松江城北側の堀沿い、明々庵から小泉八雲旧居までの約500メートルの通りは「塩見縄手」と呼ばれ、観光名所の一つとなっています。江戸時代当時の面影が今も色濃く残されており、南側堀端に連なる老松の大木は造成された当時に植えられたものと言われています。
「史跡 小泉八雲旧居(ヘルン旧居)」は、八雲が約5ヶ月間を妻と過ごした家。
明治23年、米国出版社の通信員として来日したギリシャ人『ラフカディオ・ハーン』。 最初の赴任地:松江では、約1年3か月を島根県尋常中学校の英語教師として過ごしています。この松江時代に『小泉セツ』と結婚。明治29年に日本国籍を取得し『小泉八雲』となりました。
「知られぬ日本の面影」の舞台となった旧居の庭、その一画に『小泉八雲』の胸像。 松江の風土を愛し、日本の神秘性を誰よりも深く見つめてきた彼のまなざしは、今何を見つめているのでしょう。
市のマンホールのデザインにも使われた「武家屋敷」。享保18年(1733)の大火の直後に建てられたと言われ、以来、明治維新まで松江藩の中級武士の住居として使用されてきました。
長屋門は、門の両側部分に門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用された建物。上級武士の住宅表門の形式として広く利用されていた形式です。
主屋はおよそ67坪、表側である式台玄関(来客用玄関)から座敷に至る部分と、裏側である私生活の部分では造りも材料も特に区別がされ、武家の公私の別の厳しさを示しています。
館内には刀、槍、薙刀などの武器、裃や化粧道具・お歯黒道具など武家の日用品が展示されており、どれもみな時代劇などで一度は目にした事のある、興味深い品ばかり。
塩見縄手の外れ、赤山の地に、昭和41年:不昧公150年祭を機に移築された『松平不昧』ゆかりの茶室「明々庵」があります。
茅葺の厚い入母屋に不昧公筆の「明々庵」の額を掲げ、その内部の作りは、定石に頓着しない不昧公の好みの一端を伺うことができるものとなっています。 出雲松江藩第7代藩主『松平治郷(はるさと)』が正式な名前ですが、江戸時代の代表的茶人『不昧(ふまい)』の方が有名かもしれませんね。
国宝松江城を囲む堀は、一部が築城(1611年)と同時に造られたもので今もそのままの姿を残しています。 この堀を小船でめぐる「堀川めぐり」は観光客に人気のようで、散策中に何度も見かけました。
城と堀が当時のまま現存する城下町、時代は移りすぎても川面に影を落とす松の緑は往時のまま。 松江で最も城下町らしい佇まいを残す塩見縄手通りは、市の伝統美観地区に指定されています。
訪問日:2011年5月19日&2013年5月27日
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