発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

RUSH プライドと友情

2014年01月22日 | 映画
◆「RUSH プライドと友情」試写会。西鉄ホール。
 1976年のF1、ニキ・ラウダとジェームス・ハントを中心にした物語である。デーブ・スペクターじゃないよ、ニキ・ラウダだよ。  
 この映画のPG12は、ほとんど、ジェームス・ハントさんが「モテ」てる画面のためである。
 古典的レーサーとはそういうもんだ、と、スルーすることが、まだできない年代のお子様には鑑賞をおすすめするのをちょっと躊躇する。
 車の運転は、公道を走る一般ピープルにとっても、命がかかってる手加減できないものである。
 ましてやサーキットでスピードを競うモータースポーツの世界である。まさに「車輪のついた爆弾」。シーズンごと、誰かが亡くなる危険な職業。
 映画は、知らない世界に招待してくれる。モータースポーツの最高峰、F1を、観客席からではなく、テレビ画面からでもなく、ドライバーの視点から見せてくれる映画である。スポンサー、チーム、マネージャー、チームオーナー、メカニック。マシンのチューニング。ポールポジション。チェッカーフラッグ。轟音。吐くほどの緊張と恐怖。大きなタイヤと小さなステアリング。ピット。レーシングスーツは、何秒の炎に耐えられるんでしたっけ。タイヤ交換。際どいコーナリング、テールツーノーズ、クラッシュ、デッドヒート。
 そしてシャンパンシャワー。あれは極限を勝ち抜いた者だけの勝利の美酒なのである。

◆モータースポーツとわたくし
 実家の、とうに納戸と化している私の部屋には、F1レーシングカーの写真パネルがある。印刷物ではない。80年代の生写真、つまり銀塩カラー写真である。当時勤めていた会社がスポンサーに加わっていたチームのマシンである。そのころ会社でCI(コーポレートアイデンティティ)についてのアイデア募集があり、新ネーミングについてのアイデアを出したときにもらったものだ。
 会社に在籍している間に、近くのサーキットで冠スポンサーのF3かF3000かなにかのレースがあり、男性社員が何か手伝いに行っていたようだったが、私がサーキットに行くことはついになかった。
 運転免許は私にとっては自立のためのものだった。誰の手も借りずにどんな時間でも自分ひとりでどこへでも行くための手段を得ると同時に、名義変更や、それにともなう保険の移動、車庫証明など、小さな財産のことだったが、いろいろなことを自分で手続きする訓練になってくれた。スペアタイヤの交換なども含め、ほとんどが社会科、技術家庭科のスキルアップに役立ってくれた。
 鈴木亜久里や片山右京の名前くらいは知っていた。中嶋悟は週刊誌で安全運転を啓発していた。セナやプロスト、マンセルやシューマッハ、アレジなども日々新聞を賑わせていたし、自動車レースを細かに取材した雑誌も多かった。
 バブル崩壊によってあちこちのチームが資金難になったらしい、お金がかかるものなのだな、それにしてもあまりちきゅうにはやさしくなさそうだ、というところまでで、あとは、そのあたりのことは実家の納戸に置きざりにしてすっかり忘れていた世界なんだな。


 

「ジャッジ!」しかし広告は常に消費者に審査されているのである

2014年01月07日 | 映画
 あけましておめでとうございます。
 ことしもよろしくお願いします。
◆映画「ジャッジ!」試写会 都久志会館

 大手広告代理店のダメ社員が、広告賞の審査員としてのインポッシブルなミッションを背負い、海外リゾート地に行くことになる。
 大広告主の息子の作ったできの悪いCMにグランプリを取らせなければ、会社は何百億もの仕事を失う。でも無理っぽい。それで、審査員となっていた男(豊川悦司)は、ダメ社員である部下(妻夫木聡)に審査員の仕事を押しつけ、コンペが行われる海外リゾートに送り出す。クビになるのはダメ社員、というわけ。
 会場のあるサンタモニカでは、世界の広告界の魑魅魍魎が跋扈?し、駆け引きを繰り広げている。
 さあどうする?

