みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

ミサイルは飛んだの?飛ばなかったの?

2017年07月28日 | 俳句日記

昨日が64年目の「戦勝記念日」なんだそ
うである。
思わずメシを噴き出した。
偏向教科書でも休戦と書いてある。

「朝鮮戦争」は、単なる其の国の政権争
いを、恰も世界史的な自由主義と共産主
義の対立に仕立てる装置のような戦争で
あった。

朝鮮民族は、またもや貧乏クジを引かさ
れてしまった。
三韓時代からずっとそうである。
日本も援軍を送ったが唐に負けた。

刀伊も元も戦わせたのは朝鮮の人達だ。
悉く利用され終いで、自分達の独自文化
を創造出来ずに歴史の海に漂って来たの
が朝鮮半島である。

気の毒な運命と言えばそれまでだが、今
漸くチャンスが訪れようとしている。
南は自由を手に入れた。
日本と同じように、もはやロシアに脅え
ることはない。

北は風前の灯火にある。
ICBMがレッドラインではなく、核の
小型化がそれだ。
スターリンの亡霊は、その時に再び死ぬ
のである。

中共の成立が動乱の引き金であった。
前年12月の中ソ会談でなにが話し合われ
たか、遡るとその年の4月にNATOが
発足し、5月に西ドイツが成立した事は
スターリンにとってどんなにショックで
あったことか。

翌年、2月に中ソ友好同盟が結ばれ、5
月にNATO軍の創設決議がなされる。
そして、6月25日北鮮軍は南下を始める
のである。

スターリンの読みどおり韓国軍は脆かっ
たがトルーマンの対応も早かった。
9月には国連軍を編成し、マッカーサー
は仁川に上陸する。

国連軍は、10月20日にはピョンヤンを
占領してしまう。
ここで、打ち合わせどおり中共義勇軍が
参戦するのである。

マッカーサーは甘く見ていた。
ところがトルーマンは原爆の使用も辞さ
ぬ覚悟で国家非常事態宣言を発令する。
トルーマンは欧州も見ていたのだ。

これを受けて中共義勇軍と北鮮軍は翌年
大攻勢をかけるが、三か月で押し戻され
てしまう。
連合軍は2ヶ月ぶりにソウルに入った。

スターリンは此れ迄と国連代表のマルク
に命じて休戦交渉の斡旋をさせる。
ここが彼の狡猾なところである。
マッチポンプもいいとこだ。

しかし、交渉の現場は揉めに揉めた。
最大の原因は、互いの捕虜の数の齟齬で
あった。
共産軍の管理は、余りにも杜撰だった。

なかなか進展しない交渉に業を煮やした
連合軍は、翌年6月23日北鮮の工場地帯
に大空襲をかける。
写真はその時のものだ。

そして、翌年3月スターリンが脳溢血で
死んだ。
その年の7月27日、休戦協定が成立に至
るのである。

前の年の11月にアイゼンハワーが大統領
に当選し、1953年のこの年にフルシチョフが登場する。
時代は、雪解けを期待した。

だが、未だに冷戦は終わっていない。
「戦勝記念日」などと言っているかぎり
半島に平和は来ない。
だが、今度ばかりは違う、スターリンは
必ず二度死ぬ。

〈風立ちて 天に煌めく 刀風〉放浪子
季語・風立つ(秋)

7月28日〔金〕薄日
今日も本が読めた。
お陰でブログが遅くなった。
心も頭も沸騰している。