディストリビューターにしてみれば、当然、彼らをターゲットから外すわけにはいかないわけだ。

「やりこみ」によって最難関モードをクリアするには、かなりの練習量を要する。
それはもう、一日8~12時間くらい練習しなければこういったモードをクリアすることは出来ないし、一日8時間以上ゲームをプレイする、ということは、他の事はほとんど出来ないよね。

ということは、これらのやりこみゲーマーでいるためには(なるためには)、仕事や学業を生活のメインに持ってくることはできない。

「8時間以上ゲームやってるくらいなら、働けば?休みなしで働けば生活には困らないし」
という意見もあるだろう。

だが、自分は逆に
「8時間以上も練習しなければクリアできない/高得点をマークできないゲームをクリアしてしまうゲーマーが多数存在するならば、これはもうプロと呼ぶべき存在だし、将棋や囲碁のように「職業」としてプロゲーマーなるものを作るべきじゃないか?」
と思っている。
いやジョークじゃなくて。

特に、以前と違い今はマルチプラットフォーム化が進んでいる現状で、「このハードでしかプレイできない」というソフトが減ってきている状況は、「プロゲーマー」という職業というか競技を創設しやすい環境にあるのではなかろうか?

凄腕ゲーマーは、プロ選手として世界選手権に参加することが出来、選手に企業のバックアップがつけば、選手は「プロ」として生活していけるわけだ。
選手権が一年通じてあれば、賞金が「年収」になるわけだし、ゲームを作る側も、そういったプロ競技向けのソフトをリリースしていくことで、今までの「ただ買って遊んでください」という小売ビジネススタイルから、「このソフトでプロ目指してください/選手権に向けて練習してください」という、スポーツ用品のメーカーのようなビジネススタイルを持つことも可能だ。

映画監督であり、RPGゲーマーでもある押井 守も著書で「必死にプレイして貯めたゴールドが、現実で使えないことに理不尽さを感じる」旨のことを書いていて、それが自作「AVALON」の発想へとつながったわけで、こういう考え方は自分だけが持っているものではないのね。

ハードの進化に伴い、「ゲームをプレイすること」が必ずしも気楽な遊びとは言えなくなった今、少なくとも腕を競うことができるジャンルを絞ることで、「プロゲーマー」という新しい競技を設立することは不可能ではないと思う。
すでにオンラインゲームでは、24時間365日スコアやクリアタイムなどのランキングが稼働しているわけだから、そういったランキングの上位に入れば「ナントカ国際ゲームトーナメント」に出場し、何千万という賞金を争うことは、ナンセンスではないと思うなあ。

これはニートや引きこもりで、一日中ゲームをプレイしている人の中からもプロが出てくる可能性があるわけで、そういった社会問題への対策にもなるかもしれない(ならないかもしれないが…)し、多くの子供に「俺、将来プロゲーマーになる!」なんて夢を持たせることができるじゃないですか!

まあ、今自分が失業中で、しかもゲーム開発側の立場から一日中ゲームをプレイして過ごす日々を送っていて、「これが仕事(プロ選手)になれば、多くの人がその才能と技術を活かせるのにな(俺は無理だけど)」と感じたのを発端に、こんな妄想を抱いたに過ぎないんだけどね。

でも、「プロゲーマー」ってホントにアリだと思います。
とりあえず、日本ゲーマー協会」とか作らなきゃならないんだろうね。

作ろうか?