 民間放送においては、視聴者は、テレビCMを見ることで無料放送を提供されている。その代金はそのまま、商品に上乗せされている。結局消費者たる視聴者が負担しているといえばそういうことになる。
 当然、お金や労力のかけかたは、番組正味よりもCMの方が多くなる。
 興味深いと思うのは、15秒CMの方が30秒CMよりも面白いことが多いことである。
 広告類は、その企業の姿勢を如実にあらわし、伝えるものである。
 映画に出てくる、広告主企業社長の息子の作った面白くないCMの話については、それに近い話は結構あるんだろうなあ。広告を出すというか、媒体を買うというのはとても高い。それにもかかわらずつまらない広告、というのは、それに遠くない環境で作られているのだと思う。
 たとえばの話、ある地場企業の社長さんが趣味に興じているところを、全面広告で紹介しているのを見たことがある。ボランティアでもメセナでもなく、ただ、それなりにお金のかかる個人的な趣味である。なんだかなあと思った。うまく行っている会社の社長さんはいろいろなことに使える多額の報酬があって当然だと思うが、社長さんの個人的趣味に興味を持つ人など、この会社、というより社長さんに何かを売り込もうと思っている人以外にいるだろうか? この広告は企業イメージアップになるだろうか? 反感など感じたりはしないが、少なくとも私には、消費者や販売現場には無関係に思えた。この広告にかかったお金が商品に転嫁されているのなら、というところまで考えたら、あまり商品は買いたくないなあと思った。少なくとも、これを見て、その企業に親しみを持ち、商品やサービスにより多くのお金を払おうという人はあまり増えない。費用対効果を考えると効率的でないと思った。
 ところが、その次の年、また同じ企業の社長さんの似たような広告が出た。あれっきりだと思っていたんだけど。
 誰も批判しなかったのだ。従業員はもちろん、役員も、家族も、友人も。
 太鼓持ちは褒めてくれるだろう。同業者もまた、広告費の無駄遣いを褒めこそすれ批判する理由がない。
 株主的にはどうなんだろうな。
 
 劇中に出て来るトヨタ(とエースコックは実名で出るよ)のCMは、劇中CMとしてはお金がかなりかかっているような? ひょっとしてボツになったのをそのまま使ってるのではと思った。

永遠の0

2013年12月21日 | 映画
 永遠の0、試写会。都久志会館。
◆12月はじめ、クリスマスイルミネーションがきらきら輝く、博多駅博多口広場の片隅に零式戦闘機が登場した。タイムスリップしたのではなく、映画の撮影に使われたものが展示されたのである。平和と繁栄の象徴のような博多駅前の電飾の中に置かれた小さなプロペラ機の姿は、戦争を忘却することへの警鐘ともみてとれた。
◆戦争映画であり、ホームドラマである。進路に悩む弟と、ライターの姉さんが、お祖母さんが亡くなったときに、残されたお祖父さんは実のお祖父さんではなく、お祖母さんは再婚で、自分たちの母親の父である実のお祖父さんは特攻で戦死していたことを知る。彼らのお母さんは、母親に戦死した父のことを聞いたことがあるが、笑うだけで答えてくれなかったと言う。(いまの)お祖父さんは「私も知りたい。調べてもらえないだろうか」と言う。それで、きょうだいは、特攻で亡くなったお祖父さんのことを調べはじめるのだが……まず彼らが聞いたのは「海軍一の臆病者」という、罵りに近いことば。そういう話を何回か聞いた上で、会った老人に、祖父は臆病者だったんでしょうと言うと、老人は激昂する。「帰りなさい! お前に話すことは何もない!!」どうなってんの?である。さて、彼らがたどりついた真実とは???
◆21世紀と戦時中を行ったり来たりしながら物語は進む。
◆どういうわけで感動を呼ぶのかなんて、ここには書けませんよ。映画を観るか、本を読むか(まだ読んでないけど)してください。
◆亡くなった祖父の戦争時代のときのことを聞く映画といえば「真夏のオリオン」があった。潜水艦艦長の話。もちろんあの時代のことで、人間魚雷を搭載しているのだが「もったいないでしょう」と言って、出撃を許さない。誰に対しても丁寧語を話す、穏やかな軍人を、玉木宏が演じていた。実在の人物にモデルがいるが、この人は戦争から帰ってきて、天寿をまっとうした。
◆まったく同じ人物がもし天才パイロットで、しかも結婚していて子供もいたら、という話だな「永遠の0」は、と思った。
◆しかし、とうに亡くなった人であるので、謎が多い。
◆いくつかのループを描いて、物語は原点、0に還ってくる。ああ、そうだったのかと。
◆帰って来るということはどういうことだったのか。このお話はファンタジーではなく、そういう話は本当にたくさんあったのか。
◆ともかくおすすめの映画です。2時間20分あまりが、あっと言う間でした。

