goo blog サービス終了のお知らせ 

ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

都立城南高校映画部メモリアルDVD

2013年05月26日 01時57分16秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
ビデオ自体を作成したのが94年。
19年たってようやくDVD化しました。

このメモリアルDVDの内容は、1987年-88年の映画部限定なんだけど、濃密な一年だったので今見るとまた熱い思いがこみあげてくるね
今じゃ小中高に限らず、ホームビデオカメラが普及してるから、メモリアル映像なんて別に特別なものじゃないけれど、87年当時ってビデオカメラが市場に出始めたくらいの時代で、普通の学生が部活中にビデオカメラまわす、なんてほぼない時代だったから、映像が残っているという事自体がスゴイことなんだよね。

ま、映画部という部活の性質上、当時8mmフィルムで映画や撮影風景、ただの遊びなど様々な映像を撮影していたから、それらをビデオに落とすことができ、で、今またそれをDVDにすることができたわけだね。

このDVDの構成は、当時制作した短編映画を4本と、メイキング的お遊び映像、使わなかったフィルム、編集時に切り落とした映像等々のジャンクフィルム映像を散りばめつつ、サウンドトラックを追加して「この頃はよかった」的なものにしている。
94年だから、7年後に作ったわけで、まだ当時への想いとかそういう執着心の塊で作った部分もあるので、今見るとちょっと気恥ずかしいね
今はなき城南高校の、校舎内が結構映っているので(3-6の教室とその周辺、図書室とかね)そういう意味でも結構貴重かも

そんなDVDだけど、もし当時の城南高校映画部関係者の方で、DVD欲しいという方がこのブログを見ていらしたら、メアド付(hotmailやgmail等の捨てメアドでかまいません。連絡が取れれば問題ないので)コメントください。
このブログは、コメントは自分が承認しないと公開されない設定になっているので、関係者の方からのコメントは公開しません。

まあ、大した内容のDVDじゃないので、あまり期待はしないほうがいいと思いますが(特に画質はひどい)

Wanted Dead Or Alive

2012年10月23日 16時25分35秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
回顧録じゃないけど、最近また「あの頃はよかった」病がではじめてます。

やっぱ、俺の場合は高校1年の頃。
Bon Jovi は、当時ブレイクしたばかりのロックバンド(当時のカテゴリではメタルバンド)で、タイトルの「Wanted Dead Or Alive」もヒットアルバム「Slippery When Wet」(当時の邦題は収録曲の「Wild In the Street」)のバラード曲で、今でも好きな曲。

といっても、当時Bon Joviはそんなに好きではなかった。
好きだったのは、Bon Joviが好きだった先輩女子KCさん。
Kさんに影響を受けて聴きだしたら、「ええでないの~」となったわけです。
まあ、自分がないのは高校生だったからだけではないんですが

あのアルバムは神がかり的なものだったと思うね。
後のはどうでもいい。
「You Give Love A Bad Name(邦題「禁じられた恋」だったかな?)」
「Livin' On A Prayer」
みたいな代表作ももちろん、個人的にはイントロが高校生的にはショックだった「Social Disease」(えー、あの子もこれ聴いてんの、みたいなw)とか、「Let It Rock」、「Raise Your Hands」なんかよかったね。

カラオケでは結構歌ってるけど、セッションとかバンドでやったことねぇなぁ。
やりたいな、とは思うんだけど、ちょっとポップすぎるんだよね。
キーボードも必要だしね(集めるのが大変なパートなんですwww)。

今自分がやりたいバンドってのは、もっとぶっとい音のメタル。
LOUDNESSほどではないにしても、サミー時代のVan Halenみたいな感じ。
Whitesnakeとかね。

Bon Joviは、聴いてるといい感じ。

ちなみに、LOUDNESSも「Hurricane Eyes」はバリバリに聴いてたな~。
あの子にも布教しようとしていたような気がするな。
「So Lonely」くらいは覚えてるかもしれない

いやはや、懐かしいですわ

かも

2012年06月29日 23時03分07秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
昨日、なんとも切ないというか、いい夢を見た。

都立城南高校映画部(1987年度)での活動は、このブログでも何度も書いたけど、自分にとって人生の大きなターニングポイントとなったもので、その時憧れていたのが一つ先輩のかもさん(仮名)。
僕ら男性陣の無神経さが災いして、彼女は部を去ってしまい、その後二度と会う事はなかった。

今でも、どこでどうされているのか全くわからない。
二年くらい前に、DFのBBSにカキコしてくれた時はとても嬉しかったが、それ以来コンタクトは全くない。

で。

昨日の夢の話。

夢の設定は、恐らく今ではない過去の時代、20代後半くらいの設定で、俺と、仲がよかった(今でも)ほんちゃん(仮名)、俺と同期のN君(仮名)に、かもさんの四人で同窓会のような形で会ったという感じだったと思う。

