みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

海の日

2017年07月17日 | 俳句日記

日本が海洋国家として世界に知られるよ
うになったのは、日本海海戦の勝利から
である。
それまでは東洋の小国として、慎ましく
ジャパンファーストで国を保って来た。

其の国に海への関心をもたらしたのは、
先ずはロシアである。
1794年、林子平が「海国兵談」を書いた
切っ掛けは、不凍港を求めて東漸して来
るロシアの脅威である。

以来、日本の知識人は海外の情報と海防
について、俄然学び始める。
これに拍車をかけたのがペリーの来航で
あった。

海防故の明治維新であったのである。
それからの精進が凄かった。
明治人の心根を表現すれば、一人ひとり
が主役であることの矜持である。

「海国兵談」から110年後、日本はロシア
を駆逐する。
併せて、アジアの解放に向けた国家的事
業に乗り出した。

アメリカには負けはしたものの、7つの
国を独立させたのは紛れも無い事実だ。
そして、元の慎ましい国となった。

ところがである、15世紀に始まった海洋
進出を国家目標とする、時代遅れの国が
直ぐそばに在る事が分かった。
不凍港ならぬ海底資源を求めての事だ。

この国は、15世紀の初頭、大航海時代に
先駆けて中東、アフリカまで「鄭和」率
いる大船団を派遣した。
10年後、ポルトガルの「エンリケ」が海
に乗り出す。

コロンブスに先駆けること、約80年前の
ことである。
それでもこの時代の航海は、人類の探求
心の表れがあった。

でも、コロンブス以降の16世紀は違う。
人類の欲望が先行するようになった。

海洋国家日本が、海の恩恵に感謝する日
の今日、改めて其のことが現在まで続い
ているように思えてならない。

〈海の日や 鄭和とエンリケ 胸を張り〉
放浪子 季語・海の日(夏)

7月17日〔月〕快晴
暑い日であった。
道行く子供たちは、ビッショリと汗を
かき、意にも介せず快活に生きている。
それを見るだけでも嬉しい。
暑さ寒さは常にそこにあるもの、人間って、本来そう言うものなのだと思う。
太陽と空と大地と、海に感謝。