俺小説を書いてみようか、と。
ネットが盛り上がりはじめた90年代後半をテーマに。
小説というより、論文になってしまうかもね。
「ネットの夜明けをあの娘と見た日」
1997年。
この年に俺は初めて「ホームページ」なるものを持った。
シナリオ作家協会の研修科を卒業し、広告代理店に入社して間もない頃だった。
旧来のメディアには飽き飽きしていた、ということもあったし、インターネットという新しい、誰でもが発表でき、誰でもが見られるメディアで自分の作品を公開するのが目的だった。
実際、開設してみると、中々人は集まらないし、自分の作品に対しての評価も聞けないで、悶々としていた。
そんなある日、当時俺のサイトのコンテンツのひとつだった「読者をモデルにシナリオを書く」というコーナーに応募があった。
それが彼女との出会いだった。
その娘は、まだ高校生で、小説家を目指しているという。
自分について、彼女は「時流に流されない。ルーズソックスなんて絶対にはかない頑固者」と語っていた。もちろん自分のキャラクターを語ってくれと俺が謳っていたから、彼女もそういうことをメールに書いてきたのだ。
世は「アムラー」「ルーズソックス」「エンコー」の時代である。
そんな時に、それに頑強に抵抗している女子高生というのは、新鮮だった。
俺は、オーダーに応じたシナリオももちろん書いて公表したが、その娘のページが気になり、訪問してみた。
まだ高校生なだけあって、デザインや内容は稚拙だったが、明るく、勝気な雰囲気漂う、非常に居心地のいいページだった。
初めて掲示板に書き込むときは緊張した。
人の掲示板に書き込むこと自体初めてだったし、相手は高校生で、メールを一通もらっただけの仲だから話が合うかどうかもわからなかった。
彼女のレスは、丁寧かつ明朗なものだった。
テレビで映し出される渋谷の女子高生が「女子高生」と決め付けられていた時代にこういう高校生もいるのだ、と素直に感心した。
小説家を目指しているということで、何篇が読んだ。初心者にありがちな、完結していなかったり、笑えないおどけた地の文など稚拙な物ばかりだったが、想像力と、何よりも彼女の夢がそこにはあった。
高校生がプロ顔負けの小説を書いていたら、それこそとんでもないことだ。
俺は、その無邪気な小説に好感を覚えたし、また彼女にも好感を覚えた。
実際に会ったこともない人物に好印象を覚える、というのは初めての体験だった。
俺は、手厳しい批評をしながらも、楽しく交流を保っていった。
そんな彼女が、東京の大学に入学し、上京した。
若干18歳の女の子がひとりで東京に出てきたのである。
当時のネット仲間でオフ会をやろう、ということになった。
これも俺にとっては初体験だった。
音頭をとったのは、彼女がまだ地元の高校生だった頃、最後の方で彼女のページに出入りした男だった。
そして、ネットでしか会話したことのない俺とその娘は、はじめて会った。
ネットのイメージと実際のイメージは違う。
そんなことがよく言われるが、その通りだった。
実際の彼女は、明るく勝気な女の子ではなく、控えめのおとなしい、少しシャイな娘だった。
なんのことはない、ネットでは能弁な俺だって、実物はシャイな男だったわけだから、彼女もさぞかしガッカリしたことだろう。
だが、その最初のオフは、それなりに楽しかった。音頭をとった男が雄弁な男だったから良かったのだが、その彼が彼女の保護者代わりになっていったことは、結果的に彼女にとってはマイナスだったのかもしれない。彼は、未成年者にドンペリを振舞うなどかなりの遊び人だったのだ。
だが、まだ子供の彼女には、確かに保護者代わりが必要だった。
そして、俺にはその役は出来なかった。
あの娘も望んではいなかっただろうが。
俺のネット交流は、しかしそれからどんどん盛んになっていった。
オフ会に顔を出すこともしばしばあった。
ただ、その娘と顔を合わすことは、最初のオフ以降あまりなかった。
一度だけ、彼女と池袋を二人でぶらぶらしたことがあった。
喫茶店で、愚痴を語りあったのを覚えている。
大分東京の生活にも慣れ、活き活きとした表情だったのが印象深い。
後にも先にも、彼女と二人きりで話しこんだのはあれっきりだが、お互いの夢を語り合うのは楽しかった。
たぶん彼女もそうだったのではないだろうか。
彼女は、大学生活が忙しくなるにつれ、ネットでのイメージも変貌していった。
明るく勝気で、なおかつ礼儀正しい娘から、世の中への不満をぶちまける攻撃的な女へと変貌していった。
そんな彼女と最後に会ったのは、自分にとっても最後のオフ会となった2002年末、新宿の居酒屋だった。
音頭をとったのは、やはりあの男だった。