久々更新。映画のことなど。

2013年10月25日 | 映画
 しばらく書かないでいる間に秋が深まっていた。さて、何があったっけ。
◆働いていた。ごはん食べてた。寝てた。
 そりゃ当然ですって。
◆映画。
◇9月4日「許されざる者」試写会。都久志会館。
 西部劇を明治の開拓時代の北海道に舞台を変えてリメイク。渡辺謙主演。いくらなんでもそりゃまずいだろう、というようなこと(ここには書かないよ)を言った若い娼婦(言いすぎ)が、客に顔などを傷つけられ(やりすぎ)、その客は、町の支配者によって、馬数頭と引き換えに放免(甘すぎ)される。怒った娼婦たちが、その客の首に多額の賞金を賭け(死刑は重すぎ、賞金高すぎ)、賞金目当ての手練の人々がやってくる。憎しみが増幅され、大騒動になっていく。
 警察とか裁判制度がきちんと機能しないとこうなるということだ。
 国産西部劇といえば「スキヤキウエスタン ジャンゴ」(登場人物ほぼ日本人で、全編英語の映画)。両方に佐藤浩市が出てる。
◇10月7日「日だまりの彼女」試写会。都久志会館。
 松本潤が、美男オーラを消してフツーの男、どっちかというとモテない君を演じる。人魚姫と鶴の恩返しをよく混ぜてホカホカにしたようなファンタジー。謎が明かされたとき、ああ、そういえば、ヘンだと思ってたけど、そうならそれもありね、と、いろんなエピソードの辻褄が合ってくる。実際にはあり得ない事情を抱えたカップルが、ありきたりの交際をする。若くて可愛いカップルの様子が微笑ましい。ありきたりの恋であればあるほど、あとでわかる事情が切ない。ちなみに難病ものではありません。人が死ぬ話でもありません。
◆東京オリンピック2020決定。
 汚染水コントロールは、何をもってできているというのだろうか。これで景気を動かし、原発のあとしまつを何とかしようということだろうか。7年後に時間を切って、みんなに来てもらえるようにがんばらないとね、ということだろうか。
 この際、ちゃんと開催されるように心から祈る自分である。
 
 あと何かもっと細かいことあったらここにあともどりして追加して書きます。

グランド・マスター 「功夫は、縦か横か」

2013年06月03日 | 映画
 この映画は、画面が美しく、とくにカンフー好きでなくても、楽しく鑑賞できます。
 雨の中、大勢を相手に戦うイップマン(トニー・レオン)。雪の駅ホームで死闘を繰り広げるルオメイ(チャン・ツィィー)。
 チャン・ツィイー様の美しさを鑑賞するだけでも、見る価値がある映画である。
 まるで福岡アジア美術館の「チャイナドリーム展」の図録から抜け出たような、美しい衣裳化粧の娼妓たちの中に、色みを押さえた旗包にナチュラルメイクで、なお 燦然と光を放つチャン・ツィイーなのだ。
 PG12は、アヘン吸う場面があるからなんだって。えっちだからとか、戦闘場面があまりに残酷だからということではない。画面からアヘンが匂ってくるわけではないから、安心して鑑賞できます。

「くちづけ」試写会

2013年05月08日 | 映画
 「くちづけ」試写会。電気ビルみらいホール。
 新聞やテレビのニュースで報じられる記事を見て、なんてひどい、かわいそうに、どうにかならんもんだったろうか、とチラっと思ったまま、その思いを置き去りに日常生活を続けている自分がいて。そういった、よくある心痛む記事の向こう側に、こんな物語があった、という映画。
 7歳の心を持つ30歳の娘のために献身する父親。
 愛と善意と思いやりにあふれた人々に囲まれた、あたたかな日々。
 ふたりの人生最後の半年の日常は、それでも幸福だったはずで、なぜそれが終わってしまったのか、終わらなければならなかったのか。
 泣いてる場合じゃなくて、問題提起しているのだ。娘を死なせたのは誰だと。映画途中で「冗談じゃない!!」と、父親が激昂する。それがじつはこの映画の焦点で、それを人々に伝えるためにこの映画はつくられたのだと思っている。

