62年前に見た集団自決の現場 「軍曹が命じた」(朝日新聞) - goo ニュース
「軍が命令した事実を証明するものはない」
最近、あらゆる「旧日本軍の蛮行」とされる問題に対して、こういった意見が声高に叫ばれているような気がする。
沖縄の集団自決に関しても、高校日本史の教科書から「軍の命令により」が削除された。
「証拠がないから、なかったんだ」
という言い分には、しかしながら疑問を感じるね。
確かに司法的に言えば「疑わしきは罰せず」「証拠がなければ無罪」が原則だ。
ただ、「第二次世界大戦と旧日本軍」は歴史問題であって、司法的観点から論ずるべき問題ではないんではないかな?
集団自決に限って言えば、様々な説があるわけで、「こんな説もあればこんな説もある」と書けばいいような気がする。
少なくとも他の歴史問題で「不明」な点については大抵いろんな説を載せている。
「軍が関与したことが事実」では現時点でないとしても、「そういう説もある」ことは事実なわけで、軍関与説も軍非関与説もすべて記載して、生徒に客観的に歴史を学んでもらうのが「教科書」のあるべき姿ではないかと思うんだけどね。
戦争というものは、いかなるものであっても正当化できるものではない。
滑稽で、とても格好悪いものだ。
テレビや映画でしか知らない我々は、つい「国のために戦っている=カッコいい」と思ってしまいがちだが、イラク戦争でメディアが暴露したように、実際の戦場って映画のようにカッコいいもんじゃないし、「当たり前のように人が死ぬ」ものだということを現実的に考えられないのが今の日本人だと思うんだよね。
渋谷の爆発事件について誰もが「悲惨だ」「被害者が可哀想だ」と思うわけだが、戦場も似たようなもんじゃない?
鉄砲持ってるか持ってないかだけの話で。
客観的に見ても当時の沖縄は「悲惨だ」し、「被害者が可哀想だ」と思うんだけどね。
自分の母親は「雷が大嫌い」だ。
でも、理由は他の人のものとはちょっと違う。
母親が小さい頃は、ちょうどアメリカ軍による空襲が盛んだった時期で、焼夷弾の閃光と轟音、それに呼応して窓ガラスが「ビリビリ」と鳴るのがとても怖かったそうだ。
もう70に手が届こうという母親が、今も尚「雷」に「焼夷弾」を重ねて恐怖を感じてしまうのは、今で言うPTSDというやつで、これも立派な戦争後遺症だと思うね。
「戦争=アサルトライフルを構えて突撃する迷彩姿の凛々しい兵士達」
こんなイメージを持っているとしたら、それだけは「大間違いだ」と言い切れるね。