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ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

「ファイファン」や

2009年11月12日 13時32分06秒 | ゲームという娯楽
ファイナルファンタジー開発者「エフエフと呼んで」(朝日新聞) - goo ニュース

というのは、夏まで勤めていたゲーム開発会社社長のセリフ。

俺が「いやFFです」
というと、いつもこの答えが返ってきた。

今、このニュース記事を見て、彼は苦笑していることだろう。

「今更何言うとんねん」

って感じで…。

まあ、彼は常に「俺が正しい」という信念を貫こうとしている人物だから(本人は否定しているが)、これからも好きなように呼べばいいと思いますよ。

ゲームの略称まで開発者がこだわる必要はないと思うし。
いや、開発者はこだわって当然だけど、ユーザーにまでそれを要求するのはどうかな、と思うな。

「ファイファン」と呼んだところでゲーム性が変わるわけじゃないんだからさ

何も言うことはない、ピース

2009年11月11日 12時34分53秒 | 雑談
市川容疑者が取り調べで「何も言うことはない」と言ったということを聞いて思い出したのが、都立城南高校に入学し、映画部に一緒に入った奴が言った、この記事タイトルのセリフ。

彼は、数ヶ月で映画部から消え、学校からも消えていった。。。

今、彼はどうしているだろう?

何故このセリフを今でも覚えているか、というと当時このセリフが映画部内で妙にウケていて(まあ、あの学校で自主退学する奴は結構珍しかったし、当時の部員の知り合いで退学した人物がいなかったので、彼はそういう意味で珍しいというか、笑いのネタになる存在だったわけ)、何かというと部員の誰かが「何も言うことはない、ピース」を連発していたからだ。

ある意味、俺にとって87年度の城南高校映画部といえば、このセリフとイコールなわけだ。

ここしばらく、映画部時代のことを考えることはなかったので、不謹慎ながらも懐かしさを覚えてしまいました。

何も言うことはない、ピース

市橋容疑者身柄確保…日本警察の課題

2009年11月10日 19時35分32秒 | 雑談
市橋容疑者か、大阪で男の身柄確保(朝日新聞) - goo ニュース

やっとこさ身柄確保ですか。
日本の警察は優秀だな
大阪府警の刑事は空手で撃退出来なかったのね

そもそも、市川容疑者は、2年前に千葉県警によって逮捕されてしかるべきだった。
任意同行やガサ入れの際、捜査員に緊張感が足りないのは非常に問題だ。
犯人は常におとなしく応じてくれるとは限らない。
いや、これからは抵抗を受けるケースがますます増えてくるだろう。
いくら市川容疑者が空手が得意だったとしても、「捕まえようとしたけど負けちゃった」では、いったい何のために日頃訓練しているのかわからない。
柔道や合気道といった逮捕術は、所詮体力に勝る凶悪犯には通用しない、ということが、この事件で明確になった。

今後は、アメリカの警察のように拳銃装備で挑む必要はないにしても、10名以上の捜査員で完全に逃げ道をふさいだ上で、臨戦態勢でドアフォン(でもノックでもいいけど)を押すべきだ。

今回は警察管に犠牲者が出なかったからまだよかったものの、凶器を所持しているケースも多い昨今、踏み込んだ際に反撃をくう危険性だって大いにあるわけだから、ぜひとも教訓にしてほしいね。

事情聴取や任意同行でも「常に強行突入のつもりになる」だけで、犯人の逃亡を防ぐことができるだけじゃなく、捜査員の安全もある程度担保できるわけだから。

まあ、とにかく身柄確保されてよかった。

物創りと仕事

2009年11月07日 01時21分28秒 | 雑談
「物創りを仕事にしたい」

という想いを持っている人は多い。
かつてネットで知り合った人たちのほとんどはそうだったし、自分もそうだった。

「小説家になりたい」
「ゲームデザイナーになりたい」
「映画監督になりたい」
「脚本家になりたい」
「俳優になりたい」
「ミュージシャンになりたい」etc

これを、一般的には「夢」という。

しかし、自分の経験上、「夢」と「仕事=ビジネス」とは必ずしも合致しない部分が大きい。

「仕事」にする以上、それが何であれ「売れなければならない」。

「面白い物を作れば、売れる」

と誰もが思うだろう。
それは間違ってはいないと思う。
ただ、業界に入って仕事をすればわかることだが、「売れるもの」の定義が会社やプロデューサー、監督、レーベルなど組織や「偉い人」によって千差万別なのだ。
十人十色ってやつでね。
で、困ったことに皆が「(売れるか否かについて)自分は正しい」と思っているわけだ。
つまり、出会う人、あたる人/会社によって、当然自分が作りたい物が受け容れられたり、られなかったりする。