「聖☆おにいさん」試写会

2013年04月23日 | 映画
 西鉄ホール。
「目覚めた人、ブッダ。
 神の子、イエス。」
 地球に手をあてる神々しい(神と仏ですから)2人の画面からこの映画ははじまる。まるでK福のK学の映画のようではないか(見たことないけど)。
 彼らを一応紹介したあとは、衆生を救済するような仕事に追われることのない美しく平和な日本の四季の中で、リゾートする2人を延々と追い続ける映画である。
 ブッダさんとイエスさんは、東京立川の風呂なしアパートに長期滞在中。暮らしぶりは、のんびりまったり慎ましやか。風貌はTシャツにジーンズの若い外国人。聖☆おにいさん、というわけ。
 原作はコミックらしいけど、読んでいない。
 アパートの窓を開けて寝てると、鳥や小動物が集まってきて涅槃の様相を呈し、遊園地の絶叫系アトラクションでお経を唱えて同乗の人々を恐怖のどん底に陥れ、泳ぐのが嫌だけど意を決して泳ごうとした途端、プールの水が左右に分かれ、徳の高いことを言ってしまうと後光が差し、自己犠牲っぽいことを言ってしまうと、茨冠の棘が自らを刺して流血してしまう。場合によっては茨冠は花を咲かせ、ペットボトルの水がワインになってしまう。
 神仏ギャグがいっぱい。近所の小学生に攻撃されたりするものの、基本、やさしくて、いい人ばかりが出てくる心温まる映画で、何だか疲れがとれる。ブッダもイエスもお互いを思いやりながら過ごしている。
 ご家族で安心して鑑賞できます。1時間半のアニメ作品。色彩設計も私の好み。紫とグリーン系が秀逸。

舟を編む 試写会

2013年04月04日 | 映画
「舟を編む」試写会。都久志会館。

 馬締光也は、白シャツのボタンをいつもぴっちり上まで留めた口べたなメガネ男で大学では言語学を修めていた。出版社のダメ営業マンだったところを、辞書編集にスカウトされてから、その辞書が上梓されるまでのお話。松田龍平が、平成男とはにわかには信じ難いレトロかつアナクロな辞書編集者を演じている。
 初校、二校、三校……のゴム印は私の職場にもある。私の作る本も、なかなかにロングスパンであるが、辞書を作る作業に比べれば、作業期間は、はるかに短い。辞書を作る作業は十年を越える長丁場となるのだ。従って、毎年決算が行われる企業会計とは相容れない性質がある。会計的には研究開発費みたいに、費用発生時に一般管理費として処理されるのかな。ともかく、本を出すまでに時間がかかるので、余裕のある出版社ではないとつくれない。映画のなかでは辞書編纂部門のリストラ話も浮上する。逆から言えば、辞書が出せる出版社というのは、ステイタスなのである。
「用例採集」といって、実際に使われていることばを、カードで集める作業が面白かった。ラジオを聞きながら、人と話しながら、ファストフードでハンバーガーを食べながら、気になったことば、新しいことばの用法を見つけたら「用例採集」と言ってメモをとりはじめるのだ。
 そういうふうにして辞書の解説や用例をみると、なかなかに味わい深いものである。

「横道世之介」試写会

2013年02月12日 | 映画
「横道世之介」試写会 ユナイテッドシネマ福岡
 ホークスタウンモールへ行く。本数が少なくて若干遠回りだけど家から直通で行けるバス路線がいつのまにかできていて、雨ふりなので迷わず使う。
 映画のチラシは、太陽のかぶりものをしてサンバを踊る高良健吾だった。
 高良健吾といえば、初めて映画でみたのは、劇場版「ハゲタカ」の自動車工場派遣工。その次は「蟹工船」の工員。「ボックス!」の努力型高校生ボクサー。あとテレビでは、「白洲次郎」の不良中学生時代とか、「おひさま」の和さんとか。
 これまでは、あまり明るくておちゃめな役にはついてなかったような。
 原作は読んでないから、元のお話からはずれた勝手な解釈があっても御容赦を。
 この映画では、横道世之介くんの大学の最初の1年間と、それに関わった人々の現在が描かれている。バブル直前(グリコキスミントガムの新発売キャンペーンが映画冒頭に出て来るので、1987年春、正確にはバブル期に入ったところから映画は始まる)の懐かしの80年代と、21世紀の間を行ったり来たりしながら物語は進む。
 長崎から進学のために上京してきた彼は、天然パーマで、人懐っこくて、汗っかきで、ちょいとダサくて、器用ではなくて。つまりどこにでもいる普通の大学生で、大学生にありがちな日常以上のことは起こらないまま80年代の1年が過ぎる。事件といえば、長崎の漁港にボートピープルが上陸するくらいで。
 それでもあとからきらきらと輝きだす瞬間がたくさん切りとられて貼りつけられている。

↓(以下、多少ネタバレがありますが、なんといっても普通の日常であるため、読んでも映画鑑賞のさまたげにはならないと思います)
 中学生の娘が若いガソリンスタンドの男と結婚すると言い出して慌てる両親は、自分たちの出会いに関わった世之介のことを思い出していた。
 ゲイの男は、恋人とワインを飲みながら、学生時代の友人世之介のことを話す。
 ラジオDJの女性は、ニュース原稿から世之介を思い出す。
 アフリカで難民支援の仕事をする女性は、久々に帰国し家に届いた郵便物のなかに、世之介の撮った写真の包みを見つける。
 
