みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

富士山

2017年07月01日 | 俳句日記

今年も半分過ぎた。
後半の始まりの日に、富士の山が開く。
日本を象徴するこのお山は、古来より
信仰の対象であった。

であるが故に、富士の山開きは「詣で」
をキーワードとして夏の季語となる。
「富士詣」「富士道者」「富士講」等
何れも山頂の浅間(せんげん)神社に参る
行為、人々、風習を詠んだ。

山頂を極めたことが、行を修めたことに
なり、「富士禅定」に至ったとされる。
一つの悟りを得たことになるのである。
聞くところによると、確かに心境が変る
そうだ。

生きていれば悩みが尽きることは無い。
ところが、悩みを悩みと思わない心境を
得さえすれば、怖れることも怒ることも
無い。

お山に登るだけで、その心境を得られる
なんぞ⁈と思わずに、直ちに登ることが
すなわち救われる事なのかも知れない。

何事も「頂き」を極めることは難しい。
国会議員も、国家国民に奉仕する立場と
しては頂きあるものだ。
六根を清浄しなければ務まらない。

〈文月や あつぱれ富士は 日本晴れ〉
季語・文月

7月1日〔土〕晴
早朝より母のもとへ。
二人でご先祖様の月供養を行う。
般若心経と光明真言を唱える。
朝餉にしたサンドイッチが好評だった。