車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

上関町あちこちウォッチ in 山口県上関町

2024年06月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

昔から防長の三海関の一つに数えられた室津~上関間-170mの上関海峡。今も1日約千隻の船が通過しており、偶然その近くにいた私たちでさえ、こんな光景を見る事が出来ます。

この海峡を結ぶ上関大橋は、昭和44年(1969)6月に完成。付近は、旧砲台跡や毛利水軍本陣跡などの史跡がある景勝地として知られています。

手前は「室津灯台」。橋の向こうが「長島」で町役場などの公的機関は長島地区に集約されています。長島の横に見えるのが多分「横島」。後方にかすんで見えるのが多分「天田島」・・何というあやふやな説明😓

上関大橋・本土側の右手緑地に立つ「吉田松陰詩碑」

明治維新の原動力となった吉田松陰は、嘉永6年(1853)2月2日に江戸遊学の途上、室津に立ち寄り、室津の日和山を見学しました。同年10月、ロシアの軍艦に乗り込むために江戸から長崎に向かう途中、再び室津に立ち寄り、その時に詠んだ詩が刻まれています。

鳩子の湯駐車場の一画に「室津小学校跡地」の碑。室津小学校は明治七年に開校し平成十八年に上関小学校に統合になり廃校になりました。「朝鮮館」の碑には、朝鮮に渡った室津の人が、故郷の小学校に講堂を寄付した事が記されています。

在りし日の室津小学校

「室津渡船場」。知る人ぞ知る「猫の島:祝島」にはここから定期船で約40分だそうです🐈

県道23号線を一歩山側に入った道筋には、江戸時代に漁港として繁栄した往時の名残を残す建物があり、独特の懐かしい雰囲気を伝えています。

位置的に言うと丁度「四階楼」の裏手にあたる高台に門を構える「常満寺」。開祖は平氏の武将『佐原十郎盛光』と伝えられ、享保12年(1727)に寺堂が火災に遭い、元文4年(1739)にこの地に移転。天然記念物の大銀杏を見たくて参拝しました。

寺の移転の際、境内にあった銀杏の木を伐採しようという話が出たそうですが、銀杏は火災の際、水を噴いて火難から守ってくれると言い伝えられていた為、保存することになったと言われています。

根元周囲約10m、幹周り6m、樹高約30mの雌樹。昔は、火難(家難)を免れるためにこの木を廻る風習があったとか。遠く離れた土地の者ですが、見事な巨木に家難の無き事を願いましょう🙏

上関町を後に・・、別れを惜しんで見上げた「四階楼」「常満寺の大銀杏」

訪問日:2013年4月18日&2015年11月16日&2017年11月28日

 


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2 コメント

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Unknown (necydalis_major)
2024-06-22 20:38:58
だんちょう

こんばんは!
僕が生まれる前から作られた橋。
そらそろ補強などの改修工事が必要かも知れませんね!!
返信する
だんちょうさん (tibineko)
2024-06-22 22:45:04
コメント
 ありがとうございます。

日本の橋は100年以上は余裕で持つらしいですよ。
それでも万が一のことを考え
こまめに点検整備が行われているようですね。
返信する

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