みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

アメリカ合衆国独立記念日

2017年07月04日 | 俳句日記

意思の強そうな、苦味走ったいい男だ。
この人が、1775年印紙法や茶法による重税を課して来た英国に対して、

「我らに自由を与えよ。しからずんば死
を与えよ」

と主張し、米国独立革命の口火を切った
パトリック・ヘンリーさんである。

バージニア州の議会でのこと、当時39
歳であった。
その翌年、1歳年下のトマス・ペインが
かの有名な「コモン・センス」を書く。

こちらも、ヘンリーさんに負けず劣らず
知性に溢れた良い男だ。
かくして東海岸13州の植民地は、共和制
の原理を得て独立の気運が高まった。

植民地軍が、レキシントンとサラトガの
戦いに勝利すると、仏・西・蘭の義勇軍
が英国を相手に参戦、この中にラ・ファ
イエットやサン・シモンなどのフランス
革命の主役達もいた。

アメリカ合衆国の独立が、フランス革命
の引き金になったことは、良く知られて
いるが、当時のヨーロッパ事情が独立へ
の扉を開けた事は余り知られていない。

16世紀の半ばに始まった西ヨーロッパの
宗教戦争は、その最終戦争とも言うべき
三十年戦争を経て「ウエストファリア条
約」のもとに一旦は治るかに思えた。

ところが、英仏西蘭墺普に露も加わり、
王位継承、条約外地の争奪戦、はたまた
植民地争奪等の紛争を繰り広げる。

主役は英国であったようである。
そこで、英国はアメリカ大陸の植民地に
戦費を求めて重税を課した。
この有様を、ジッと見ていた人がいた。

100ドルの最高額紙幣の肖像に掲げられているこの人である。

印刷職人から身を起こし、科学者として
も、外交官としても知られているこの人
、凧を揚げてカミナリが電気であること
を発見したこの人の名は、
ベンジャミン・フランクリン。

彼は、ワシントンや前の二人達よりふた
周り先輩にあたる。
英国本国が、圧力をかけて来た頃には既
に成功者であった。

ヘンリーが、自由か死か!と叫んだ時は
69歳。
独立宣言がなされた時は70歳、そして、
ワシントンが初代の大統領に就任した時
が83歳、この間の独立戦争では、常に
彼ら申し子の若者たちを支援している。

独立戦争が成功したのは、英国が二正面
作戦を余儀なくされたからだ。
このことを、彼は読んでいたに違いない。
彼には情報が豊富に入る。

何故ならば、印刷物に囲まれた職業につ
いていた。
科学の知識もそんなところが切っ掛けで
あったのではあるまいか?

彼は、確信的にヨーロッパを見限ってい
たのである。
新しい国の創造と新しい世界秩序の建設
の機会を待っていた。

そして、彼ら申し子達とアメリカを建国
した。
ワシントンが初代大統領に就任した翌年
に、彼は84年の生涯を閉じる。

プロヴィデンスの目(真実を見通す目)は
彼の目なのである。
アメリカとはそんな国なのである。
決して侮れない。

〈記念日も 弾に脅され 蝉時雨〉放浪子
季語・蟬しぐれ(夏)

7月4日〔火〕台風雨 のち晴れ
雨の日の朝は、登校する子供たちの
はずんだ声が聞こえないので寂しい。
梅雨前線は、台風に押し上げられて
北へ去った。
すでに、台風も西に去りつつある。
明日は、いよいよ梅雨明けか⁈
終日、宿でアメリカのおさらいをする。