まあ、夢だからディテールなんてあまり覚えてないんだけど、かもさんとはずいぶん話し込んだ(同じようなシチュエーションが、87年当時に一度だけあったから、それがベースになった夢なんだろう)。
確かメアドのやりとりとかしてたような
次に皆で会うことを画策していて、そのスケジュールの空きを聞いていたな。
かもさんも前向きなんだけど彼女のスケジュール帳がびっしりで、「う~ん」って悩んでいた(俺がね)感覚があるんだよね、リアルに。

そういう意味で、とてもリアルな夢だったせいか、目覚めてからの虚しさったらなかったね。

でも、虚しさが薄くなっていくと同時に「爽快感」というか、やっと自分の中で「87年映画部の寓話が終わった」感じがして、一区切りついた。
24年もかかったのかwww

夢ってのは、ホントに不思議な効果があるもんだね。

まあ、何はともあれ、いい夢でした

アメリカまでの道のりは長いよ

2011年05月08日 21時52分06秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
ひっさしぶりの青春シリーズ。

前回は、某アメリカ大学のESL日本校に入学したところまでだったので、その続きから。

やはり、この当時は留学が流行っていたこともあってか、こんなちっちゃな学校にもかなりの生徒が集まっていた。

生徒・イズ・マネー!

まあ、はっきりいって、この当時の「アメリカ大学日本校」なるもののほとんどは上記の言葉一言で言い表すことができるね
当時の英会話学校しかり。
今はホントに大手2、3校しか残ってないよね。

さて話を俺に戻して。

入学したはいいけど、学校狭いし、いい女はいないし(いたけど、皆一癖二癖ありwww)、つまんなかったなー。
城南高校の映画部を再現したかったけど、その余地はまるでなし!

でも、ここで初の英語による映画製作を行ったりもした。
ドロリンという担任の先生に出演してもらって、高校時代に先輩が考えてたカンニングネタのショートビデオを撮ったんだけど、途中でビデオカメラが壊れちゃって、映像が白黒ならぬ黄黒になってしまって…。

まあ、でもパーティで上映したら結構ウケてたし、まあいっか、みたいな?
ここらあたりから、自分の映画はコメディに傾倒していくんだよね。

で、夏休みの間、色々考えたわけ。

「このままアメリカ行ってどうするんだろう?俺ってまだ「俺(日本人なら)こう撮るぜ」ってのないよな」

とか真剣に考えた。
アイデンティティが重要なのは、当時からわかっていたからね。
アメリカ行って、アメリカの学生と同じことやってもダメ。

じゃあ、もうしばらく日本で、日本の映画製作について勉強しましょう!

なんて短絡的な発想なんでしょう!
でも即断即決がウリだった当時の俺は、急遽日本の映画学校に行く事を決め、英語学校を辞めた。

そんな頃だったかな、渡米していた親友が日本に帰ってくるということもあって、じゃあ一緒に行くか、と決めたのがにっかつ(現・日活)直営の映画学校。
ここでは、色々な野心家に会えたな
こういう学校って、どうしても目立つやつが多いし、逆に目立たないやつはダメ。
頭抜けるやつが、最終的に撮れるわけだし(自分が望むものでないとしても)、撮れなかったら入学した意味ないからね。
授業は、俺自身はどうでもよくて、とにかく性懲りもなく「第二の映画部」結成をもくろみ、親友とともに、集まってきたメンバーと自主制作映画のプロジェクトを始めたんだけど…

次回につづく

恋、部活、そしてアメリカ!

2010年11月12日 22時55分05秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
久しぶりの「青春よ永遠なれ~」カテゴリです


映画部の最初の一年で、3年分の楽しさを味わったね。
本格的な初恋(??)をしたのもこのとき。
1つ上の先輩に、最初は他の先輩男子達とマンガのように「ヒロインの奪い合い」で盛り上がっていたんだけど、次第に俺は本気になっていった。
まあ、それは失恋という結果に終わるわけだけど、なんというかあの経験がなかったら、自分の人生はもっとハリのないものになっていたかもしれない。
あの先輩には感謝です
ま、その時期はその子を何かとヒロインにしたがる傾向があって(俺が、ね)、何本も企画したけど、全滅しなぁwww

