車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 岐阜県関市

2020年02月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

関市(せきし)は岐阜県の中央部、中濃地方に位置する市です。岐阜市、美濃市、美濃加茂市、本巣市、各務原市、下呂市、郡上市、山県市、加茂郡富加町、坂祝町、七宗町に。また県を跨いで福井県大野市に隣接。古来よりの刀鍛冶の伝統を生かした刃物の生産で知られ、ドイツのゾーリンゲンやイギリスのシェフィールドと並んで「世界三大刃物産地」の一つ(3S都市)と呼ばれています。「貝印」「フェザー」「福田刃物」等の発祥地としても知られ、市内には刃物関連のミュージアム等が観光客にも人気です。市名は、市内にあった「濃州関所」に由来。「市の木:杉」「市の花:菊」「市の鳥:かわせみ」「市の魚:鮎」「市の色:わかくさ色」を制定。

キャッチフレーズは「ときめき きらめき いきいき せきし 水と緑の交流文化都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、武儀郡関町・吉田村・瀬尻村・倉知村・下有知村・富野村・小金田村、山県郡千疋村・植野村、加茂郡富岡村・郡田原村が発足。

1897年、武儀郡田原村・富岡村、加茂郡富田村が発足。

1920年、関町が武儀郡吉田村を編入。

1943年、関町が武儀郡瀬尻村、倉知村を編入。

1948年、関町が田原村稲口を編入。

1949年、関町が大平賀地区を除く加茂郡富岡村を編入

1950年、関町が山県郡千疋村を編入。

1950年、関町が加茂郡田原村を編入、市制を施行し関市となる。

1951年、武儀郡下有知村を編入。

1954年、武儀郡富野村を編入。

1955年、武儀郡小金田村を編入

1956年、武儀郡武芸川町広見村を編入

2005年、武儀郡武芸川町・洞戸村・板取村・武儀町・上之保村を編入合併、今に至ります。

 マンホールには、700有余年の伝統を持つ「関の刀鍛冶」と、「長良川小瀬鵜飼」。「鵜」の前と足元に市の花「菊」がデザインされています。

 関市浄化センターのカラー展示蓋、室内で大切に展示されている為、とても綺麗です。

関の刀鍛冶:鍛錬の様子

同上デザイン「雨水」

昭和38年7月17日制定の市章は「「セキ」を図案化、丸くおさまり、外に向かって発展する意を表しています。」公式HPより

纏の印部分に市章が描かれた消火栓、角タイプと丸タイプ、共に同じデザインです。

仕切弁

バルブ

消火栓

1994年6月6日制定の関市シンボルマークは「全体で刃物をモチーフに、人と人とのふれあい、豊かな自然、交通網の結節点などを表現し、21世紀へと伸びる発展的で斬新なイメージをデザインしています。伝統と斬新さが共存し未来へ向かい発展する姿を、日本刀(関の孫六)の刃紋である三本杉にちなみ、3本の刃物(刃先)の形状で表現しています。」公式HPより

関市イメージキャラクター『関*はもみん』。ウサギをモチーフに、耳は刃物で未来を切り開くイメージから「はさみ」・しっぽは「新芽」で新たな発展を表現。苗字が「関」で、名前が「はもみん」。苗字と名前の間に「*(アスタリスク)」を入れています。他のキャラクターにはない珍しい名前です。

関アウトドアナイフ部会のキャラクター『関の円空さん』。美濃の国に生まれた僧、円空が彫った仏像をモ チーフに「人様に刃物を向けるべからず」と諭しています。

関市内で見つけたマンホールですが、中央の知章が不明。どこかの自治体の越境蓋なのか、それとも関市の企業関連の蓋なのか調べましたが分りませんでした。ご存知の方がいらっしゃいましたら、是非!コメント欄にてご教授下さい。 

コメント欄に「ひも爺様」の詳細な調査結果が報告されています。感謝🙏

撮影日:2010年11月28日&2018年10月12日

------------------------00----------------------

2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「関市」のマンホールカードは、「関市役所北庁舎2階下水道課(休日:関市役所北庁舎1階:守衛室」でいただけます。

