きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(39)・合唱は楽し!!

2010年10月08日 | 思い出探し
一高一女合同演奏会の記念写真、昭和42年。


高校に入った私は、前年入学していた気仙沼中学校体操部の先輩から、体操部に入るように誘われた。

腰椎カリエスで退院してから1年も経っていない身体では運動はとても無理で、体力的に不安があったため、「マネジャーでも良いから是非入部してくれ」という誘いを涙を呑んでお断りした。

小学校でコーラス部にいたこともあり、音楽が好きだったので、男声合唱なら部活ができるかもしれないと入部した。

楽かなと思っていた合唱部ではあるが、全国合唱コンクールや一高一女合同演奏会、吹奏楽部と合同の定期演奏会、仙塩(仙台市と塩釜市)地区高校合同演奏会などの年中行事が沢山あって、練習は思っていた以上にハードであった。

私の音域はもともとバリトンなのだが、ベースができる生徒が少ないため最初からベースを受け持たされてしまった。

必死で低音域で声を出していたおかげで、当時はやった所謂「低音の魅力」といわれる声になってしまったが、残念ながら青年期以降は小田和正のようなハイトーンの声が人気となってしまい、今の歌謡曲も全体的にキーが上がってしまっていて、気持ちよく歌える曲が無くなってしまったのが残念である。

練習の合間には校庭でソフトボールをして遊んだり、厳しい中にも和気藹々の雰囲気をもった良いクラブだった。

他校の合唱部との交流も盛んだったが、特に宮城第一女子高等学校(一女高)合唱部との交流が盛んで、秋に行われる合同演奏会での混声合唱の練習のため夏休み中もお互いの学校の音楽室を訪問しあって練習を行った。

普段は「エテコウセイ」を自他共にゆるす、ムサクルシイ男子生徒ばかりの生活の中で、女子高生と学校公認で触れ合える貴重な場であるこの合同練習は楽しくて、この時ばかりは先輩たちも「ばんから学生」からにこにこ顔の紳士になってしまうのだった。

一女高合唱部とは年に1~2度「コンパ」を開いた。
いまの「合コン」などというものとは違って、仙台市の野草園の広い芝生の上で、鬼ごっこをしたり、歌を歌ったり、フォークダンスをしたりというもので・・・まさに「青い山脈」の世界だった。

昔のことでもあり、外出は制服着用が当たり前だったが、初夏の日差しの中、緑の芝生の上で、はしゃぐ乙女達の、膝までの長さの紺のスカートがヒラヒラ翻るときや、白いブラウスの胸のふくらみがやたら眩しく感じられる、そんな年頃だった。

昭和40年代初頭のことである。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

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