みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

朝涼(あさすず)

2017年07月22日 | 俳句日記

私の宿は東西に長い。
西に玄関があって、東がベランダだ。
子雀達の通学路は、東にある。

今朝は黎明から目が覚めた。
土曜日なので、水道工事の音もしない。
珍しく、蝉の声よりも先に、メジロが鳴
き始めた。

メジロも、静かな朝が好きらしい。
鳥の声がすると、私の細胞も起き出す。
炊飯器のスイッチを入れて、ひさびさに
双眼鏡と共に散歩に出た。

既に散歩道は賑やかであった。
あら⁉︎お久しぶり、と声をかけてくれる
人にも出くわした。
皆さん、健康で何よりだ。

3キロ程ゆっくり歩いて帰る。
シャワーで汗を流し、メシを食った。
その頃には、朝日がベランダ越しに差し
込み始める。

昨日、植え替えをしたばかりのクロトン
とアゲマキの苗木を部屋に取り込み、背
もたれの高いアームチェアに深々と寛い
で、コーヒーの香と煙草の煙を楽しむ。

何故取り込んだかと言うと、植え替え直
後の直射日光では、傷口に悪いからだ。
お陰で部屋の中がオシャレになった。

この時間は、表も裏も開け放している。
涼やかな風が、体温の手を引きながら、
ゆっくりと東から西に通り抜ける。
なんとまぁ、至福をもたらすこの涼風。

仏教の因菓律でも、中国の陰陽道でも「暑」と「涼」は二つしてひとつの象。
であるから夏の季語には「涼し」が様々
に変化して表れる。

朝涼、夕涼(ゆうすず)。
これが夜になると「晩涼」(ばんりょう)、夜涼(やりょう)となる。
涼風やすず風は日常でもよく使われる。

《大の字に 寝て涼しさよ 淋しさよ》

と言う句がある、小林一茶の作である。
判らぬでもないが、今朝の至福には微塵
も淋しさなど感じはしなかった。
永遠の幸福感があった。

子雀達の声が聞こえないのには、一抹の
淋しさがあったが、ひょっとしたら一茶
先生の子供達も寺小屋か何処かにいって
いたのかもしれない。

〈朝涼や こんな時間が 有ればこそ〉
放浪子 季語・朝涼(夏)

7月22日〔土〕酷暑
朝の散歩と寛ぎの一時が
今日の財産。
あとは一歩も出れずに
ブログを書く。
夜は、
母方でホルモンパーティ。