姫路市飾磨区構に鎮座される「津田天満(つだてんま)神社」。御祭神は『菅原道真公・津田大歳明神・賀茂別雷大神』
旧社格は村社。別名「津田天満宮」とも称され、菅公の逸話から「網敷天神」とも称されます。
昭和十一年一月建立「菅公聖訓」
由緒「菅原大神が、太宰府へご左遷の際、津田の細江に嵐を避けて船を寄せ、当社お旅所「史蹟菅公小憩伝説地」(県指定)の石碑がある思案橋のほとりで、とも綱を敷いて休憩されたと伝えられる。『播磨国鎮守大小明神社記』の餝東郡26社の中に、津田大歳明神とあり、菅公が当地へ船を寄せられる以前、既にこの地に大歳明神の社が奉斎されていた。後世里人が、菅公の御徳を敬慕して、この氏宮に主神として祀り、津田天満神社と称え、主配その位置をかえるようになったもので、創立年代は不詳である。往時は末社40社を数え社殿も壮麗であったが、天正8年羽柴秀吉の英賀城攻めで、社殿・神宝・旧記ことごとく消失したと伝えられる。以後、現在地に再建。津田の里(構、加茂、今左家、思案橋)四町の鎮守産土の神として崇敬され現在に至っている。」兵庫神社庁HPより
朱塗りの神橋から一の鳥居を経て境内へ。〆柱の先に拝殿、本殿と社殿が続きます。
絵馬殿も兼ねた開放的な拝殿
拝殿前左右より神域を守護されるのは、道真公の神使いとされる大正六年(1917)七月建立の神牛さん一対。ゆったりと顔を上げて参拝者が撫でるのを待っているかのような仕草と表情、見ているだけで癒されそう。
更に神牛さんと並んで神域を守護されるのは、享和二年(1802)九月建立の浪花タイプの狛犬さん一対。こちらは迂闊に近寄りがたい強面のお顔、うっかり手を出したら噛みつかれそうな勢い(^^;)
拝殿の屋根には大好きな飾瓦、それもかなり珍しい造形の飾り瓦がのせられています。さて破風の鬼にあたる部分に見えるこの人物は一体誰でしょうか??周囲は波、半身を出して(多分)笑いかけている姿から想像すると「人魚」??
留め蓋の瓦にも、趣向を凝らした飾瓦・・・大きな亀の背中に乗って釣り竿を担いでいるのは「浦島太郎」。小脇に玉手箱を抱えているところを見ると、乙姫様に御いとまごいをして故郷に帰るところ・・と言う事は上のあの謎の人物は「乙姫様」??!!。
反対側の留め蓋では、のんびりと牛の背中に乗った人物が・・着物の裾の長さから見て子供のようにも見えますが・・・・更に謎(笑)
更に、拝殿兼絵馬殿に奉納されていた「巨大草鞋」・・何か特別な意味があるのでしょうか??積み重なってゆく謎(笑)
拝殿内に架けられた絵馬の多彩さ、年代を超えて奉納される絵馬を拝見するのも神社参拝の楽しみの一つ。
左端の「義士本望を遂引揚之場」などは、播磨地方の神社の奉納絵馬としてはテッパンかもしれません。
「境内社:厳島神社」御祭神は『宗像三女神』。古くより海上交通の神として大切に奉られてきました。
拝殿彫刻は極彩色の龍。彩色が施された神社彫刻は決して珍しくありませんが、こうした場所に置かれたものとしては異例の鮮やかさ。
「摂社:海神社」
「摂社:稲荷神社」
「境内社:山部赤人神社」、御祭神は『山部赤人』。
拝殿前より神域を守護されるのは昭和44年4月建立のエイリアン顔の狛犬さん一対。たま~~に、このタイプのお顔を見かける事がありますが・・モデルは何だったんでしょう?
御神木
奉納御神馬、腹掛けには「梅鉢」の御神紋
内容・作者ともに不明の歌碑(^^;)
参拝から数年後、この近くに「菅公小憩の地」なるものが整備されており、菅原道真公や山部赤人の歌碑も建立されていると知りました。また次回にと思っている間に参拝が難しく・・「そのうちに・・」は無い事なんだと思い知らされています。
【ほのぼのと 津田の細江の水尾つくし まだ夜は深き月の入り汐】 菅原道真
【風吹けば 浪が立たむとさもらひに 津田の細江に浦隠りおり】山部赤人
参拝日:2010年5月8日