みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

「春尽きる」と「啄木忌」

2018年04月13日 | 俳句日記

晩春にもかかわらず、今朝の雲は初秋の
雲かと見紛うばかりに、巻積雲(うろこ雲)が東から西へ流れていた。

また風の吹きようも、雲に呼応するよう
に「目にはさやかに見えねども…」であ
って、こないだまで続いた初夏の陽気が
、余計に季節感を混乱させていた。

五年前の秋、盛岡駅から岩手銀河鉄道に
乗って渋民村を訪れた時を思い出した。
啄木記念館を訪ねる為である。
今日は「啄木忌」。

盛岡中学校時代の写真らしい。
天才の片鱗が見え隠れする。

線路を挟んで往路復路分かれたプラット
ホームに降り立ち、跨線橋を上り線側の
駅舎に進むと、至る所に啄木の歌が短冊
にして掲げてあった。

山と村と村人のことを詠った作が多い。
当然と言えば当然である。
この寒村の唯一の観光資源なのだから。
嘗て彼の歌には真善美が無いと書いた。

よく読んで欲しい。
万事不如意な人生に対する心底からの怒
りと思える歌にも巧みさが見える。
人情も人様の借り物が散見されるのだ。

要は、放縦が故に社会に受け容れられな
い自らのルサンチマンを、持ち前の語感
を操り、弱者の代弁者と位置付けた虚妄
の世界を現出させているのだ。

そこに彼の覚めた天性の眼があった。
であれば、彼の歌は悲しき玩具では無い。

女性に対しては、実体験の吐露だろう。
でなければ、あんな慚愧は生じまい。
彼は女性に興味を持ち過ぎた。
フィガロの結婚のケルビーニのように。

だから、彼にとって「ありがたき故郷の山」は、「神姫山」だったのでは?
渋民駅を出た途端にるすぐ正面に美しく
佇むその山を見た時、私は瞬間思った。

或いは、両親と終生馴染めなかった彼は
岩手山を理想の父とし、神姫山を理想の
母として生きたのかも知れない。

《ふるさとの山に向ひて 言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな》

この歌は切ない真実の声だったのだろう。

〈春尽きて 啄木哀し 北の空〉放浪子
季語・春尽く(春)

4月13日〔金〕晴れ
虚実はどうでもあれ、今日まで彼の生み
出したバーチャルな文字の世界が、人様
の現実の生業を支えていることで、彼の
破天荒な生き様は、罪一等を減じられて
いる。
テレビ業界と同列に扱う事は出来ない。
このことは、いずれの回にか詳しく書い
てみたい。