発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

タフでなければ生きてはいけぬ

2020年12月17日 | 日記
◆冬がきた
 風が冷たい。低い陽射しが建物や木を明るく照らし、その背景に暗い空。冬は大好きだ。
 ここ三日ほどは、歩き回っている。モバイル端末の歩数計は、1日16000歩くらい。新しいブーツでいくらでも歩く。たまに走る。マフラーも気に入っている。寒い季節はいくらでも歩ける。荷物が重いが、筋トレと思えば何でもない。タフでいようと思う。
 外を歩いて寒かったが、喉に違和感は全くない。夜は、鯛を煮つけておいしくいただく。酒と水で炊いて、醤油と味醂を入れて水分を飛ばすだけ。きれいに鱗をとってくれてるお店のだから、とても簡単。この時期はブリ大根も好き。多分明日も元気に目が覚める。
 元気に働いてごはんがおいしくてよく眠れるのだが、私は怒っている。だが、日々の生活に追われ、怒る考えをまとめる時間がない。しかし怒っている。本当に『FACTFULNESS』は去年ベストセラーになったのか? なぜこんなことが起きているのか? よほどまずい。感染症など小さなことである。もっとまずいことはほかにある。私は生産性を向上させ、きちんと怒る時間を確保しないといけない。仕事をもっと短い時間で確実に終えないといけない。
 風邪をひかない決意で風邪はひかずに済むのかどうかという人体実験は、継続中である。
 これは北九州市門司区片上海岸。国道199号線。うわの空で歩くと危険きわまりない歩道。その近くの製糖工場の煙突。煙も甘い匂い。
これは12月10日付西日本新聞朝刊の広告。『月形洗蔵』は予告。本邦初公開につき月形洗蔵肖像使用についてのお問い合わせはのぶ工房へ。

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再び『FACTFULNESS』と新型コロナにまつわるエトセトラとゴー宣道場

2020年10月19日 | 日記
◆「不謹慎だが順当にいくと」
 私にとっては、新型コロナは気をつけたい感染症だが、それ以上のものではない。他の病気と並列している。
 割り算をしてみよう。「不謹慎だが順当にいくと」という文言はこのさい省略する。
 日本人の年間死者は約138万人。365で割ると、毎日日本では3770~3780人亡くなる。新型コロナで今日は〇人亡くなったと報道されている。今日までに亡くなった人の累計は1676人で、どの日数で割ればいいのか3月半ばまではあまり感染した人もいなかったみたいだし半年約180日で割ってみると1日に亡くなる人は10人未満平均。亡くなる人の1%にも満たない死因である。しかも、既往症や年齢について考慮されていない多めの数字での死者数である。
 福岡県民で感染したことのある人はいまのところ5000人、ということは、1000人にひとりだ。知り合いが誰も罹っていない、という人も多かろう。
 怖い病気なのかもしれないが、もっと気をつけなければならない病気はほかにあるんじゃないのか。新型コロナのせいで他の病気の発見が遅れたり手厚い治療ができなかったりするほうが怖い。
 2019年の日本の自死者は20,000人を少し割った数だ。1日約54人。今年はどうなるのか。

◆バナナを洗って食べてますか?
 みんなが頑張って、マスクしたり、自粛したりしたからこの程度で済んでいるのかもしれない。確かにお店の中で、ほとんどの人がマスクをしている。でも、新型コロナは飛沫よりむしろ接触感染といわれているが、例えばスーパーマーケットで野菜や果物を品定めするのに、ほとんどの人が、今だって、さわり放題である。
 ブドウは大概の人が洗って食べる。リンゴや柿を剥く前に洗う人は何割だろう。アボカドやキウイを洗って剥く人はどのくらいか。ミカンやバナナの外側を洗ってから食べる人は殆どいないのではないか?
 店を出るときにアルコールポンプを省略している人は、アボカドキウイミカンバナナは洗わないのではないか。
 洗えと言っているのではなく、その程度でこんなに感染者が少ないのだ。
 一人感染者が出ただけで全校休校になったり事業所を閉鎖したりするほどのものだろうか? リスク計算は正しくなされているのか?
 そう考えたとき、ほんとうに『FACTFULNESS』はベストセラーになったのだろうか?と思う。データが正しく読まれていない。そう思うのだ。

