きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(10)・トムとポチ

2010年09月17日 | 思い出探し
家の飼い犬の名前はトム、近所のお寺の門前に店を構えていた花屋さんの飼い犬の名前がポチ、といっても昭和30年頃のことで、私が物心ついた頃にはトムと一緒に暮らして一緒に遊んでいた。なぜ、あまり一般的ではない「トム」という名をつけたのかは記憶にない。

2匹とも雑種の中型犬で、飼い犬の証拠に鑑札がついた首輪はしていたが、ヒモ付きで連れ歩くことはほとんどなくて、いつも放し飼いが多かった。2匹はとても仲良しで、ポチは私たち一家にも慣れていて、私たちが出かけると何処までも付いて来て困ったこともある。

当時は野犬が多くて、保健所の野犬の捕獲なども日常的に行われていて、捕まえられて車に乗せられて保健所に連れていかれる野良犬たちが可愛そうだったのを記憶している。私も幼稚園の時に野犬にくるぶしのところを噛まれたことがあり、幸い狂犬病や破傷風にはならなかったが・・・。

私が小学校に上がる前後にトムが死んだ。
お寺の境内で苦しんでいるところを近所の人が見つけて知らせてくれたが、家に運び込んだ時にはもう虫の息で、家の皆に見守られながら息を引き取った。野犬狩り用の毒入りダンゴを食べたのではないか・・・ということだったが、とても悲しかった。
お寺の墓地の片隅に埋葬して、お坊さんにお経を上げてもらった。

当時のGHQの政策の1つだったのか、公衆衛生に関る改善策がいろいろと取られた。どの家でもノミやシラミがいて、また蚊も多かったしネズミも毎晩天井裏で運動会をしていた時代である。年に何回かは畳を上げてDDTやBHCなどの殺虫剤の粉末を撒いていたし、時には窓を閉め切った家の中に、入り口から白い煙様の殺虫剤を、ドドドドという感じで吹き込んで丸ごと殺虫することが行われていたが、どの家も次から次にやられていたので、おそらく公的機関が行っていたのであろう。テレビでときどき見る終戦直後のように頭から直接殺虫剤を掛けられるということは無かったが・・・。
DDTやBHCなどの殺虫剤は人体に影響があるため今は使われていないが、いま思えばなにか人体実験されていたようで、いい感じはしないのである。

 夏場の蚊帳も必需品で、なにしろ近所にお寺が沢山あったせいで蚊がものすごく多かった。蚊帳への出入りの仕方を何度も母に教わったが、それでも入ってきた1匹の蚊に何度も安眠を妨げられた。ネズミはネズミ捕りで面白いように取れた。毎晩捕れたが、天井裏の巣からピンク色をした子ネズミを沢山捕ったこともある。

いずれにしてもトムが死んだ後しばらく何も飼わなかったが、もともと動物好きの父母のせいか、ずいぶん後になってからも猫や犬を何匹か飼ったと記憶している。


昭和30年前後の仙台市での話である。


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