それまでのオフ会とは雰囲気が違う、退廃したムード漂う飲み会だったが、あの娘は楽しそうだった。
俺は、まったく楽しくなかった。
話題の合わない連中と飲むほど辛いことはない。
正直、このオフ会は俺にとっては苦痛以外の何ものでもなかった。
オフが終わり、あの男とともに歌舞伎町の街に消えていくあの娘を見たのが、俺が見た彼女の最後の姿だった。
その後、彼女はページで彼氏が出来たことを告白している。
ネットを通じてとはいえ高校時代から彼女を知っている俺にとっては驚きだった。
「異性にまったく興味がわかないんです」
が、彼女の決まり文句だったからだが、別にショックを受けたわけではなく、かといって嬉しいというほどオーバーな感動もなく、ただ「ああ、あの娘も成長したんだな」と少し感慨深いものを感じただけだ。
いわば、ネットというメディアを通して、一人の女の子が歳月を経て女に成長を遂げる姿を見た事になる。
恋愛感情があったわけでもないし、「妹分」といえるほどの付き合いをしたわけでもない。
つまり距離感があったからこそ客観的にひとりの人間の育っていく姿を見ることが出来たわけだ。
まさにネットならでは、ということか。
あの娘の成長と、ネットの成長を重ね合わせて見ることができる。
今、さかんにブログやミクシをやっているのは、それからネット世界に入った今の人達だ。
俺も彼女も、そしてあの頃の人達もネット世界では今の人=旬な人ではない。
「到来しようとしているネット時代の夜明け」を、あの当時あの娘と見ていたような気がする。
その日々を、ともにネットで過ごした。
もうあの娘との交流はない。
激突のない絶交。ネットでは珍しいことではない。
ある時点で意気投合し、ある時点で息が合わなくなった。
それも人の成長だ。
俺も成長したし、あの娘も成長した。
ネットの楽しさは変わっていない。
それは新しい「出会い」なのだ。
もう、あの娘とネット時代の「これから」を見ることはない。
それを見るのは、これから出会うであろう新しいネット仲間なのだろう。
アナログ世代には信じられない感覚だろうが、ネットの友人というのは、誤解を恐れずに言うなら使い捨てなのだ。
そういう意味において、俺は彼女を「使い捨て」たし、彼女もそうした。
ネットコミュニケーションとはそんなものだ。
まだ見ぬネット仲間よ、近々会おう。
そしてまたお互いの成長ぶりを眺めあおうではないか。
完
ネットが盛り上がりはじめた90年代後半をテーマに。
小説というより、論文になってしまうかもね。
「ネットの夜明けをあの娘と見た日」
1997年。
この年に俺は初めて「ホームページ」なるものを持った。
シナリオ作家協会の研修科を卒業し、広告代理店に入社して間もない頃だった。
旧来のメディアには飽き飽きしていた、ということもあったし、インターネットという新しい、誰でもが発表でき、誰でもが見られるメディアで自分の作品を公開するのが目的だった。
実際、開設してみると、中々人は集まらないし、自分の作品に対しての評価も聞けないで、悶々としていた。
そんなある日、当時俺のサイトのコンテンツのひとつだった「読者をモデルにシナリオを書く」というコーナーに応募があった。
それが彼女との出会いだった。
その娘は、まだ高校生で、小説家を目指しているという。
自分について、彼女は「時流に流されない。ルーズソックスなんて絶対にはかない頑固者」と語っていた。もちろん自分のキャラクターを語ってくれと俺が謳っていたから、彼女もそういうことをメールに書いてきたのだ。
世は「アムラー」「ルーズソックス」「エンコー」の時代である。
そんな時に、それに頑強に抵抗している女子高生というのは、新鮮だった。
俺は、オーダーに応じたシナリオももちろん書いて公表したが、その娘のページが気になり、訪問してみた。
まだ高校生なだけあって、デザインや内容は稚拙だったが、明るく、勝気な雰囲気漂う、非常に居心地のいいページだった。
初めて掲示板に書き込むときは緊張した。
人の掲示板に書き込むこと自体初めてだったし、相手は高校生で、メールを一通もらっただけの仲だから話が合うかどうかもわからなかった。
彼女のレスは、丁寧かつ明朗なものだった。
テレビで映し出される渋谷の女子高生が「女子高生」と決め付けられていた時代にこういう高校生もいるのだ、と素直に感心した。
小説家を目指しているということで、何篇が読んだ。初心者にありがちな、完結していなかったり、笑えないおどけた地の文など稚拙な物ばかりだったが、想像力と、何よりも彼女の夢がそこにはあった。
高校生がプロ顔負けの小説を書いていたら、それこそとんでもないことだ。
俺は、その無邪気な小説に好感を覚えたし、また彼女にも好感を覚えた。
