みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

追い山ならし

2017年07月12日 | 俳句日記
へへへ!やはり問合せが来た。
昨日のブログの末尾の意味が、良く解ら
ないと言うのである。

人間の義務とは、種を残すことなのであ
るが、それにはある特定の行為が必要で
、この神聖で相当なエネルギーを要する
行為は、山笠を舁くエネルギーを削いで
しまう。

先人達は経験的にその事に気付いた。
避けた方がいいと言うことになった。
私は、かつて走る山笠に乗るという光栄
に浴したことがあった。
これを台上がりという。

上から見ると、まるで卵子に群がる精子
のように、次々に山に取り付いてくる男
達の目付きは尋常ではない。

ラグビー選手のような緊張感に満ちてい
るのだ。
足が一瞬でもモツれれば、そのまま病院
が待ち受けている。

従って、山が走り出す直前の男衆の顔か
らは、山笠舁きに選ばれた誇らしげな笑
みは消える。

今日は、15日早朝の追い山に向けたリハ
ーサルの日、「追い山ならし」と言う。
リハーサルとはいえ、本番の八割のコー
スを走る。
手順も本番と同じ、違うのは観客の数と
賄い飯の豪華さだろうか。

県警の警備態勢のリハーサルでもあるが
明日の「集団山見せ」と「追い山」は、
観客を対象とした厳戒警備が加わるから
とんでも無く大変だ、と警備担当者から
聞いたことがあった。

明日は「集団山見せ」をレポートします。

〈山笠や 爺の記憶が 宝なり〉放浪子


7月12日〔水〕晴れ
仕事の打ち合わせもあり、午後から
博多へ「ならし」の取材に出た。
30年前の記憶が甦る。
「博多っ子純情」
「山笠があるけん博多たい」
私は、博多の生まれではないが、
博多に住んで良かったと、つくづく思う。
博多の男達は、山笠の時から顔が締まる。