そういうのはダメなんですわ、創作ではね。
「撮りたい人ありき」ではダメなんです。
「撮りたいもの(内容)」でなきゃ、ね。

それを学んだ(ずいぶん後にwww)と言う意味でもいい経験でした。
翌年は翌年で、入部してきた女の子達の一人と、生まれて初めて付き合うことになって、部活はメチャメチャになっていくという…
まあ、でも高校時代で3本監督したわけだから、部活は部活でちゃんとやってたんだよ

最初の年(87年)に知り合って、今でも親友の先輩が翌年に渡米して、その影響もあってか、俺も「アメリカで映画を勉強したい」と思うようになって、卒業後の進路が急遽アメリカ大学の日本校(英語研修課程)になったわけ。
そこには、俺以外にも映画留学を考えてるやつがいて…

次回につづく

先月

2010年10月29日 22時10分56秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
このカテゴリの本来の内容からはちょっとはずれるんだけど、先月、放置プレイ状態の個人サイトのBBSに、都立城南高校時代の懐かしい人から書き込みがあった。

1年先輩の人なんだけど、何せBBSは今月に入ってたまたまのぞいて初めてカキコに気づくという感じだったので、レスを書いたんだけど、もうアクセスないかもしれないな~、と。

とても懐かしい&特別な思い出がある人なので、書き込みメール受信設定してなかった俺を責めたいねー

願わくは、このブログも見つけてほしいな、と思います。

自主映画との出会い~仲間って大切ね!

2009年12月22日 22時41分32秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
東京都立城南高校に進学した俺は、早速映画部(人によって映画研究部だったり映画部だったり。当事俺は「映研」と呼ばれることに抵抗を感じていたな~。研究なんてしてねーし)の門を叩いた。

映画部の事についての細かいことは、以前にも書いた記憶があるので割愛するとして、高校3年間映画部で9本の自主映画に携わったことで、「物創り(特に映像制作)」に対する基本的なスタンスというか「思想」が出来上がったのは間違いないね。

とにかく楽しむこと。
一人で創るよりも、波長の合う仲間と創る方が断然楽しいし、満足いくものが出来るということ=チームワーク重視。

このスタンスが、後のWebやゲーム制作の仕事に、良くも悪くも反映されたのは事実だね。

で、特殊メイクはどうなったのか、というと、高校に入る直前にハリウッドアクション映画と押井映画に傾倒してしまったため、映画部で映画を作るようになった頃にはすっかり興味を失ってました

とにかく、当事の映画部のメンバー一人ひとりが俺にとっての師匠になった、と言っても過言ではないくらい、あの連中には強烈に影響を受けたよ。
仲間ってのは大切だってことを、この後も痛感させられることになるわけ…

つづく

「創作」との出会いは特殊メイク!

2009年12月19日 19時52分37秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
今日より新カテゴリーとして追加した「我が●●年代」シリーズの第一弾。

今の自分の原点を探る旅路ってわけ。
書きながら、「あの日はよかったな~」と感傷にひたり、「これからはこうかな~」と勝手な抱負を抱いたり、そんなコーナーにしていきたいと思ってます。
で、「創作」という行為との出会いは、細かいものまで入れると70年代までさかのぼっちゃうんだけど、覚えていないことの方が多いし、80’sの事は逆に良く覚えていて、且つ何気に今ちょっと流行気味だったりもするので、80年代から書くことにした。

80年代=自分の創作意欲の原点といえば、何を隠そう当事日本では全くといっていいほどなかった音楽ビデオ=PVとの出会いだね。
当時、まだベータ方式だった我が家のビデオデッキで、初めて見たPV+メーキングが、マイケル・ジャクソンの「スリラー」だった。
音楽には全く影響を受けなかったけど(当時は好きだった。カルチャークラブと比べてもね)、ジョン・ランディス監督&リック・ベイカー特殊メイクによるビデオ内容とメーキングにショックを覚えたものだったな。

内容では、まずあのダンス!
歌いながら踊る、というのはトシちゃんしか見たことがなかった自分にとって、マイケルのダンスは、振付もふくめて衝撃的だったね。
マイケル、やっぱりアンタは20世紀最高のエンターテイナーだったよ! RIP

後はメーキングにおける特殊メイクの過程にびっくり。
「こんな事を仕事にしている人達がいるんだ!」
って感じで。
これがきっかけで特殊メイクやSFX(今はVFXという)に魅せられ、ホラー映画を見始めたんだったと思う。

その後しばらくは、リック・ベイカーやロブ・ボーティンら特殊メイクアーティストは俺にとって神に近い存在だったね。

自主映画を作ろうと思ったのも、監督や脚本に興味があったわけじゃなくて、特殊メイクを自分でやってみたかったから。
結局、中学で自主映画を作ろうとしてとん挫した俺は、その想いを持ちつつ高校に進学することになるわけだが―

つづく