また、「売れる」と思わせるためには、プレゼンテーションで「売れる」と思わせなければならない。
例えば小説なら、出版社の編集担当に「これはイケる!」と思わせるプレゼンが出来なければ、いくら内容が面白くても、その作品が世に出ることはない。

「面白い」と「面白い(売れる)と思わせる」ことは、同じ事のようでいて、実はまったく違う作業なのです。

例えばゲームの場合、(自分にとって)「面白い」ゲームを考えるのは簡単なことだけれども、それをキャッチーな企画書にまとめ上げて、上司やプロデューサーにプレゼンするとなると、何故売れるのか、どのくらい売れるのか、同じようなソフトは過去にあるか否か、それは売れたのか、どの程度売れたのか等々、ゲームの面白さ以上に「ビジネスとして成立するか否か」を明快にしなければならない。
当然、ゲームの面白さについても「何故面白いのか」が一目瞭然でなければ、企画書としては不十分とみなされる。

自分が面白いと思うものを、仕事で成立させようとするには、「面白い物を考える」よりもそれが「面白くて売れる」ことを証明して説得しなければならない。

これって、仕事としては当たり前のことなんだけど、「創作」の原点に立ち返って考えた場合、とっても面倒くさい作業だし、自分が作りたい物を作るという意味においては無駄というか邪魔な作業。
思い通りにならないことの方が多いからね。

だから、「物を創りたい」という「夢」を持っている人が明確に意識しなければならないことは、「それで飯を食っていきたい」のか「仕事にならなくても、とにかく創りたい」のか、自分はどっちに軸をおいているのか、ということ。
これをハッキリさせないと、「何となくプロ(目の前の仕事をかたずけるのみ)」になってしまうか、「夢破れて、物を作ることをやめてしまう」という結果になりかねないので、要注意。

「創作」そのものには正しいも間違いもないけど、仕事=ビジネスには正しい(売れる)も間違い(売れない)もある、ということなんです。

単に「物を創る」ということと、「それを仕事にする」ということは、全く別次元の話だということを知ってほしいです。

「じゃあ、てめえはどうなんだ?」

と言われれば、軸は「物創り」に置いています。
今まで仕事でやってきたけれど、面白いことなんてほとんどなかったし、「自分の物創り」を通すことは、ビジネスを成立させなければならない「企業」では出来ないことだと痛切に感じたから。
やりがいがあるなしはまた別の話なんだけどね。
「自分が創りたかったものではないけれど、やりがいはある」という仕事はある。
ただ、常にそういう仕事に出会えるか、というと、「物創りビジネス」が置かれている現状では、それすらも難しいんですけどね

バラバラ内閣

2009年11月05日 23時03分44秒 | 雑談
民主党が政権をとってから今まで、約1ヶ月ほど様子を見てきたけど、このままでは自民党政権よりもひどい政治になるんじゃないかな。

とにかく、閣僚の言ってることがバラバラだし、鳩山さんは「最後は私が決めます」ってリーダーシップを理解していないコメントを連日答弁してるし、政権の目玉とされていた「国家戦略局(室)」は機能していないし、「政府と党を一元化する」という公約は、早くも破られているし。

大臣が政策をぶちあげるのに、「1時間前に総理に言った」とか「相談はしていない」とか、有り得ないでしょ?

個人的には人事院総裁の選任とか、日本郵便の社長が元官僚だとかいうのは必ずしも「天下り」とは言えないと思うけど、手順が悪い。
説得力のある説明を、鳩山総理がしなければ、国民は納得しないよ。
いくらテレビのコメンテーターが肯定的なことを言ってもね(ほとんどが言ってないけど)。

人事院と郵政の人事は、「天下り」じゃなくて「天下し」。
官僚が斡旋したわけでもなく、受け皿の何やってんだかわからない独立法人の役員になってただ飯食らう、というわけでもなく、今回は政府&大臣による選任で、下った先も重要な機関。
少なくとも「ただ飯食らう」ようなことは出来ない。しっかり働かないとならないわけだから、個人的にはこの人事は否定的じゃない。

それでも不満があるのは、「鳩山総理の指示」ではないからだ。
今の鳩山政権って、鳩山さんが政権の「象徴」で、各大臣が実質的なリーダーになっている。
つまり船頭が多すぎってわけ。