 自動車学校に行ったことがきっかけで知り合った令嬢(パパは成金趣味、虎の剥製のインテリアとか)与謝野祥子と世之介との、ゆっくり進行する交際が、物語の中心である。
 クリスマスの夜、彼女が雪の中で目を閉じ、胸の前で指をからめていたのは、あれはキスを待っていたからではなく、この幸せな時間が止まってほしいと心から祈っていたからなのだと私は思った。
 その後どんな出来事が彼らを離ればなれにしたのか。「さん」抜きで呼び合うことに決めた幸せなふたりを見て涙していたメイドさん(たぶんここが泣き所だと観客に教えてくれてるのだと思うけど)は、おそらくは自分が若い時のそんな瞬間を思い出していた。それと同時に目の前のカップルの現実を知る彼女は、きっとその先の予測がついていたんだと思う。まあ、10代のカップルのおおかたは、成長とともに別れてしまうものなのだけどね。
 長い間誰にも知られずに大切にされていた思い出について。守られていた約束について。あるいは、ニュースで心にふと引っかかった見知らぬ他人の名前の向こうにどんな人生があったかということについて。
 ああ、人生の味がするわ。幸せだわ、ちょっと泣きたくなるわ。そんな映画で、160分が、あっというまに終わってしまいました。



「バチェロレッテ ーあの子が結婚するなんて!ー」 試写会 

2013年02月07日 | 映画
 ある集まりで名刺交換をして、たくさん名刺をいただいて帰ったが、やはりひとさまの名刺のデザインは気になる。
 ちなみに、自分が今使っているものは、昔ながらの単色の縦型である。
 短い時間で自己紹介して名刺交換し、その数で競争するゲームのようなものがあったが、あれでは、私は、誰の印象にも残るまいと思う。その前後の時間にあった、名刺交換してきちんと自己紹介する機会の方が、その後の人間関係となるかどうかは別として、はるかに有意義だった。
 あの集まりで、名刺交換をしたのちに、私の名刺から、HPにアクセスしてこの日記にたどりついた方があるならば、コメントでも、HPに貼ってあるメイラーからでも、何か足跡を書き込んで下さいませ。
 会社に勤めていたとき、時々外回りと売り込み営業に出ていたので、名刺を作ってもらっていた。会社のロゴの入った、ちょっと小さい角の丸いカワイイ名刺だったなあ。まあ昔の話で、いまどき、あんな女の子女の子した名刺を会社で作るなんてことあるんだろうか。

「バチェロレッテ ーあの子が結婚するなんて!ー」試写会 イムズホール
 容貌の点で格下認定していた女友達が幸せな結婚をすることになった、ということで心が穏やかでない高校時代の同級生女子3人。自分たちはイケてると思ってるみたいだけど、羨望と嫉妬と友達の幸せが喜べない自己嫌悪とが脳内トグロ巻き状態で、気分がぶれまくるのだ。
 しかもR15+映画とくれば、結婚式前夜のパーティーが無事に進行するはずがない。確かにこのダメダメぶりは、お子様には鑑賞させられない。
 ともかく、彼女たちが、ふざけているうちに、花嫁のドレスが破れてしまう。それだけならまだいいが(よくないけど)、とてもここには書けない汚し方をしてしまったりするのだ。夜中で、ホテル付きの縫い子さんは帰ってしまっている。その夜は、それだけならまだいいが(よくないけど)、な出来事が連続して起こる。はたして彼女たちは、無事にドレスを元通りにして、友情・努力・勝利のテンプレに乗ることができるのか?
 ようするに彼女たち、格下認定(とてもいやなことばだね)してた子が自分より幸せになるのが許せなかったのねぇ。だけど、友達の結婚相手が、実は自分がずっと好きだった男性だったとか、自分の好みに運命的どストライクぅうっ!!とかいうのならわかるけど、そうじゃないんだから、羨望も嫉妬もエネルギーの無駄というか、別にそんなに心乱されることはないじゃないのと思うんだけど。まあ、そういうかたちで、格下認定の報いが自分に還ってくるということなのかもね。
 とりあえず、ウエディングドレスの管理は厳重にということで。

 終了後、通った天神地下街、地下鉄南天神駅近くの金文堂書店が、いつのまにかマツキヨの増床部分になっていた。