◆ゴー宣道場「『コロナ論』が炙りだしたもの」
 で、小林よしのり氏が主宰する「ゴー宣道場」が、新型コロナと日本人をテーマに福岡で開催されるということで行ってみた。最新の著書『コロナ論』では、新型コロナの指定伝染病を外してコロナの例外扱いをやめ、経済を回せと主張する。
 以前行ったときは立錐の余地のないくらいの立ち席ライブコンサートが開かれていたホールである。通常ならば椅子席で400入る会場に、200の椅子。
 漫画家にして、現代を代表する論客の小林氏である。どんなところなのか、熱烈な読者以外は居心地のわるい場所だといやだな、と、3%くらいの不安もあったが、杞憂。小林氏、そして基調講演に九大の施光恒教授、そのあとパネリスト、それから聴衆との質疑応答と、普通のシンポジウムである。パワーポイントのプリントアウト資料は、時々行ってた地元FM局の単発ビジネススクールのノリである。やー、楽しかったなあ。今年はあれこれごっそり中止で久々のイベントだったから。

 と、思い出に浸ってる場合ではない。
 
 データを冷静に読めばコロナは終わるのではないか。指定伝染病から外さないといつまでも続くのではないか。新型コロナに関しては、夏の前にメンタルをやられない決意をした。決めることは役に立った。あと自分に何ができるのか。ワクチンや特効薬を待ってはいられない。
 

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FACTFULNESS

2020年01月09日 | 本について

◆世界を正しく見ることができるのか

 去年読んだ最後の本が『FACTFULNESS10の思い込みを乗り越え、データを基に、世界を正しく見る習慣」。書店にあった本のPOPには「あなたの常識は20年前で止まっている」と書いてあって、ギクっとする。なんとビル・ゲイツさん、オバマさんの推薦文もついている。ビル・ゲイツさんに至っては、この本が読みたいという学生全員にプレゼントしたらしい。なんだかすごいじゃないか。400ページもあるけど、君は読むか、僕は読むぞ、と読んでみた。頭の半分はスッキリした。中村哲さんは公衆衛生的に正しかった。でも頭の半分はスッキリするものではなかった。悪いのは本ではない。

◆なぜデータの隠蔽や、忖度の付加が悪いかということ。

 この本は、ある特定のことに関する考えを啓蒙しようするのではなく、考え方についての問題提起である。情報やデータを読み間違えないための知識である。スッキリしないのは、この本とは関係なく、何か良くないことが起きていると私が思ったせいだ。こういう本は、データや情報が意図的に操作されていないものである、という前提のもとでないと成り立たない。

「これはおそらく忖度された情報であるので、額面通りに解釈せず、割り引いて考えるべきだな」と思うことが増えた。行間から漂うご都合主義を読みとるのはひねくれ者の得意分野だが、ただ、どの程度忖度されているのか。それを各々が勝手に考えなければならないので、得られる判断は個人の見解要素からさらに、てんでバラバラになる。また、少ないデータは貧弱な見解をもたらす。混乱を招く。

 だからデータ隠蔽や情報操作についてはもっと怒るべきなのである。

 さらに悪いことには、その混乱した方向というのは、かならずしも忖度やデータ隠蔽をおこなったひとたちが誘導しようとする、つまり彼らが思っている「正しい」方向とは限らず、もっと思いがけない悪い結果をもたらすかもしれないと私は思うのだ。

 この本を読んで、私は、世界を正しく見ることの困難さを思い知らされたのであった。それでも、あのひとたちの気づかない分野で事実を読みとることはできるはずだ。われわれは試されている。

 で、私はつぶやく。「やっぱ、野生のカンだぜ、イェイっ!!」

 

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