実際に会ったこともない人物に好印象を覚える、というのは初めての体験だった。
俺は、手厳しい批評をしながらも、楽しく交流を保っていった。
そんな彼女が、東京の大学に入学し、上京した。
若干18歳の女の子がひとりで東京に出てきたのである。
当時のネット仲間でオフ会をやろう、ということになった。
これも俺にとっては初体験だった。
音頭をとったのは、彼女がまだ地元の高校生だった頃、最後の方で彼女のページに出入りした男だった。
そして、ネットでしか会話したことのない俺とその娘は、はじめて会った。
ネットのイメージと実際のイメージは違う。
そんなことがよく言われるが、その通りだった。
実際の彼女は、明るく勝気な女の子ではなく、控えめのおとなしい、少しシャイな娘だった。
なんのことはない、ネットでは能弁な俺だって、実物はシャイな男だったわけだから、彼女もさぞかしガッカリしたことだろう。
だが、その最初のオフは、それなりに楽しかった。音頭をとった男が雄弁な男だったから良かったのだが、その彼が彼女の保護者代わりになっていったことは、結果的に彼女にとってはマイナスだったのかもしれない。彼は、未成年者にドンペリを振舞うなどかなりの遊び人だったのだ。
だが、まだ子供の彼女には、確かに保護者代わりが必要だった。
そして、俺にはその役は出来なかった。
あの娘も望んではいなかっただろうが。
俺のネット交流は、しかしそれからどんどん盛んになっていった。
オフ会に顔を出すこともしばしばあった。
ただ、その娘と顔を合わすことは、最初のオフ以降あまりなかった。
一度だけ、彼女と池袋を二人でぶらぶらしたことがあった。
喫茶店で、愚痴を語りあったのを覚えている。
大分東京の生活にも慣れ、活き活きとした表情だったのが印象深い。
後にも先にも、彼女と二人きりで話しこんだのはあれっきりだが、お互いの夢を語り合うのは楽しかった。
たぶん彼女もそうだったのではないだろうか。
彼女は、大学生活が忙しくなるにつれ、ネットでのイメージも変貌していった。
明るく勝気で、なおかつ礼儀正しい娘から、世の中への不満をぶちまける攻撃的な女へと変貌していった。
そんな彼女と最後に会ったのは、自分にとっても最後のオフ会となった2002年末、新宿の居酒屋だった。
音頭をとったのは、やはりあの男だった。
それまでのオフ会とは雰囲気が違う、退廃したムード漂う飲み会だったが、あの娘は楽しそうだった。
俺は、まったく楽しくなかった。
話題の合わない連中と飲むほど辛いことはない。
正直、このオフ会は俺にとっては苦痛以外の何ものでもなかった。
オフが終わり、あの男とともに歌舞伎町の街に消えていくあの娘を見たのが、俺が見た彼女の最後の姿だった。
その後、彼女はページで彼氏が出来たことを告白している。
ネットを通じてとはいえ高校時代から彼女を知っている俺にとっては驚きだった。
「異性にまったく興味がわかないんです」
が、彼女の決まり文句だったからだが、別にショックを受けたわけではなく、かといって嬉しいというほどオーバーな感動もなく、ただ「ああ、あの娘も成長したんだな」と少し感慨深いものを感じただけだ。
いわば、ネットというメディアを通して、一人の女の子が歳月を経て女に成長を遂げる姿を見た事になる。
恋愛感情があったわけでもないし、「妹分」といえるほどの付き合いをしたわけでもない。
つまり距離感があったからこそ客観的にひとりの人間の育っていく姿を見ることが出来たわけだ。
まさにネットならでは、ということか。
あの娘の成長と、ネットの成長を重ね合わせて見ることができる。
今、さかんにブログやミクシをやっているのは、それからネット世界に入った今の人達だ。
俺も彼女も、そしてあの頃の人達もネット世界では今の人=旬な人ではない。
「到来しようとしているネット時代の夜明け」を、あの当時あの娘と見ていたような気がする。
その日々を、ともにネットで過ごした。
もうあの娘との交流はない。
激突のない絶交。ネットでは珍しいことではない。
ある時点で意気投合し、ある時点で息が合わなくなった。
それも人の成長だ。
俺も成長したし、あの娘も成長した。
ネットの楽しさは変わっていない。
それは新しい「出会い」なのだ。
もう、あの娘とネット時代の「これから」を見ることはない。
それを見るのは、これから出会うであろう新しいネット仲間なのだろう。
アナログ世代には信じられない感覚だろうが、ネットの友人というのは、誤解を恐れずに言うなら使い捨てなのだ。
そういう意味において、俺は彼女を「使い捨て」たし、彼女もそうした。
ネットコミュニケーションとはそんなものだ。
まだ見ぬネット仲間よ、近々会おう。
そしてまたお互いの成長ぶりを眺めあおうではないか。
完