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ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

報道のあり方

2009年09月17日 19時01分28秒 | 雑談
「生まれ変わった気持ちで…」酒井被告会見(読売新聞) - goo ニュース

政権が変わっても、マスコミがこれじゃあまだ日本は変わらないな、と痛感した。

「質疑応答が許されない刑事被告人の記者会見」に群がる報道陣。

記者会見を、会見する側が都合のいいようにセッティングするのは、これは仕方ない事というか、「したいことをしてる」だけだから、責める気はない。
というか興味ない。

問題は、「記者会見で聞きたいことがある」から集まるはずのマスコミが、「ああそうですか」と何の反論もなしに、わざわざ報道番組の編成を変えてまで放送した事。

本来、質問をするために、会見に記者は集まるものだ。
そうでなければ、意味がない。
ただ撮影と録音をするだけなら、記者は必要ないでしょう?
参加する意味がない記者会見に、なんで記者たちが参加したのか、是非聞いてみたいものだ。

納得がいかない記者会見ならボイコットも出来たのに、冒頭の「質疑応答は…」という司会の言葉にブーイングすらしないのだから、情けないというか何というか。
視聴率がとれりゃいい、というマスコミ各社の本音が見え見え。
俺は、放送されなかった今日のニュースの情報コーナー向けコンテンツを制作したスタッフ達に同情しちゃったよ。

一刑事被告人に踊らされるようなマスコミなら、ネットで「マスゴミ」と罵られても仕方ないなと思った。

今まで政治を批判追求してきたマスコミが、今度は「マスゴミ」の誹りを受けないように自己改革していかない限り、「日本が変わる」という希望は持てないな。
だって、ある意味政治以上に国民に対して影響力があるわけだからさ

これから

2009年09月11日 00時00分11秒 | 雑談
政権も変わることだし、仕事も一区切りついたし、俺の人生も大きなターニングポイントを迎えている。

まあ、政権が変わったというのは、直接関係があるわけではないけど
でも、今回の政権交代は、民主党がどうというよりも、「(政権を)変えたいときゃ、変える」ということを初めて国民が出来た、つまり「日本人が変わった」証だと捉えてるんで、自分の人生にも少なからず影響してくる。

自分で判断する、ということは責任を伴うわけで、意外と責任感を持って選挙に行った人が多かった感があるね。
自民党に入れた、という人も、今回の場合は相当の覚悟が必要だっただろうし(そうでもないか?)。

だから、これからは、ここの人生や生活は、国に頼ることを基本とするんじゃなくて、自分で切り拓いていく事を基本として、自分の人生に責任を持っていかなきゃならないって事だと思う。
どうにもならない時に頼れるのが国だと思うからね。

だから、俺も「これからどうするか」については、じっくり考えていきたい。

「自分がやりたい事は何か」
「それをやるためには何が必要か」

簡単なようで、実は正解がないだけに難しいテーマだから、即答すべきことじゃないと思うし(今までは即答してきた)、だからと言っていつまでもダラダラと考えているだけの時間的余裕はない。

今年も、後三カ月ちょっと。
この間に、じっくり考えて、「自分が100%納得できる」答えを出したいね。

と、今日は真面目なプライベートに関する話題でした。

ゲームと遊び心

2009年09月08日 17時52分50秒 | ゲームという娯楽
プランナーであれ、プログラマーであれ、「ゲームを作ろう」と思うのであれば、一番重要なのは「遊び心」だと思う。

納期と工費の兼ね合いで、しばしば重苦しくなりがちな開発現場だが、そんな時こそスタッフの「遊び心」が開発現場のモチベーションを上げることが多い。

「一会社員としてゲームを作る」というのは、趣味ではなく仕事なわけだが、ゲームというのは結局「遊び道具」である。
そこにスタッフの「遊び心」が入っているか否かは、ゲーム性そのものにもつながる。

ゲームを開発していく過程では、スタッフミーティングは重要な役割を果たす。
スタッフ同士の意見交換の場であり、問題点をあぶりだす場であり、何よりも進捗を確認する場でもあるわけだから、もしこういったミーティングなしにゲームを作っているところがあるとしたら、そこはかなりヤバい会社だと言わざるを得ない。
そんな会社は辞めた方がいい
今この時期の退職はお勧めしないが…

で、「遊び心」というのはこういったミーティングで生まれてくる。
もちろん、ゲーム性を崩壊させる可能性もあるわけだから、暴走しないようにディレクターは注意すべきだが、基本的にスタッフが「こんなのがあったら笑えるよね」とか「マップデザインをこうしたら、ある意味斬新だよね」といった「遊び心」を基にしたアイディアは、ゲーム性を豊かにするという意味でも、また、スタッフ間の結束力を強化する意味でも重要だと思う。

もちろん、商用のゲームは値付けされ、流通される「商品」なので、開発自体が遊びになってしまっては、ビジネスとしては大問題。
しかし、「遊び道具」として流通している以上、「遊んで面白い」ものでなければ商品としてはもちろん、「遊び道具」としても成り立たないし、「面白い」ものを作るのに、常に「真剣に計算されていなければならない」とは限らない。

ゲーム開発は、仕事としては、しばしばハードな労働を強いられる。
たび重なる超過勤務や徹夜を繰り返していれば、「ベルトコンベアーに部品を乗せていく」作業になりかねない。
これで「面白い遊び道具」を作る、というのは極めて難しい。
もちろん、開発に入る前にプランナーが仕様を作るわけだから、その通りに作れば問題ない、と言ってしまえばそれまでだが、「仕様通りに作る=面白い」では必ずしもない、というのが現実だ。

映画が脚本に忠実に制作されるわけではない、というのとある意味同じこと。
役者の個性や監督の演出により、脚本をより膨らませた結果、面白い映画になることは、珍しいことではない。

これは、ゲームでも同じことだと思う。
仕様はあくまで仕様。
ゲームは、仕様を書くプランナーだけで作るわけじゃない。
スタッフ全員で作るものだ。

開発作業そのものがタフなだけに、現場自体は楽しいにこしたことはない。
楽しい現場でこそ「遊び心」は生まれてくる。

「(作業を)やらされている。面白くはない。仕事だから仕方がない」
それも個人のワークスタイルだが、そんな現場から「遊んで面白いゲーム」が生まれてくることはまずない、と自分は考えている。

ゲームを開発している人達に言いたいことはただ一つ。

「ゲーム作りを楽しめ。楽しめなければやめてしまえ」

「やめてしまえ」は言い過ぎかもしれないが、少なくとも楽しくない環境でやっつけ仕事をしても、自分にとっても、そのゲームを買うユーザーにとっても不幸な結果にしかならない。

自分は、これを肝に命じているつもり。
それだけに、違う意味での苦労が絶えないんだけどね