どんな政策でも「最後は私が決める」と言われちゃうと、「最後っていつ?」ってなるでしょう?
リーダーシップっていうのは、最終決断をすればいいんじゃなくて、方向性を示して、議論をさせて、最終的に決断するもの。
鳩山さんには、それがない。

人柄というのもあるのかもしれないけど、組織はピラミッドでなければ機能しないわけだから、鳩山さん一人ではリーダーシップをとれないというのであれば、早く国家戦略室を稼動させて、管さんに仕事を与えなさいってことです。

とにかく、言いたいことはひとつ。

もうこれ以上ガッカリさせないで。

Wiiのソフトは何故売れないのか

2009年11月05日 23時02分51秒 | ゲームという娯楽
「売れていない」といっても、「Wii SPORTS」や「Wii fit」など一部のソフトは異常なほど売れている。

Wiiのソフトで「売れる」ソフトと「売れない」ソフトには明確な違いがあると思うんだよね。
「Wii SPORTS」や「Wii fit」などに代表される、「体を動かす」系のゲームは、WiiリモコンやWiiボードでスポーツやトレーニングを楽しむ、いわゆる「体感ゲーム」。
「体感する」ことをゲーム性の要にしたソフトにはWiiリモコンという「Wiiならではの要素」が必須だし、Wiiリモコンを振り回す面白さをそのままゲームに取り入れているわけだから、これ以上の「体感ゲーム」はない。
まさに、Wiiならでは、の遊び方が出来るゲーム。

一方、「売れない」あるいは「イマイチ」とされてしまうソフトの多くはRPGやアクションなど、Wiiリモコンの操作性と必ずしもフィットしないものが多い。
今、「DISASTAR」というゲームをやっているけど、このゲームは「クラッシックコントローラーでもWiiリモコン&ヌンチャクでも出来るゲーム」だったなら、傑作と言えると思う。
ゲームデザインそのものは良く出来ているし、ストーリー展開も「24」みたいで面白い。
それを台無しにしているのが、Wiiリモコンによる操作性の悪さ。
何故このゲームのデバイスをWiiリモコンにしなければならなかったのか?
開発者に聞いてみたいね。
まあ、答えはわかっているけど。

今、ゲームを企画開発する場合、最も重要視されるのは「何故そのハードなのか」という点。
Wiiで出すなら、Wiiでなければならない理由が必要、というわけだ。
「なら、Wiiリモコン操作を前提に考えましょう」となって、結果的に出来上がってくるのが、この手の「クラッシックコントローラーの方がプレイしやすい」ゲーム。
Wiiのアクションゲームのほとんどに言えることは、無理やりWiiリモコンを入力デバイスにしていること。
客観的には、あるいはプロデューサー視点で見れば「Wiiリモコンを駆使して云々」という発想は面白いんだけど、一プレイヤーとしてやってみると「???」なことが多い。

同じWiiのソフトでも、「モンスター・ハンター3」はクラッシックコントローラーがメインの入力デバイス。
だって、どう考えてもあのゲームを「Wiiリモコンでやれ」っていうのは無茶でしょ?
実際そういうゲームが多いのに、ほとんどがとってつけたように「Wiiリモコン」がメインデバイスになっている。

開発側の「ハードの特性を活かしたゲーム作り」という論理は、よくわかるんだけど、「すべてのゲームで」となってくると、疑問を感じざるを得ない。

自分は主にモバイル(携帯アプリ)をやってきたけど、必ず「携帯なんだから通信を…」とか「メール機能を入れて云々」なんてことを一度は言われる。
携帯電話という特性を入れること自体は間違いじゃないけど、ゲームによるんじゃないかな。
落としきりのRPGアプリに通信機能を入れても面白くなるとは限らないし、そもそも定額を超えるとパケット代が従量になってしまう携帯において、頻繁に通信が入るのは、ユーザーにとっては好ましいことではない。

いいたいことは、シンプル。
「ハードを意識したゲーム作り」をあまり意識しすぎないこと。
Wiiであっても、Wiiリモコンを使わないゲームがあったっていいし、どちらでもOKというのが望ましいソフトだと思うね(体感系を除いて)。
ゲームとして面白いゲームが、そのゲームに合った操作で楽しむことが出来れば、そういったゲームの評価も上がるだろうし、売り上げにもつながっていくと思うけどね。

ドラクエも「10」はWiiで出るわけだけど、あれも「Wiiリモコンで移動」とか「Wiiリモコンでバトル」とかやられると、もうドラクエじゃなくなっちゃうからね。