1992年に設置開始されたマンホールには「関の刀鍛冶」と「長良川小瀬鵜飼」「市の花:菊」」がデザインされています。

「関市伝統の「刀鍛冶」と「小瀬の鵜」を中心に描いたマンホール蓋です。 関の鍛冶の歴史は鎌倉時代に端を発し、室町時代の刀匠「孫六兼元(関の孫六)」の登場により「折れず、曲がらず、よく切れる日本刀の生産地としてその名を広めました。 「刃物のまち」関はその伝統技術によって支えられています。 また刀匠と時を同じくして、小瀬鵜飼も活躍しています。 代々守り続けたその技法は岐阜県指定無形民族文化財に登録され、宮内庁式部職鵜匠として御用を続けています。 暗闇の舞台で篝火のみを頼りに手縄を操る鵜匠と鮎を捕らえる鵜達の姿は圧巻でリピーターが数多く訪れます。」

座標軸マンホール

訪問日:2018年10月12日


コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 富加・あちこちウォッチ in ... | トップ | 関鍛冶と刃物の町 in 岐阜県... »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
マンホール大好きです。 (母恵夢(ポエム))
2020-02-28 11:05:04
フォローさせていただきました。
宜しくお願いします。
返信する
Unknown (tibineko)
2020-02-28 11:10:22
母恵夢(ポエム)さん 
コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
返信する
岐阜県関市の不明蓋について (ひも爺)
2020-02-28 16:46:48
「日本マンホール蓋学会」に【ひも爺】の名前で、蓋情報を送っている者です。
岐阜県関市の不明蓋が気になり、できれば調べてみたいと思います。
できましたら、撮影された場所を教えていただけませんか?
よろしくお願いします。
返信する
ありがとうございます (tibineko)
2020-02-28 18:05:52
ひも爺さま 、お名前は蓋学会でよく拝見させていただいております。(あちらでは別HNにて参加しております)
不明のマンホールですが、前後の画像が、関刃物ミュージアムと、「五女子足袋・靴「美つる屋」」の看板です。
2010年のもので、とにかく知章が違うと喜んで撮影したマンホールです。調査のこと、よろしくお願いいたします
返信する
岐阜県関市の不明蓋 (ひも爺)
2020-02-29 14:09:48
ご返事ありがとうございます。
関刃物ミュージアムは、国道156号線沿いで、市街からは少し離れています。
「五女子足袋・靴「美つる屋」」は無くなったのか、関商工会議所のHPで調べても出てきません。
撮影された所は、市街地だったのか、太い道沿いだったのか、覚えておられないでしょうか? 緯度経度はわからないでしょうか。
蓋の設置場所に行けば、蓋に関する手掛かりが何かつかめるかと思っています。
何か手掛かりがあれば、よろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (tibineko)
2020-02-29 14:24:53
マンホールを撮影したのは10年前の事なので、細かい記憶は残っていません。使っているのはコンデジで位置情報の確認も多分出来なかったと思います。初めて訪れた場所だったので、マンホールを探して、広くない路地の周辺を歩き回っていた時に写したと思います。・・「美つる屋」の看板は、目印代わりに一緒に写したものです。
返信する
Unknown (Unknown)
2020-03-01 09:04:38
ありがとうございました。
実は、関市内をすでにあちこち探し回っているのですが、見つかりませんでした。
工事などで、無くなっているかもしれませんね。
また、時間を見つけては探してみたいと思います。
返信する
岐阜県関市の不明蓋 (ひも爺)
2020-08-17 16:27:04
不明の蓋は、関市鍛冶町にまだありました。(2020/08/17現在)
場所の座標は、緯度: 35 29 5.9 N、経度:136 54 54.2 E です。
周りを見ても、蓋の用途などが判らず、関市の市役所 上水道課、下水道課に確認に行きましたが、市役所の方も初めて見る蓋で、用途などはわかりませんでした。
当然 蓋に描かれているマークについても判りませんでした。
もしかしたら、雨水の蓋かもしれないとは、言っておられました。
返信する

コメントを投稿

マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県」カテゴリの最新記事